貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

大好きな義経の墓と芭蕉句碑を詣でる!

2022-12-09 10:36:14 | 日記
令和4年12月9日(金)
平泉市: 高館(たかだち)義経堂    
「先ず高館に登れ~ば~♫

 北上川南部より 流るる~♪
  大河なり~♬・・・・」
 今朝はこの鼻歌から開始!
   義経(ぎけい)堂(どう)は、
北上川を見下ろす
この「高館」と呼ばれる
高台にある。
<義経堂>

 説明板によると、
「義経最期の地。
 兄の源頼朝に追われ、
藤原秀衡を頼って平泉に逃れたのが
文治5年(1189)のこと。」
<義経堂の説明板>

 義経、31歳の若さである。
 2年生の時、先生が読んでくれた
『源平盛衰記』等で、
私もまた幼少よりの義経贔屓!
 判官館(はんがんだて、ほうがんだて)
とも呼ばれている。
 北上川を見下ろす光景は見事!  

 東を望むと、
北上川の向こうに
秀峯・束(たば)稲(しね)山(やま)が見える。

 この山は、
かつて安倍頼時の時代に、
桜の木を一万本植えたといわれる
桜の名所。 
               
 黄金文化華やかし藤原三代の頃には、
さぞや見事な櫻花で
山々や川面を彩ったことだろう。 
 『奥の細道』<平泉>の項では、
「三代の栄耀(えよう)
 一睡の中(うち)にして、
 大門の跡は一里こなたに有。
 秀衡が跡は田野に成て、
 金鶏山のみ形を残す。
 先(まづ)高館にのぼれば、
 北上川南部より流るゝ大河也。
 (中略)
『国破れて山河あり、
 城春にして草青みたり』
 と笠打敷て
 時のうつるまで
 泪を落し待りぬ。」
と記し、あの句を残している。
<芭蕉句碑と説明>
                                                                  「夏草や 
  兵どもが 
    夢の跡」
と。
<芭蕉句碑>

 続いて曾良の句が並ぶ。
「卯の花に 
  兼房みゆる 
   白(しら)毛(が)かな」
 山陽の三男、頼三樹三郞の平泉の歌碑もある。 
     
 義経の墓も詣でる。
<義経の墓>

 妻子も道連れ、
 自刃の悔しさはいかばかりであったろう?
 戦や闘いは、いつの世も、
何処の国でもつきもの。
 生きる物の性(さが)なのだろう?
 幼い時からの教育の機会が
全ての人に与えられんことを
願うのみ!

 高館義経堂は、
毛越寺の管理下にある。