令和4年12月9日(金)
平泉市: 高館(たかだち)義経堂
「先ず高館に登れ~ば~♫
北上川南部より 流るる~♪
大河なり~♬・・・・」
今朝はこの鼻歌から開始!
義経(ぎけい)堂(どう)は、
北上川を見下ろす
この「高館」と呼ばれる
高台にある。
<義経堂>
説明板によると、
「義経最期の地。
兄の源頼朝に追われ、
藤原秀衡を頼って平泉に逃れたのが
文治5年(1189)のこと。」
<義経堂の説明板>
義経、31歳の若さである。
2年生の時、先生が読んでくれた
『源平盛衰記』等で、
私もまた幼少よりの義経贔屓!
判官館(はんがんだて、ほうがんだて)
判官館(はんがんだて、ほうがんだて)
とも呼ばれている。
北上川を見下ろす光景は見事!
北上川を見下ろす光景は見事!
東を望むと、
北上川の向こうに
秀峯・束(たば)稲(しね)山(やま)が見える。
この山は、
かつて安倍頼時の時代に、
桜の木を一万本植えたといわれる
桜の名所。
黄金文化華やかし藤原三代の頃には、
さぞや見事な櫻花で
山々や川面を彩ったことだろう。
『奥の細道』<平泉>の項では、
「三代の栄耀(えよう)
『奥の細道』<平泉>の項では、
「三代の栄耀(えよう)
一睡の中(うち)にして、
大門の跡は一里こなたに有。
秀衡が跡は田野に成て、
金鶏山のみ形を残す。
先(まづ)高館にのぼれば、
北上川南部より流るゝ大河也。
(中略)
『国破れて山河あり、
城春にして草青みたり』
と笠打敷て
時のうつるまで
泪を落し待りぬ。」
と記し、あの句を残している。
と記し、あの句を残している。
<芭蕉句碑と説明>
「夏草や
兵どもが
夢の跡」
と。
と。
<芭蕉句碑>
続いて曾良の句が並ぶ。
「卯の花に
兼房みゆる
白(しら)毛(が)かな」 。
山陽の三男、頼三樹三郞の平泉の歌碑もある。
山陽の三男、頼三樹三郞の平泉の歌碑もある。
義経の墓も詣でる。
<義経の墓>
妻子も道連れ、
自刃の悔しさはいかばかりであったろう?
戦や闘いは、いつの世も、
何処の国でもつきもの。
生きる物の性(さが)なのだろう?
幼い時からの教育の機会が
幼い時からの教育の機会が
全ての人に与えられんことを
願うのみ!
高館義経堂は、
毛越寺の管理下にある。