令和4年12月30日(金)
日本を代表する霊場の登山口に。
これで4度目の参拝!
横浜に奉職した2年間で、
福島大学から同じ職場に来た後輩が、
連れて行ってくれたのが最初。
当時の印象とは大違い。
目的が違うからだろう?
芭蕉は、『奥の細道』で、
山寺のことをこう記している。
「山形領に立石寺と云山寺あり。
慈覚大師の開基にして、
殊清閑の地也。
一見すべきよし、
人々のすゝむるに依て、
尾花沢よりとつて返し、
其間七里ばかり也。
日いまだ暮ず。
麓の坊に宿かり置て、
山上の堂にのぼる。
岩に巌を重て山とし、
松栢年旧、土石老て苔滑に、
岩上の院々扉を閉て、
物の音きこえず。
岸をめぐり、岩を這て、
仏閣を拝し、
佳景寂寞として
心すみ行のみおぼゆ 。」。
修行者の参道を少し登ると、
可愛い風車が目にとまる。
可愛い地蔵さんが祀られている。
「端午の地蔵」かな。
そして、四寸道を上って、
もう一つの目的の
「せみ塚」に到着。
<蟬塚の句碑>
蝉塚(せみ塚)にある芭蕉句碑。
蝉塚は、
俳人壷中(こちゅう)を中心とする
俳諧仲間が、
宝暦元年(1751年)、
芭蕉が書いた短冊を埋めて
石碑を建てた処。
碑表に
「芭蕉翁」、
側面に、
「静かさや
岩にしミ入
蟬の声」
の句が刻まれている。
蝉塚は当初山門の傍らに築かれたが、
蝉塚は当初山門の傍らに築かれたが、
後になって現在の地に。
蝉塚の石碑に彫られた
「静さや」の「静」の字は、
この碑以外では見られない。
貴重といえば貴重!