貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

ハートカズラという花

2017-06-20 09:33:52 | 日記
ハートカズラという花

平成29年6月20日

 数年前の家内の誕生祝いを、当日まで持ち越した。

たまたま用があり、東京花壇に立ち寄った。

ちょっと華々しさに欠けるが、たまにはこういうのもいいかと購入。

数年立つが、元気に育っている。子どもも増えた。

名前が数日前にわかり、じっくり葉っぱや花を見つめてみると、

何ともはや珍妙。

葛の花に花の形は似てるかな?

カズラの仲間だもんな。

数年前、プレゼントした時のままの容器具 



ハートカズラの別名は、「ラブチェーン」。愛の鎖とはこわい?ほかに「セロベキサ」、「ハートバイン」など

花言葉は「助け合う」「協力」とのこと。「きょうりょく」とキーをたたくと、「強力」と出る。「ごうりき」はまずいだろな。

葉っぱは、





見ての通り、一対のハート型。

花は、ほんとに可愛い!神がかりの造形美!



江東区:臨 川 寺  

2017-06-19 11:53:13 | 日記
江東区:臨 川 寺  

平成29(2017)年 2月15日 12:40~

清澄3-3-9

延宝8年(1680)深川に移り住んだ

松尾芭蕉は二歳年上の仏頂禅師の人柄に

感服し、足繁く参禅するようになる。

 芭蕉庵と呼ばれた草庵が、臨川寺と

ほんの五百メートルほどしか離れていな

かったことも、二人の交流を深めたのだ

ろう。

 芭蕉庵は新しい俳風を模索する一門の

拠点となり、また、号を桃青から芭蕉翁

と改めたのもこの頃。

 禅味が加わった芭蕉の作風は、従来

見られなかった高い精神性を俳句の世界

にもたらし、文芸としての価値を世間に

知らしめた。

 臨川寺には「玄武仏碑」を始め、

「梅花仏碑」「墨直しの碑」「芭蕉由緒

の碑」などの石碑が残され、芭蕉ゆかり

の寺として知られている。

懐かしさも手伝い、町並みも楽しんだ。

臨川寺入口



玄武仏碑説明



芭蕉由緒の碑など一隅にまとめられていた



芭蕉由緒の碑



墨直しの碑



常磐2丁目に深川芭蕉通りがあった。


清澄庭園  その2

2017-06-18 09:28:58 | 日記
清澄庭園  その2

平成29(2017)年 2月15日 11:50~



 この解説から、清澄庭園は、芭蕉ゆかりの地ではないことがわかる。

 第2弾は、日本中から集まった石の紹介(?)

 石をうまく活用した文化も、日本の大切な文化の一つ。

 先ずは、「都立清澄庭園 児童公園部分』と彫られた庭園外の石



生駒の石



伊豆の磯石



伊豆の川石



生駒石



伊豆○代石



水鉢は保津川の石



生駒の石



石仏群の説明と石仏





真鶴石



そして、芭蕉の句碑





 

江東区:清澄庭園

2017-06-17 08:54:14 | 日記
江東区:清澄庭園  

平成29(2017)年 2月15日 11:50~

 過日訪れた所は、清澄公園だったという

ことが清澄庭園入口に来て初めて気付く。

 (あれだけ変貌するとは?)と気にして

いたら、やっぱし勘違い。

 一安堵!

 当時確か入場料を払って入った記憶もあっ

たので・・・。

この庭園は、泉水、築山、枯山水を主体と

した「回遊式林泉公園」だ。

 江戸時代、大名庭園の造園手法。

江戸の豪商紀伊國屋文左衛門の屋敷跡とも

いわれている。 

 明治になって、岩崎弥太郎が荒廃したこの

邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待す

る所として、全国から名石も取り寄せ、

完成させたそうだ。

 昭和になり、東京都の名勝に指定された。

三つの中島を配した池は本当に広く、舟遊び

も可能? 

 水面に、島や数寄屋造りの建物、そして樹木

の陰を映し出しているのも楽しめる。

十数名の植木屋さんが手入れをしておられた。

 当初は隅田川から水を引いていたそうだが、

現在は雨水でまかなっているそうだ。 

 伊豆の磯石、紀州の青石、佐渡の赤石、

讃岐等の御影石など名石も楽しめた。
 
 先ず、この庭園の素晴らしさを写真から・・・

どうぞ!!

清澄庭園入口 やっぱり有料でした。優良かな?



庭園を散策しながら・・・





松も見事









中島へ





近景も良く・・・・手入れが行き届いている。



庭師の方々が十数名みえたかな





水鳥たちも心地よさそう









そして、ずいぶん楽しんでから案内板が



芭蕉の句碑

古池の句だった。



芭蕉の句碑説明


 

仙台堀川の水辺の散歩道 その5

2017-06-16 09:03:52 | 日記
仙台堀川の水辺の散歩道 その5

平成29年2月15日

十三番目の句は、倶利伽羅峠での句。

「わせの香や 分入右は 有磯海」



※ 「かがの国に入」っての最初の句。

芭蕉は、7月15日(太陽暦8月29日)

に金沢に到着しているが、体調はすこぶ

る悪かったようである。

 曾良の『曾良旅日記』の7月14日の

項には「翁、気色不勝。暑極テ甚」と記

されている。

 元禄2年(1689)の立秋は、6月

21日であるが、残暑が長く、厳しかった

のであろう。

 一句からは、加賀の国に入り、早稲の香

を満喫しての安堵感が伝わってくる。

 有磯海は、富山県の一部。

十四番目の句は、色の浜での句。  

「寂しさや 須磨にかちたる 浜の秋」



※ 8月16日、芭蕉は、晴天の下、敦賀湾

の西北にある海岸「種の浜(いろのはま)」

に遊んでいる。

 『おくのほそ道』において、芭蕉は、

「種の浜」を「浜は、わづかなる海士の

(あま)の小家にて、侘しき法華寺あり。

 爰に茶を飲み、酒をあたためて夕暮れの

さびしき感に堪たり」と描写している。

 かつて、須磨に遊んだ折に、

「かなしさ、さびしさいはむかたなく、

秋なりせばいささか心のはしをもいひ出べ

き物を」(『笈の小文』)と語った芭蕉で

あったが、「種の浜」で秋の「さびしさ」を

満喫しているのである。

  ※は、復本一郎氏編著の『精選季題別芭蕉秀句』参照

さびしきは 言下にしのぶ 暮秋(あき)のこえ 

                  貢人


十五番目の句は、山中温泉での句。 

「山中や 菊はたおらぬ 湯の匂い」



山中温泉芭蕉の館



芭蕉と曾良の別れ



 十六番目の句は敦賀での句。

「名月や 北国日和 定なき」




十七番目の句は、小松那谷寺での句。

「石山の 石より白し 秋の風」



 私の好きな句の一つ。

 那谷寺の奇岩が、滋賀の大津の石山寺の石

とイメージが重なった。

 秋風を視覚でとらえているかな。

那谷寺の奇岩 秋の盛り近く



十八番目の句は、大垣での句。  

 「蛤の ふたみにわかれ 秋の風」



『おくのほそ道』、最後の一句である。