貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

仙台堀川の水辺の散歩道 その4

2017-06-15 09:11:16 | 日記
仙台堀川の水辺の散歩道 その4

仙台堀川




八番目の句は、中尊寺での句。

「五月雨の 降りのこしてや 光堂」



芭蕉像



芭蕉句碑



※ 平泉金堂にての吟。

 芭蕉は、本文に「四面新に囲て、甍を覆て

風雨を凌、暫時千歳の記念とはなれり」と

記し、鞘堂によって保存されていた金堂に

安堵している。

 それを文学的に形象化すると上の一句と

なるのであるという。
 
 五月雨(今の梅雨)も配慮して、金堂にだけ

は降らないので、昔のままに光り輝いている

の句意だそう。

九番目の句は、立石寺での句。  

「閑かさや 岩にしみ入る 蟬の声」





十番目の句は、大石田での句。  

 「五月雨を あつめて早し 最上川」





 十一番目の句は、象潟での句。

「象潟や 雨に西施が ねぶの花」



中国の美女「西施(せいし)」と芭蕉



十二番目の句は、出雲崎での句。  

「荒海や 佐渡によこたふ 天河」


仙台堀川の水辺の散歩道 その3

2017-06-14 08:42:43 | 日記
仙台堀川の水辺の散歩道 その3

散歩道の案内板 清澄橋や清川橋など橋も

いくつも架かっている。




 四番目の句は、那須の句で、
 
「野を横に 馬牽むけよ ほとゝぎす」



※ 季題「ほととぎす」は、「時鳥」と書く。

「稀にきき、珍しく鳴き、待かぬるように詠

みならわし」た鳥で、

そのイメージを喚起する鳥だそう。

芭蕉は、雲岩寺より殺生石への道中の野で、

その滅多に聞くことのできない「ほととぎす」

を聞いたそう。

 その時、馬子に馬の歩行を換えてくれるよう

に頼んだのであるという。

「野を横に」という表現が斬新という。


 五番目の句は、福島の句で、

「早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺」



※ 芭蕉は、須賀川から檜皮の宿を経て、

安積山付近の沼に「かつみ」を尋ね、

さらに、安達ヶ原の黒塚を見物し、「忍ぶの郷」

に辿り着く。

 古今和歌集の中の源融の

「陸奥のしのぶもじずり誰ゆゑに乱れむと思ふ

我ならなくに」

の恋歌で知られる「しのぶもぢ摺の石」を尋ねん

がためだそう。

 早乙女が早苗を掴む手もとから、融(とおる)

の恋歌の世界をイメージしているのであるという。


 六番目の句は、岩沼での句。  

  「桜より 松は二木を 三月越し」



※ 現在の宮城県名取市の岩沼にある「武隈の松

(二木の松)」を見物しての一句。

「後拾遺和歌集」の中で、橘 季通(すえみち)の

「たけくまの松はふた木をみやこ人いかがととはば

みきとこたへん」

の歌で知られていた。

 その桜より見事な松を、芭蕉は出立後、三ヶ月目

にやっと見られた、との意。

<数日前に見てきました。武隈の松=二木の松>




七番目の句は、平泉での句。   

 「夏草や 兵どもが 夢の跡」



 芭蕉の句は、一茶の句と違って、本当に難しいと

いうのが本音。

※は全て、復本一郎さん編著の『精選季題別芭蕉秀句』参照

仙台堀川の水辺の(俳句)の散歩道 その2

2017-06-13 08:26:40 | 日記
仙台堀川の水辺の(俳句)の散歩道 その2

二番目の句は、千住の句。

「行春や 鳥啼魚の 目は泪」



※ 杉風の別邸前を流れる隅田川を舟で下っ

た芭蕉と曾良は、千住で下船する。

 ここで、江戸の門弟達と別れ、奥の細道

の旅への第一歩を踏み出す。

 「行く春」は暮春。終わりを告げる春と

ともに、自らも門弟達との別れ、去りゆく

人になっていく。

 春を惜しむ鳥や魚と、門弟達との惜別の

情が、重なっている。


三番目の句は、日光。

「あらたふと 青葉若葉の 日の光」



※当時は、下野の国、今の栃木県に入る。

陰暦3月30日、日光山に辿り着く。

翌日、日光東照宮を参拝。

今の暦だと5月19日である。

 「あらたふと」は、感嘆の言葉。

 日の光に、きらきらと輝く初夏の青葉、

若葉に自然の美しさに畏怖の念を抱く。

 今も尚、その感情を抱かせる日光である。

仙台堀川の水辺の(俳句)の散歩道

2017-06-12 09:41:26 | 日記
仙台堀川の水辺の(俳句)の散歩道

平成29年2月15日 11:40~

水辺の散歩道を歩く。芭蕉俳句の散歩道あり。

 先ずは、深川の句

「草の戸も
 
   住替る代ぞ

       ひなの家」

※ 今まで隠者の住んでいたこの草庵までも、

 主人の入れ替わる時がやってきたぞ。

 妻もあり、娘がいる人が入って、雛を飾って

 華やぐことだろうな。

 なお、「草の戸・・」の句は、他に

 「草の戸の 月や其のまゝ あみだ坊」はせを

「草の戸や 日暮てくれし 菊の酒」 翁

  等がある。

仙台堀川



芭蕉俳句の散歩道案内板



散歩道



芭蕉俳句その1






江東区深川 採茶庵(さいとあん)   

2017-06-11 08:59:14 | 日記
深川 採茶庵(さいとあん)   

平成29年2月15日 11:30~

海辺橋南詰 深川1-9

 芭蕉は、元禄2年3月27日(1689)

採茶庵(さいとあん)から「おくの細道」の

旅に出発したのだ。

 当時は、仙台堀(仙台藩の蔵屋敷があった

ことから仙台堀と呼ばれ、現在の仙台堀川の

こと)に浮かぶ船に乗り、隅田川を遡って

千住まで。

 『おくの細道』が生まれていくのだ。

 採茶庵は、芭蕉の門人、杉山杉風

(さんぷう)の別宅である。

 芭蕉は「奥の細道」の旅に出る前に、それ

まで住んでいた隅田川と小名木川の合流地点

の岸辺にあった芭蕉庵を手放し、門人、杉山

杉風(さんぷう)の別宅に厄介になる。

 採荼庵に芭蕉を住まわせた杉風は、日本橋

で幕府御用の魚問屋を営み、豊かな経済力で

芭蕉の生活を支えていたのである。

採茶庵の標柱



採茶庵



芭蕉翁ご出立