貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

伊予国「菩提の道場」入り!

2022-10-22 11:55:38 | 日記
令和4年10月22日(土)
その3~伊予国(愛媛県) 菩提の道場
伊予 菩提の道場
 厳しい行路を来た巡礼者を穏やかな海
が迎えるという。
 大師とゆく悟りの道はまだまだ続く。
 第四十番霊場「観自在寺」から
第65霊場「三角寺」まで。
 「同行二人」ですすむのみ。

 第40番 南宇和郡: 観自在寺

  本寺は、第一番霊山寺より一番遠く
「四国霊場の裏関所」
とも呼ばれる名刹。
  大同二年(807)、平城天皇の勅願所として、                    弘法大師が開創。
 本尊の薬師如来、
脇仏の阿弥陀如来、
十一面観世音菩薩の三躰は、
大師が一本の霊木を彫造し、
安置した。

  病弱だった平城天皇は、
在位3年で皇位を嵯峨天皇に譲り
上皇となる。
 しかし、平城天皇の寵愛を受けた
藤原薬子と兄の仲成が上皇に政権を
取り戻そうと画策するが、
弘仁元年(810)に嵯峨天皇に鎮圧される。
 薬子の乱により
平城天皇は連座の罪に問われ、
仏門に入る。

 剃髪した遺髪が
本堂横の五輪塔に納められている。
 寛永十五年(1638)には、
京都・大覚寺空性法親王が
四国巡拝の折に宿泊され、
「薬師院」の号を受ける。
 かつて、この地域は比叡山延暦寺の
門跡寺院青蓮院の荘園であったことから
御荘と呼ばれた。
 その後、火災により全てを消失するが、
延宝六年(1678)、
宇和島藩主・伊達宗俊氏の祈願所として、
本堂、大師堂が再建される。
 昭和三十四年(1959)に
再び本堂が焼失するが、
信徒の浄財で創建時の姿で再建される。

 本堂に向かう石畳左手に、
十二支守本尊八体仏が並び、
参拝者は水をかけて願いを成就させる。

 本堂には、
新しい三鈷と古い三鈷が置かれている。

新しい三鈷と古い三鈷に両の手で、
「大師と同行二人」
という縁結びを
謝意をもって祈願する。



あせび咲く頃お詣り!

2022-10-21 09:50:30 | 日記
令和4年10月21日(金)
仙台市: 榴岡天満宮    
 仙台市の観桜地として有名な榴ヶ岡に
鎮座する榴岡天満宮は、
平安時代の天延2年(974)に
山城国(現在の京都府)に創建された。
 その後、平将春が陸奥国宇多郡
(現在の福島県)に勧請し、
次に宮城県柴田郡川内村に御遷座
したのが始まりで、
天文20年(1551)に
小俵玉手崎(仙台市青葉区の仙台東照宮の地)に
三度目の御遷座が行われたそうだ。

 後に、藩祖伊達政宗公が仙台城を造営
するとき、当宮の社木(境内地にあった樹木)
を用財として切り取った為、
その報賽に慶長16年(1611)に
新たに丹塗りの御社殿を造営したが、
慶安3年(1650)徳川幕府の命令による
仙台東照宮建立に際し、
その境内地東側に御遷座がなされた。
 そして、寛文7年(1667)7月25日に
三代藩主伊達綱宗公の意思により、
丹塗りの社殿・唐門を新たに造営し、
菅原道真公の真筆(直筆の書)が奉納され、
現在の鎮座地である榴ヶ岡に御遷座が行われ、
杜の都の天神さまとして現在も広く
崇敬されている。
 御社殿は総欅造り、照星閣とも呼ばれ、
明治9年(1876)の明治天皇御巡幸の際に、
明治天皇が御参拝された御宮である。

 また、仙台城構築の際、
有力な築城の候補地とされ、
元禄2年(1689)5月7日には
当宮に松尾芭蕉が参拝し、
ここ玉田よこ野 つつじが岡は
あせび咲くころ也
ここに天神の御社など拝て
其日はくれぬ
 (奥の細道)
という文章を遺していることからも、
当時の天神信仰が盛んだったことを
示している。
 寛政7年(1795)2月25日に
落雷による不慮の火災が発生し、
本殿・拝殿・楼門・神楽殿・鳥居と
多くの歴史的建造物を焼失した。

 非常に残念なことではあったが
、道真公が高天原より降神なされたのでは、
という歴史的ロマンをくすぐる
唯一の天満宮といわれている。
(現在の御社殿はその頃の再建)
つづく。


芭蕉は訪れたが、作句せず!

2022-10-20 11:43:39 | 日記
令和4年10月20日(木)
 やっと爽やかな秋晴れ!
 車の中を大掃除!!!
 今日も仙台!
仙台市: 東 照 宮     
 仙台東照宮は
仙台藩二代藩主伊達忠宗が、
徳川家康を伊達家の守護神として祭るため、
慶安2年(1649年)に
三代将軍徳川家光に願い出て許しを得た。
 それから5年後の承応3年(1654年)に
本殿や唐門石鳥居等全てが完成したという。
 拝殿
 
 芭蕉と曾良は、
元禄2年(1689年)5月7日(新暦6月23日)、
大淀三千風門下の加右衛門の案内で、
東照宮等を訪れた。
 芭蕉が訪ねたのは、
完成から35年後ということになる。
 曾良随行日記には、
「七日 快晴。加衛門(北野加之)
同道ニテ権現宮(仙台東照宮)を拝、
玉田・横野を見。
 つゝじが岡ノ天神ヘ詣、
木の下ヘ行。
薬師堂、古ヘ国分尼寺之跡也。
 帰リ曇。夜ニ入、加衛門・甚兵ヘ入来。
冊尺並横物一幅づゝ翁書給。
 ほし飯一袋・わらぢ二足、加衛門持参。
 翌朝、のり壱包持参。夜ニ降。」
と記されている。
 仙台東照宮は氏神神社として勧請された、
全国でもほぼ例のない東照宮。
随神門

 御譜代町と呼ばれた伊達家とともに
米沢から移転してきた家臣の住む
大町・肴町・立町・南町・柳町・
北目町・染師町・田町の8町を
氏子町に指定したという。

 氏子町は東照宮御祭礼の時に
神輿を担ぎ、山車を出すことが
決められていた。
神社下は宮町

 それが、仙台祭だ。
 現在では、5年に一度行われており、
360年以上前に御神体をのせて
江戸から仙台まで渡御した
東北最大ともいわれる御神輿が
現代に残っているという。
奥の院

 若い神主さんは、
「芭蕉は訪れてようですが、
特に句も詠まれなかったので、
句碑はありません。」
と言われたので、
御朱印だけ戴くことにした。


亀岡八幡宮の神主さんと出会い、芭蕉のこと等で話し咲く!

2022-10-19 11:44:56 | 日記
令和4年10月19日(水)
仙台市: 亀岡八幡宮    
   
 亀岡八幡宮は、
文治年間(1185年~1190年)に
伊達氏始祖伊達朝宗(だてともむね)が
福島県伊達郡梁川に鶴岡八幡宮を
勧請して建立。 
 その後仙台藩四代藩主伊達綱村によって
現在の地に遷宮された。


 昭和20年の仙台空襲により
社殿は焼失したため、
今では石鳥居と長く急な石段のみに
昔の面影が残っているという。

 石鳥居には趣があり、
長く急な階段は地震の影響などもうけたのか、
不揃いで降りる時は要注意!
 風雪を感じる階段である。

 途中の広場で、階段を上るのをやめ、

社務所はどうも上の方にありそうなので、
車の所に戻り、車で上がる。
 お花好きの神主さんと見え、
可愛い数々の小花が参拝する人を
慰めてくれている。

 神主さんに運良く出会い、
芭蕉のことや神社の歴史、
瑞巌寺の工事のことなど
いろいろ教えていただく。
 約300年前、
松尾芭蕉が訪れたといわれる往時の名残りは、
鳥居と苔むした石段のみ。

 社殿からは芭蕉が見たと思われる
仙台市街も微かにしか見えないほど
 周りの木々は生長。
 この神社の阿吽像は、
いつ見てもユーモラスで可愛い!



緑いっぱい、歴史もいっぱい!くつろぎのひととき!

2022-10-18 11:15:11 | 日記
令和4年10月18日(火)
 芭蕉句碑は、
神社北側裏手の西公園の所にある。
 芭蕉200回忌の建立。

「風流の 
  はじめや奥の 
    田植うた」 
 さて、その西公園。
 西公園には、石碑があちこちにあり。

 また、竜のように這う古梅の木
「臥竜梅」
等の樹木もあり。

 仙台市簡易商業学校跡地の碑もある。

 画家(?)の人がひとり、
気持ちよさそうに中央のベンチで
背中合わせに腰を下ろし、
会話するふたりの若者の像等を描かれ
ている。

 歴史を感じ、緑豊かで寛ぎたい気分!!!!
 今もなお、
いろんな人がいろんな文化を継承し、
仲睦まじく競い合い、
磨き合っている街なんだろうな!?
 更に発展していくことを祈りつつ・・・・。