貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

風流の初めや 仙台市へ!

2022-10-17 09:44:41 | 日記
令和4年10月17日(月)
仙台市: 櫻岡大神宮  
 一の鳥居
   
 元和7年(1621)仙台藩祖伊達政宗公が
伊勢両宮の分霊を府内荒巻村の勝地に
勧請した。
 別当寺を祓山神宮寺(妙海法印開山、
今の北山町伊勢堂山)という。
 天和2年4代綱村公伊勢堂山の規模を
拡張、社殿を改築して
社領二貫文の地(加美郡色麻村)を寄進した。                                
 維新の際、神宮寺を廃す。
 明治2年村社に列せられ荒巻神明社と改称、
 同5年仙台大町の商人佐藤助五郎等の
協力により元柳町に遷す。
 同8年5月県社に列格、社号を現在名に改めた。
二ノ鳥居

 後、いろいろな経緯を経て、
住吉神社も合祀。

 桜の名所としても知られ、
広大な西公園の一隅を照らし、
市民の憩いの場所ともなっている。
 芭蕉句碑は、神社北側裏手の西公園の所にある。

「風流の 
  はじめや奥の 
     田植うた」
         はせを
 芭蕉200回忌に建立された。
 ~つづく。


吾妻PAに、義経への関心を示す句碑!

2022-10-16 10:12:46 | 日記
令和4年10月16日(日)
福島市: 東北道吾妻PA      
     
 1時50分自宅を出発。
 8時50分、
 東北道の吾妻SAでトイレ休憩。

 ちょっと歩こうとうろうろ散歩。
 芭蕉に誘われたように、
「えっ、こんなところに!」。
 もうびっくり!

 何でここにと、
疑問より運の良さを素直に喜ぶ。
「芭蕉をめぐる道しるべ」
の石碑もあり。

「笈も太刀も 
  五月にかざれ 
      紙幟」
 の説明と句碑も並存。

 節句が近いこの五月、
紙幟(かみのぼり)とともに、
寺宝の笈や太刀も飾っておくれ、
の意。
 元禄二年作。
義経の忠臣、佐藤継信・忠信兄弟の
墓がある医王寺を訪ね、義経の太刀や
弁慶の笈を拝したことが紀行本文に
記されている。

眼洗い井戸!

2022-10-15 11:05:04 | 日記
令和4年10月15日(土)
第39番 宿毛市: 延 光 寺                                                    
  土佐国(高知県)最後の札所となる。

  神亀元年(724)に、
行基菩薩が聖武天布勅願を受けて、
安産、厄除けを祈願して刻んだ、
薬師如来を安置して、
本坊と十二坊を建立した。
                      
 当寺は、薬師如来の瑞相に因み、
亀鶴山と称し、院号は施楽院、
寺号を宝光寺と呼ん だ。
                    
  本尊の胎内には、行基菩薩が感得した
という仏舎利を秘蔵したと伝えられている。
 延暦十四年(795)に、
弘法大師が来錫され、                    
桓武天皇の勅願所として再興。

 日光・月光の両脇侍を刻んで、
七堂伽藍を整え、札所に定めた。
 この時、大師は、付近の村民が水不足に
苦しんでいる様子を見て、
錫杖で地面を突いたところ清水が湧き出た
という。
 霊水は宝医水と名付けられ、
眼病に霊験のあるところから
「眼洗い井戸」
と呼ばれるようになり、
今も本堂の横にある小さな祠の
井戸から湧出している。
   
 延喜十一年(911)の刻銘が入った梵鐘は、
国の重要文化財に指定された寺宝。
 赤い亀が背中に梵鐘を乗せて、
竜宮城から持ち帰ったという。

 この時より、寺の山号は
赤亀山延光寺と改められた。
 明治初年には、
この鐘が高知県庁に運ばれ、
県議会の合図として用いられたという
由緒ある鐘だ。
 仁王門から長い石畳が
正面奥の大師堂まで続き、
掃き清められた境内は、
修行の道場・土佐路十六ヶ寺の
最後の札所に相応しく、
安らかな静けさが漂っている。
 境内には、熊野大社も祀られ、
健康祈願・交通安全・五穀豊穣・商売繁盛に
ご利益があるとして
信仰を集めている。



卯の花とくらき柳の対比、修正版!

2022-10-14 15:42:48 | 日記
令和4年10月14日(金)
 昨日のブログは写真なしでした。
 私のミスで、ちょっと早く次画面へ移った
のが災いしたのか?
 とにかくごめんなさい。
 修正再送信です。
黒川郡: 保 福 寺   
     
 保福寺は、寛文5(1665)年に
吉岡領主の奥山常辰が建立。
 山門は当時からのものという
薬医門。

 境内には、奥山家累代の墓や、
後の吉岡領主となった但木家の成行
の墓と招魂碑があった。
 「保福寺」の参道は杉並木。  
 本堂は新しい。

「山門」の右手前に芭蕉句碑、
      
「卯の花や 
  くらき柳の 
    およひこし」
 があった。

 境内もよく整備され、
名前の通り福が保持されている幸せを
味わうことができた。
 
 帰り道、境の所に、
二木の松が青空に栄え、
そびえ立っていたのが目にとまり、

車を停め、写真におさめる。



卯の花とくらき柳の対比!

2022-10-13 10:01:19 | 日記
令和4年10月13日(木)
黒川郡: 保 福 寺    
 保福寺は、寛文5(1665)年に
吉岡領主の奥山常辰が建立。

 山門は当時からのものという薬医門。

 境内には、奥山家累代の墓や、
後の吉岡領主となった但木家の成行の
墓と招魂碑があった。
 「保福寺」の参道は杉並木。  
 本堂は新しい。

「山門」の右手前に
芭蕉句碑、
      
「卯の花や 
  くらき柳の 
    およひこし」 
があった。
 境内もよく整備され、
名前の通り福が保持されている幸せを
味わうことができた。
 
 帰り道、境の所に、
二木の松が青空に栄え、
そびえ立っていたのが目にとまり、

車を停め、写真におさめる。