『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[映画『ハゲタカ』を観た]

2009-06-09 15:30:42 | 物語の感想
☆観終えて考えてみるに、クライマックスで、主人公・鷲津が仕掛けた「プチ・バブル崩壊」作戦は、斬新な手であったが、物語自体は至ってシンプルな、経済分野の映像作品や小説にはよく見られる展開だったと思う。

 いや、スポーツと同じで、表面上は、同じ様相を見せるのが「勝負物」なのかも知れない。

 しかし、最初から最後まで、こちらをグイグイと引っ張ってくれる作品構成因子に満ちた作品であった。

   ◇

 序盤は、これまで(テレビシリーズ)、徹底した合理主義で、企業の何たるかを求めつつ、企業を買い叩き続けていたファンドマネージャー鷲津が、南国で、半引退状態で暮らしているところから始まる。

 そこへ、盟友の芝野が、謎のファンドの買収を受けた日本の基幹企業・アカマ自動車を助けてくれと依頼に訪れる。

 短いカットインを繰り返し、その謎のファンド、中国政府の意向で動く男・劉の動きがタクティクスに語られる。

 そして、南国風の民族的BGMから、切羽詰ったような、不安と勇壮なる戦いの始まりのBGMへと変化しつつ、鷲津の復帰劇が描かれる。

 あたかも、ロッキーのカムバックのようで、こちらは胸を躍らされる。

 BGMは、その後も、中国風であったり、オペラであったり、中東風であったり、この物語のスケールと展開を裏打ちしてくれる。

   ◇

 感心するのは、映画を作る各構成因子に割かれた、製作のNHKの豊潤な予算である。

 くだんの音楽の重厚さもそうだが、

 ドキュメントタッチのざらついた暗い色調の映像にあって、贅沢に使われた予算での美術はリアリティを生む。

 これまでの邦画は、「本物」を、明るい中で、せっかくだからと、これみよがしに見せていたので、却って安っぽくなってしまった。

 「本物」は暗がりの中であっても光彩を放つ。

 そのような映像効果は、例えば、実際にはそうなのかも知れないが、映像的には、やや「秘密基地」の如き鷲津の事務所のディスプレイなどを説得力もって見せてくれる。

   ◇

 編集の仕方も独特であり、スピーディーである。

 例えば、劉の来歴を調べるために、鷲津の腹心が中国で調査をするのだが、劉の故郷と思われる場所が偽りであったと分かると、腹心は、サッと、帽子を被ろうとする。

 その帽子を被ろうとする瞬間に、画面が切り替わるのである。

 つまり、そこでの「用済み」を表現している。

 とても、無駄がなく、リズム感がある。

 作品は、そんな合理的なスタイリッシュさに満ちている。

 鷲津の性格が、編集ともシンクロしているのである。

 また、クライマックスでは、画面が切り替わり、すぐに、その後のシーンが見たいときには、あえて、画面を1秒ほど暗転させるのである。

 1秒の欠落は、映画の中では非常に長い。

 その「ため」は、見ているものの欲求を非常に高める。

 劇中で三度ほどあったか。

 作り手の計算なのだろうが、心憎くも、恐ろしいテクニックである。

   ◇

 鷲津の、自然なクールさは、無個性なようで、近年稀に見る個性的な役柄である。

 映画館を出た私は、ちょいと、主演の大森南朋に影響された表情を作っている自分を感じた。

 劉役のイケ面・玉山鉄二は、その清潔感が、中国的な臭いを持っていて、いいキャスティングだと思った。

 正体を見抜かれたときの怯えの表情が良かった。

 その最後は、『太陽にほえろ』の刑事殉職シーンを髣髴とさせた…。

 栗山千明は、美人だと思っていたが、顎の骨格の、頬への浮き出具合が気になった。

 「顎の骨格の頬への浮き出具合」が、伊藤淳史にクリソツだ^^;

 しかし、思えば、そもそも、「顎の骨格の頬への浮き出具合」の元祖は、この作品にも出ている嶋田久作ではないか!

   ◇

 この作品には、派遣切りやサブプライム問題など、タイムリーな時事がうまく盛り込まれていた。

 高良健吾演じる派遣工員は、物語の終盤では、赤いアカマGTに乗り、都会を走っている。

 私には、この後、この工員が、秋葉原に突っ込む未来が予感された。

     (注:ああ、私、高良工員が株価を眺めているシーンを忘れてました!
                     彼は株で儲けたのですね^^;アチャー)

 ・・・工員としての高良はリアルだが、このようなタイプは組合運動などはしないと思う。

   ◇

 つくづく、私は、時代の渦中で生きていると思っている。

 私は、派遣社員として、車体組立工場で働いていたこともある。

 もっとも、私が車体工場で働いていた頃は、派遣法が改悪(労働者にとって)される前で、月に50万円稼ぐことも可能であった。

 私は、常に必要とされていた。

 だが、その後、他の現場での、派遣社員の苦境を見、戦ったことがある。

 このネットの世界を舞台に主張を発信して、である。

 結果は勝利。

 私は常に勝利する。

 そして、すぐに、その勝利に固執しないで去る。

 故に、作中の派遣工員のような「ピエロ」になることはない。

 鷲津は、物語の終盤で「後はお任せします」と、直ちに退席する。

 対して、劉は、アカマ自動車への理想と、中国政府の非情との狭間で、ピエロとなって野垂れ死ぬ。

 ・・・悲しいかな、ピエロとは、アイデンティティーを喪失したものの右往左往である。

                           (2009/06/09)

[私の1991年のメモ日記・10「沖縄/後篇・外間先生」]

2009-06-09 13:45:02 | 1991年の日記
☆最近発売の、小林よしのりの『天皇論』を読んでいたら、この「1991年の日記」シリーズに度々登場する、大学時代のゼミの教授・外間守善先生が出てきた。

 その、慎重な語り口も、マンガでうまく描写されていたので、私は懐かしく思った。

          

 外間先生については、他にエントリーした内容があるので、近日、アップします(批判ですけど…)。

 では、「1991年の日記」の再々掲です・・・、が、その前に、また、余計な文章が付いてますな^^;

 再掲のときに、付けた文章です^^;

 私のサービス精神です!

   ◇   ◇

☆これは、<2005/07/15>のエントリーの再掲です。

     #     #     #     #     #

▼かなり極まった・・・。

 写真上、典型的な「男前」の私だが、後ろから見ると、つむじが広がっている。

 そう、「頭の砂漠化」が始まっているのだ。

 私の家系は、オデコこそ後退する血筋であるが、ザビエルのような禿げ方をしている者はいない。

 私がアルシンド化(古い^^;)しつつある原因は三つ考えられる。

   1・チェルノブイリ後遺症。

 高校時代、私は、長時間の自転車通学をしていた。

 帰宅時などは、多少の雨だったら、雨粒に打たれるがままにしていた。

『おい、蘭! チェルノブイリ事故の放射能が、ジェット気流で日本にまで来てるってよ。雨に濡れたら、ハゲになっちゃうぞ』

『その時はその時だよ^^』

 ・・・若かった・・・^^;

   2・三十路の茶髪

『蘭さん、結構似合ってますね^^ 茶髪^^』

 私は、自分の顔を鏡に映しながら、ちょっと感動していた^^

『こ、これは・・・、可愛い・・・^^』

 そして、次第に、茶髪から金髪へと髪の色がエスカレートしていくのだった。

 髪は痛み、地肌に悪影響が起こり、地軸は捻じ曲がり、五つあった大陸はことごとく引き裂かれ水没していくのだった・・・(途中から『未来少年コナン』のオープニングナレーションが混じった^^;)。

   3・ヘルメット

 私は、『安全第一』が掲げられる職場で働くことが多かった。

 夏・・・! ヘルメットの中の頭皮は蒸され、肉まんあんまんの様にふやけ、髪の毛をガッチリと捉えていた毛穴を弛緩させていくのだった・・・。

 ・・・でも、イイのである。

 これで私も、名実ともに<保守派>の仲間入りだ^^

 左翼の非道横暴に怒り、血を頭にのぼらせる保守派は、その血液循環を阻害し、頭の毛を喪失した方が多い。

 いや、良くない!

 私はまだ結婚していないのだ!

 姜尚中ならば、いつものハスキーヴォイスで私にこう言うだろう。

    【そんな頭じゃ、結婚もままなりませんよ】

   ◇

   ☆10月5日(土)

「蘭さんは、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の主役に似ていますよね^^」と、昨夜、可愛い斉藤さんは確かに言ってきた。その映画は、香港の悲恋話だ。その主人公は、二枚目だった・・・。
僕は「そんなことないですよ^^;」と謙遜した。すると、まん丸顔の斉藤さんは言ったのだ。 【「いいえ、似ていらっしゃる」】・・・。
「似ていらっしゃる^^」「似ていらっしゃる^^」「似ていらっしゃる^^」・・・。
僕はにやけながら寝た。
午前の間に海で泳ぐ。あまり日は差していなかったが、水温は具合良く、水の中にはウニやナマコがいた。ある人たちがウニを割っていた。僕もウニ味噌にありつこうと近寄った。だが、中には、変な赤い身があっただけだった。
誰かの言った「あ~あ、さっきまで生きていたのに・・・」の言葉がもの悲しかった。
船とバスを乗り継ぎ、今帰仁方面へ、疲れて寝てしまった。途中でソーキそばを食う。油っぽくてうまいスープだったが、メンがいまいちだった。
午後の海浜公園では、水族館がとても面白かった。4m位のジンベエザメが泳ぎ回っていて、その腹にはコバンザメがちゃっかしくっついている。南洋の色とりどりの異形の魚たち・・・。
アクアポリスは、「だから何!?」って程度のものだった。
夜は飲み会。チームがカラオケ優勝、僕は何もしないで、優勝商品、一万円相当のブローチを貰う。誰かが、そのブローチを見て言った。「あっこれ、アメ横で見た!」^^

   ☆10月6日(日)

朝から今帰仁城へ、万里の長城みたいな城壁がかっこ良い。
次に、何か忘れたが、山の中の墓みたいな所に行く。
民俗資料館の?さんが、その帰りの山歩きの時、僕の横に来て、しきりに僕を勧誘する。
「H先生(ゼミ教授)の仕事は、上には上がいるけど、僕の仕事は、自分で切り広げられるんだ。パイオニアになれるんだ。君、興味があったら、僕の仕事の仲間にならないか?」
僕に、今後、何もしたいことがなければ、数年後に彼を訪ねよう。
今帰仁の山頂からの風景は、雲が出ていたのにもかかわらず爽快だった。風が強くって吹き飛ばされそう。
夜、石垣島に行く連中と別れ、僕は孤独になっちゃった。寂しいのだが、そのままではつまらない。さっそく本島に残った連中と友好を深める。
内園君はいい奴ですぐに仲良くなる。根川君は、ユネスコで、コスタリカに植林に行ったことがあるそうで、英語でメキシコ人の彼女に手紙を書いている。
うらやましい・・・。実は、斉藤さんに、その後、こちらから世間話を仕掛けてみたのだが、斉藤さん、何となくそっけなかった・・・。
夜に観覧した琉球舞踊は、いまいち退屈だったが、瞳の真っ直ぐさは良かった。歌いもなかなかだった。

   ☆10月8日(火)
最終日8日、みんなとショッピング! 国際通り、市場通りは臭い^^;
市場では、ステーキ牛肉を実家に送る。10枚で送料込み5000円。
市場の二階では庶民的なものを食う。僕は『ミソ汁』400円を注文。味が濃くて旨かったア。
『コンピーフおかず』『ペーコンおかず』と言うメニューには笑った。
酔いどれ軍団は、かくして東京に帰った。アパートに戻る。なんか寂しくなった。そして、お調子者の自分にやや自己嫌悪^^;

   ☆10月9日(水)
久し振りのバイト、菅君とも久々に会う。専務と奥さんとも話が弾む。
夜7時、池袋の芸術座で、稲さんの出演している『真夏の夜の夢』を観た。
シェイクスピアの戯曲はちゃんと抑え、時折オリジナル要素も交え、とても楽しめた。
でも、僕の心に深く喰いこんで来るほどのものではなかった。菅君は、芸人志向なので、稲さんの名演に、かなり衝撃を受けたようだった。
僕は、今、人気の劇団全てがこの程度ならば、怖るるに足らずと思った。

                                 (2005/7/15)

   ◇

 「1991年の日記」シリーズは、まだまだ続きます!

                               (2009/06/09)

[よその三姉妹(15・ニュージーランド篇④)]

2009-06-09 01:00:27 | 海の向こうでの冒険
☆前回から直接に続いているので、前回「その14」(クリック!)を読み直してね^^

   ◇

 ・・・どうにか、無難に終えられた。

 しかし、エリオット、

          『Again!(もっと!)』。

 僕は疲れたので、ソファにドッカと腰を下ろした。

 なのに、エリオット!!

 後ずさりした後、助走して突っ込んで来たぁぁああああ!!!

  

       

            

 はっきり言って「超危険!」。

 しかし、相手は他人の子。

 僕は自分を顧みず、エリオットを守らなくちゃならない^^;

 後に、サチ嬢、語る。

「エリオットと遊ぶことは、生と死が隣り合わせって感じだよね。

     一つ間違えれば、とても危険なんだよね。

          それは、綱渡り(タイトロープ)みたいなもの・・・」

   ◇

 続きます!^^;

                          (2009/06/09)