☆部屋の掃除中に見つかった「週刊女性(1999/01)」、「菅直人の愛人」ネタが載ってました^^v
◇
民主党を安全地帯に逃がしてはダメで、ここは畳み掛けなくてはいけない。
政状は、民主党の新代表を決める態勢に入っていて、それまでのお粗末な民主党のやり方が早くも霞みはじめている。
鳩山の辞意(自慰)表明では、やたらと、「政治と金の決別」が語られ、「クリーンな政治」が連呼された。
先の衆議院選挙では、それ以前の、行動を伴った小泉元首相のワンフレーズ連呼にあやかってか、民主党は「政権交代」を連呼した。
党首の鳩山は、その後も、「命を守りたい」とか、「国民の生活第一」とか、フレーズを連呼した。
それが全く実のない発言であることはもう分かっている。
◇
例えば、口蹄疫の対策一つとっても、だ。
病気にかかった牛や豚の処分はやむを得ないだろう。
起こっちまったものはしょうがない。
しかし、その後、あれだけ大問題になった自民党時代の被害頭数を、数百倍上回る被害を出すに至るは、もう、これは民主党政権による「メガ人災」である。
「命を守りたい」も何もあったものじゃない。
これは、結果的な「大虐殺」だ。
埋められた牛や豚の姿は、何かの疫病が流行ったときの、民主党においての「国民の生活第一」のパンデミックの帰結の姿である。
赤松の深刻な状況に対してのニヤケ笑いの外遊や、その代理大臣であった福島瑞穂の無策はもとより、原口一博総務相による「風評被害防止」に名を借りた「報道規制」・・・。
被害がこれだけ極大になってしまうと、もはや、「風評被害」の問題ではないのである。
この、大問題にあたっての、対策のバランスの悪さが、民主党の「KY政治」の根源である。
その認識の帰結のジェノサイドが、おそらく、今回の党首選、その次の党首選に名が挙がるだろう原口の「生き方」である。
「臭いものに蓋」が民主党の本質。
阪神淡路大震災の起こった朝、そのテレビニュースを見ながら「大変だねぇ」とヘラヘラ笑っていた、ときの連立政権以下である。
◇
菅は、昨日の代表選の出馬表明の中で、「・・・小沢幹事長についてもですね、ある意味ではしばらくそうした国民の皆さんにとってのですね、ある種のこの不信を招いたことについて、少なくともしばらくは静かにしていただいたほうが、ご本人にとっても、民主党にとっても、日本の政治にとっても良いのではないかと、このように考えております・・・」とほざいたそうだが、この軽口が、こいつの本質である。
事業仕分けの時の蓮舫の舌鋒と同根である。
ちなみに、7歳の姪は、テレビ放送されていた事業仕分け時の蓮舫の姿を見て、「この人嫌い」と呟いていた。
菅は「・・・本来の民主党の姿に戻す・・・」などとも言っていたが、「本来の」って何だよ。
お前ら、菅・岡田・前原の「3バカ」は、この八ヶ月間、小沢の忠実な犬の如く過ごしてきてただろ?
それが「本来の姿」じゃん。
◇
鳩山の、「クリーン」という言葉の連呼を聞くにつけ、私は、マンガ『ドカベン』の<クリーンハイスクール>を思い出す。
この、新興高校は、高校野球で名を売るべく、甲子園優勝したドカベン山田擁する明訓高校に卑劣な嫌がらせを仕掛けまくる。
甲子園優勝旗を強奪して山田を試合に出ないように脅迫したり、外野から明訓のバッターに向かって鏡を反射させたり、ホームラン性のあたりを、地方球場が小さいことをいいことに外野からさりげなく押し返したり、また、昭和51年の作品だが、この頃には珍しい黒人助っ人を留学生として入学させたりしていた。
それを読んでいた少年時の私は、「クリーン」という、軽い響きの、この物語における、悪事を糊塗するかのごとき片仮名への言い換えには、一線をおくようになった。
作者の水島新司は、その、外来語の胡散臭さを敏感に感じ取っていたのだと思う。
それが、その時代の感受性だったのだ。
その時代の空気を代表してるから、その一点を考えただけでさえも、『ドカベン』は名作なのだ。

民主党は、選挙公約を「マニフェスト」と言い換えた。
その言葉を連呼し、浸透させたのが、菅直人である。
そして、そもそもが、小泉の「郵政選挙」連呼に敗北したのが、民主党の「マニフェスト選挙」連呼である。
何故、負けたのか?
それは、良くも悪くも行動の伴っていた小泉自民党に対し、言葉だけのイメージの民主党だったからだ。
そして、民主党ののたまう、「マニフェスト」の実像のなさは、みんな、この八ヶ月間でよく分かっただろう。
その言葉の首謀者は、菅直人だと繰り返しておく。
次の参院選で負けて、また、お遍路に逝けば良いのにね^^;
(2010/06/04)
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民主党を安全地帯に逃がしてはダメで、ここは畳み掛けなくてはいけない。
政状は、民主党の新代表を決める態勢に入っていて、それまでのお粗末な民主党のやり方が早くも霞みはじめている。
鳩山の辞意(自慰)表明では、やたらと、「政治と金の決別」が語られ、「クリーンな政治」が連呼された。
先の衆議院選挙では、それ以前の、行動を伴った小泉元首相のワンフレーズ連呼にあやかってか、民主党は「政権交代」を連呼した。
党首の鳩山は、その後も、「命を守りたい」とか、「国民の生活第一」とか、フレーズを連呼した。
それが全く実のない発言であることはもう分かっている。
◇
例えば、口蹄疫の対策一つとっても、だ。
病気にかかった牛や豚の処分はやむを得ないだろう。
起こっちまったものはしょうがない。
しかし、その後、あれだけ大問題になった自民党時代の被害頭数を、数百倍上回る被害を出すに至るは、もう、これは民主党政権による「メガ人災」である。
「命を守りたい」も何もあったものじゃない。
これは、結果的な「大虐殺」だ。
埋められた牛や豚の姿は、何かの疫病が流行ったときの、民主党においての「国民の生活第一」のパンデミックの帰結の姿である。
赤松の深刻な状況に対してのニヤケ笑いの外遊や、その代理大臣であった福島瑞穂の無策はもとより、原口一博総務相による「風評被害防止」に名を借りた「報道規制」・・・。
被害がこれだけ極大になってしまうと、もはや、「風評被害」の問題ではないのである。
この、大問題にあたっての、対策のバランスの悪さが、民主党の「KY政治」の根源である。
その認識の帰結のジェノサイドが、おそらく、今回の党首選、その次の党首選に名が挙がるだろう原口の「生き方」である。
「臭いものに蓋」が民主党の本質。
阪神淡路大震災の起こった朝、そのテレビニュースを見ながら「大変だねぇ」とヘラヘラ笑っていた、ときの連立政権以下である。
◇
菅は、昨日の代表選の出馬表明の中で、「・・・小沢幹事長についてもですね、ある意味ではしばらくそうした国民の皆さんにとってのですね、ある種のこの不信を招いたことについて、少なくともしばらくは静かにしていただいたほうが、ご本人にとっても、民主党にとっても、日本の政治にとっても良いのではないかと、このように考えております・・・」とほざいたそうだが、この軽口が、こいつの本質である。
事業仕分けの時の蓮舫の舌鋒と同根である。
ちなみに、7歳の姪は、テレビ放送されていた事業仕分け時の蓮舫の姿を見て、「この人嫌い」と呟いていた。
菅は「・・・本来の民主党の姿に戻す・・・」などとも言っていたが、「本来の」って何だよ。
お前ら、菅・岡田・前原の「3バカ」は、この八ヶ月間、小沢の忠実な犬の如く過ごしてきてただろ?
それが「本来の姿」じゃん。
◇
鳩山の、「クリーン」という言葉の連呼を聞くにつけ、私は、マンガ『ドカベン』の<クリーンハイスクール>を思い出す。
この、新興高校は、高校野球で名を売るべく、甲子園優勝したドカベン山田擁する明訓高校に卑劣な嫌がらせを仕掛けまくる。
甲子園優勝旗を強奪して山田を試合に出ないように脅迫したり、外野から明訓のバッターに向かって鏡を反射させたり、ホームラン性のあたりを、地方球場が小さいことをいいことに外野からさりげなく押し返したり、また、昭和51年の作品だが、この頃には珍しい黒人助っ人を留学生として入学させたりしていた。
それを読んでいた少年時の私は、「クリーン」という、軽い響きの、この物語における、悪事を糊塗するかのごとき片仮名への言い換えには、一線をおくようになった。
作者の水島新司は、その、外来語の胡散臭さを敏感に感じ取っていたのだと思う。
それが、その時代の感受性だったのだ。
その時代の空気を代表してるから、その一点を考えただけでさえも、『ドカベン』は名作なのだ。

民主党は、選挙公約を「マニフェスト」と言い換えた。
その言葉を連呼し、浸透させたのが、菅直人である。
そして、そもそもが、小泉の「郵政選挙」連呼に敗北したのが、民主党の「マニフェスト選挙」連呼である。
何故、負けたのか?
それは、良くも悪くも行動の伴っていた小泉自民党に対し、言葉だけのイメージの民主党だったからだ。
そして、民主党ののたまう、「マニフェスト」の実像のなさは、みんな、この八ヶ月間でよく分かっただろう。
その言葉の首謀者は、菅直人だと繰り返しておく。
次の参院選で負けて、また、お遍路に逝けば良いのにね^^;
(2010/06/04)