『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
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[文部科学省検定中の教科書を公開するは犯罪]

2010-06-25 23:42:15 | 保守の一考
☆すいませんね、この記事も分かる人だけ分かればよい。

 かつて(2001年)、検定中の扶桑社の教科書(表紙も出来ていない状態の、いわゆる「白表紙本」)が、左翼によって公開されたとき、保守派は「ルール違反」だと抗議したものだ。

 でも、今や、いちお保守を標榜する「新しい歴史教科書をつくる会」の会長自ら、第三者(部外者)に白表紙本(ゲラ)を公開してしまうような時代になってしまいました。

 比留間文彦という男が、自身のブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/fhiruma/12563007.html)でかように記している。

「藤岡信勝先生からは、これから文部科学省の検定に供される前の教科書のゲラをお見せ頂きました」

 藤岡信勝・・・現「つくる会」会長、自称・拓殖大学教授。

 これが本当ならばルール違反だろうし、これが嘘ならば「流言の流布」なので、「つくる会」は、お得意の法的措置を取るべきだろう。

 まあ、どうでもいいけどね。

 なお、私は、「つくる会」と袂を分かち合った「日本教育再生機構(≒扶桑社・育鵬社・教科書改善の会)」を支持する者である。

                                         (2010/06/25)

[映画『オーケストラ!』を観た]

2010-06-25 16:28:59 | 物語の感想
☆素晴らしい映画だった。

 クライマックスでは、悲しみでなく、その、個々の人生が経た映像の密度の濃さで泣けてしまった。

 30年前、ソ連はブレジネフ政権下の民族・文化弾圧で、名門楽団の指揮者の地位を追われた主人公アンドレ・・・、今は楽団の用務員をしているが、音楽への渇望は強い。

 支配人の部屋を掃除していると、パリの有名な劇場からのオファーのFAXが届く。

 アンドレは、そのFAXを懐にしのばせ、30年前に解散の憂き目にあったオーケストラチームを再結集し、パリに乗り込むのだった・・・。

 彼には、30年前に果たせなかった夢と、30年前から気がかりになっていた「存在」があった。

 文字通りの指揮者が、集団を、物理的にも精神的にも高みに連れて行こうとする様は、いついかなるときでも圧巻で、燃える!

 メンバー集めと言うのは、このような群像勝負物の前半の興味だが、オーケストラメンバー総勢60人と言うのは、今までにない大所帯だ。

 「ザ・コミットメンツ」の6倍ぐらいだ^^;

 アンドレは、音楽とは別の下層の職についている、かつてのオーケストラメンバーを集めていく。

 一人一人を描いている暇はないが、展開のテンポは良く、

 マネージャーがいないとなると、30年前にアンドレらの楽団に引導を渡した共産党員の男を、そのコネの多さから仲間にしたり、

 また、前払いをしてくれない劇場に不安を感じた主人公らは、チェロを「下手の横好き」でたしなむロシアのガス王をスポンサー兼楽団員として仲間に引き込むことにしたりと、人数が多いのに、一人の人物への属性を作品上ふんだんに盛り込む。

 30年前の悲劇は、主人公がユダヤ人を庇ったことに起因しているのだが、当のユダヤ人メンバーたちは、小銭儲けのことばかり考えている^^;

 物語は、良く言えば、至ってテンポ良く、悪く言えばご都合主義で進むのだが、それが、オーケストラを彩るファンタジーと言うか寓話性を高めてくれる。

 また、アンドレの奥さんは、集会への「サクラ」の調達派遣を生業にしているのだが、共産党集会やヤクザの結婚式の場面などは、必ず、物語の進行を促進させることに代表できていることで分かると思うが、場面場面の密度の濃さは特筆で、この二時間ちょいの作品の見応えは大きい。

 パリについてからは、30年前の事件の渦中で生まれた、現在は有名なヴァイオリニストとなっているアンヌ・マリー嬢が現われるのだが、この女優が美しい。

 瞳が美しい。

 高貴なのである。

 ・・・と、帰宅してから調べたら、『イングロリアス・バスターズ』に出ていたメラニー・ロランで、その映画の感想で私は同じことを書いていた^^;

 アンヌ・マリーが出てきてから、私は画面に釘付けで、最後の最後まで、楽団メンバーのいい加減さによって、上演が危ぶまれるのだが、

 そのこととは別に、どうやら、自分の出生には重要な秘密があると、心に引っかかり、美女が美しくも苦悩するさまに引きつけられ続けた。

 それまで、アンヌ・マリーの出自は、アンドレによって、見ている私らには言葉で語られるも、その具体的な「経緯」は描かれない。

 だから、好奇心は、観客である私たちとアンヌ・マリー、同じシンクロを果たすのだ。

 しかし、アンドレの親友が、出演を渋るアンヌ・マリーに、「コンサートの終わりに明らかになることもあるんじゃないか・・・」の言葉どおり、クライマックスのオーケストラの演奏で、過去と現在と、目の前の場所と遠くの場所がスパークする。

 30年前、命の危険にあった赤ちゃんが、弦楽器のケースの中に収まり亡命を果たしていた図は、もう「音楽の申し子」的意味合いとともに感動しきり。

 説得力はチャイコフスキーの「バイオリン協奏曲」の演奏、いいですね^^

 序盤は、聞くだけで下手と分かり、それが、途中から、アンヌ・マリーの名演に引き寄せられ、素晴らしく変貌する。

 言葉で語られずとも、聞くだけでうまい演奏だと分かる。

 この演奏が、見ている者に響かなかったら、この作品は佳作どまりだったでしょう。

 その名演は、30年前に、獄中死したアンヌ・マリーの母親、・・・楽団の大事な仲間の姿と、メンバーにとっては二重写しになっていた。

 だから、腕がさびついていたメンバーも、かつての現役時代の演奏を取り戻すことになったのだろう。

 しかも、この演奏中に、エピローグ(未来)もモンタージュさせる作り手のイメージは素晴らしい。

 久々に「映画」を堪能した^^

                                         (2010/06/25)