☆最近発売の、小林よしのりの『天皇論』を読んでいたら、この「1991年の日記」シリーズに度々登場する、大学時代のゼミの教授・外間守善先生が出てきた。
その、慎重な語り口も、マンガでうまく描写されていたので、私は懐かしく思った。
外間先生については、他にエントリーした内容があるので、近日、アップします(批判ですけど…)。
では、「1991年の日記」の再々掲です・・・、が、その前に、また、余計な文章が付いてますな^^;
再掲のときに、付けた文章です^^;
私のサービス精神です!
◇ ◇
☆これは、<2005/07/15>のエントリーの再掲です。
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▼かなり極まった・・・。
写真上、典型的な「男前」の私だが、後ろから見ると、つむじが広がっている。
そう、「頭の砂漠化」が始まっているのだ。
私の家系は、オデコこそ後退する血筋であるが、ザビエルのような禿げ方をしている者はいない。
私がアルシンド化(古い^^;)しつつある原因は三つ考えられる。
1・チェルノブイリ後遺症。
高校時代、私は、長時間の自転車通学をしていた。
帰宅時などは、多少の雨だったら、雨粒に打たれるがままにしていた。
『おい、蘭! チェルノブイリ事故の放射能が、ジェット気流で日本にまで来てるってよ。雨に濡れたら、ハゲになっちゃうぞ』
『その時はその時だよ^^』
・・・若かった・・・^^;
2・三十路の茶髪
『蘭さん、結構似合ってますね^^ 茶髪^^』
私は、自分の顔を鏡に映しながら、ちょっと感動していた^^
『こ、これは・・・、可愛い・・・^^』
そして、次第に、茶髪から金髪へと髪の色がエスカレートしていくのだった。
髪は痛み、地肌に悪影響が起こり、地軸は捻じ曲がり、五つあった大陸はことごとく引き裂かれ水没していくのだった・・・(途中から『未来少年コナン』のオープニングナレーションが混じった^^;)。
3・ヘルメット
私は、『安全第一』が掲げられる職場で働くことが多かった。
夏・・・! ヘルメットの中の頭皮は蒸され、肉まんあんまんの様にふやけ、髪の毛をガッチリと捉えていた毛穴を弛緩させていくのだった・・・。
・・・でも、イイのである。
これで私も、名実ともに<保守派>の仲間入りだ^^
左翼の非道横暴に怒り、血を頭にのぼらせる保守派は、その血液循環を阻害し、頭の毛を喪失した方が多い。
いや、良くない!
私はまだ結婚していないのだ!
姜尚中ならば、いつものハスキーヴォイスで私にこう言うだろう。
【そんな頭じゃ、結婚もままなりませんよ】
◇
☆10月5日(土)
「蘭さんは、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の主役に似ていますよね^^」と、昨夜、可愛い斉藤さんは確かに言ってきた。その映画は、香港の悲恋話だ。その主人公は、二枚目だった・・・。
僕は「そんなことないですよ^^;」と謙遜した。すると、まん丸顔の斉藤さんは言ったのだ。 【「いいえ、似ていらっしゃる」】・・・。
「似ていらっしゃる^^」「似ていらっしゃる^^」「似ていらっしゃる^^」・・・。
僕はにやけながら寝た。
午前の間に海で泳ぐ。あまり日は差していなかったが、水温は具合良く、水の中にはウニやナマコがいた。ある人たちがウニを割っていた。僕もウニ味噌にありつこうと近寄った。だが、中には、変な赤い身があっただけだった。
誰かの言った「あ~あ、さっきまで生きていたのに・・・」の言葉がもの悲しかった。
船とバスを乗り継ぎ、今帰仁方面へ、疲れて寝てしまった。途中でソーキそばを食う。油っぽくてうまいスープだったが、メンがいまいちだった。
午後の海浜公園では、水族館がとても面白かった。4m位のジンベエザメが泳ぎ回っていて、その腹にはコバンザメがちゃっかしくっついている。南洋の色とりどりの異形の魚たち・・・。
アクアポリスは、「だから何!?」って程度のものだった。
夜は飲み会。チームがカラオケ優勝、僕は何もしないで、優勝商品、一万円相当のブローチを貰う。誰かが、そのブローチを見て言った。「あっこれ、アメ横で見た!」^^
☆10月6日(日)
朝から今帰仁城へ、万里の長城みたいな城壁がかっこ良い。
次に、何か忘れたが、山の中の墓みたいな所に行く。
民俗資料館の?さんが、その帰りの山歩きの時、僕の横に来て、しきりに僕を勧誘する。
「H先生(ゼミ教授)の仕事は、上には上がいるけど、僕の仕事は、自分で切り広げられるんだ。パイオニアになれるんだ。君、興味があったら、僕の仕事の仲間にならないか?」
僕に、今後、何もしたいことがなければ、数年後に彼を訪ねよう。
今帰仁の山頂からの風景は、雲が出ていたのにもかかわらず爽快だった。風が強くって吹き飛ばされそう。
夜、石垣島に行く連中と別れ、僕は孤独になっちゃった。寂しいのだが、そのままではつまらない。さっそく本島に残った連中と友好を深める。
内園君はいい奴ですぐに仲良くなる。根川君は、ユネスコで、コスタリカに植林に行ったことがあるそうで、英語でメキシコ人の彼女に手紙を書いている。
うらやましい・・・。実は、斉藤さんに、その後、こちらから世間話を仕掛けてみたのだが、斉藤さん、何となくそっけなかった・・・。
夜に観覧した琉球舞踊は、いまいち退屈だったが、瞳の真っ直ぐさは良かった。歌いもなかなかだった。
☆10月8日(火)
最終日8日、みんなとショッピング! 国際通り、市場通りは臭い^^;
市場では、ステーキ牛肉を実家に送る。10枚で送料込み5000円。
市場の二階では庶民的なものを食う。僕は『ミソ汁』400円を注文。味が濃くて旨かったア。
『コンピーフおかず』『ペーコンおかず』と言うメニューには笑った。
酔いどれ軍団は、かくして東京に帰った。アパートに戻る。なんか寂しくなった。そして、お調子者の自分にやや自己嫌悪^^;
☆10月9日(水)
久し振りのバイト、菅君とも久々に会う。専務と奥さんとも話が弾む。
夜7時、池袋の芸術座で、稲さんの出演している『真夏の夜の夢』を観た。
シェイクスピアの戯曲はちゃんと抑え、時折オリジナル要素も交え、とても楽しめた。
でも、僕の心に深く喰いこんで来るほどのものではなかった。菅君は、芸人志向なので、稲さんの名演に、かなり衝撃を受けたようだった。
僕は、今、人気の劇団全てがこの程度ならば、怖るるに足らずと思った。
(2005/7/15)
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「1991年の日記」シリーズは、まだまだ続きます!
(2009/06/09)