撮影場所 岡山市 国鉄岡山操車場
蒸気機関車が伯備線に走っていた頃、岡山操車場から倉敷駅まで回送列車が三重連で毎日
運行されていた。山陽線を回送されて走るのだがダイヤが過密なため三台を連結して倉敷まではしらせた。岡山操車場は広いヤードを持っていた。これがいまだに有効な利用方法がない。
都会の操車場は商業施設に生まれ変わっている。
回送の貨物列車が発車するところには架線がなく撮影には好都合だった。
操車場を跨ぐ跨線橋もあり撮影にき好都合だった。荷も軽いのに蒸気機関車はいい煙を吐いてくれた。
岡山駅から操車場までは歩くと30分以上かかる。途中岡山機関区に立ち寄り写真を撮ってきた。
ここへは何度も足を運んだ蒸気機関車が無くなるとこんな光景も見られないと思うと力が入った。時間が十分あったのだから今は無くなった貨物や客車、電気機関車も詳しく撮っておくべきだった。蒸気機関車だってD51であろうとすべての機関車を撮っておくと晩年になりそれを一台づつ眺めると楽しかっただろう。人間は無くなって初めて気づく事が多い。
蒸気機関車が伯備線に走っていた頃、岡山操車場から倉敷駅まで回送列車が三重連で毎日
運行されていた。山陽線を回送されて走るのだがダイヤが過密なため三台を連結して倉敷まではしらせた。岡山操車場は広いヤードを持っていた。これがいまだに有効な利用方法がない。
都会の操車場は商業施設に生まれ変わっている。
回送の貨物列車が発車するところには架線がなく撮影には好都合だった。
操車場を跨ぐ跨線橋もあり撮影にき好都合だった。荷も軽いのに蒸気機関車はいい煙を吐いてくれた。
岡山駅から操車場までは歩くと30分以上かかる。途中岡山機関区に立ち寄り写真を撮ってきた。
ここへは何度も足を運んだ蒸気機関車が無くなるとこんな光景も見られないと思うと力が入った。時間が十分あったのだから今は無くなった貨物や客車、電気機関車も詳しく撮っておくべきだった。蒸気機関車だってD51であろうとすべての機関車を撮っておくと晩年になりそれを一台づつ眺めると楽しかっただろう。人間は無くなって初めて気づく事が多い。