撮影場所 熊本県 肥薩線矢岳駅(やだけ)
肥薩線は大きな峠越えの難所がある。大畑ループである。
それから矢岳越えまで登りが続く。熊本県、宮崎県、鹿児島県の入り混じったところである。
矢岳駅で列車の交換があり一時停車、上り列車に乗り込む担ぎ屋さん。
農産物などを人吉や八代に運びお得意さんに売り歩く。
昭和40年代はおばちゃんの担ぎ屋が一番列車に沢山乗り込んできた。
余り撮影していない。朝の薄暗い時間帯でもあり自分にそれを撮る感性が無かったのであろう。
撮って置けば時代の記録簿になったはずだ。
画家の岡村太郎氏は昭和35年頃、全国各地の風土記をカメラで撮り雑誌に連載している。
その写真に駅のホームの担ぎ屋のおばちゃんを沢山撮っている。
風土記と言いながら人の暮らしに目を向けているのに心打たれる。
戦後の食糧難で田舎から都会へ売り込みに行った。都会から田舎に闇米を買い出しにも行った。
それは戦後30年は続いていた。
一年位前NHKの小さな旅を見ていたら茨城県から東京の銀座まで担ぎ屋をやっているオバアチャンがいる。中学の孫が休みの時は担ぐを手伝ってもらう。
はずかしい年ごろの中学生が手伝うのはなかなかできるものでない。
流通の進んだ現在に電車賃を使いどれほどの儲けになるのかとおもってしまう。
人との出会いや交流や生きがいのためにやっているように思う。
肥薩線は大きな峠越えの難所がある。大畑ループである。
それから矢岳越えまで登りが続く。熊本県、宮崎県、鹿児島県の入り混じったところである。
矢岳駅で列車の交換があり一時停車、上り列車に乗り込む担ぎ屋さん。
農産物などを人吉や八代に運びお得意さんに売り歩く。
昭和40年代はおばちゃんの担ぎ屋が一番列車に沢山乗り込んできた。
余り撮影していない。朝の薄暗い時間帯でもあり自分にそれを撮る感性が無かったのであろう。
撮って置けば時代の記録簿になったはずだ。
画家の岡村太郎氏は昭和35年頃、全国各地の風土記をカメラで撮り雑誌に連載している。
その写真に駅のホームの担ぎ屋のおばちゃんを沢山撮っている。
風土記と言いながら人の暮らしに目を向けているのに心打たれる。
戦後の食糧難で田舎から都会へ売り込みに行った。都会から田舎に闇米を買い出しにも行った。
それは戦後30年は続いていた。
一年位前NHKの小さな旅を見ていたら茨城県から東京の銀座まで担ぎ屋をやっているオバアチャンがいる。中学の孫が休みの時は担ぐを手伝ってもらう。
はずかしい年ごろの中学生が手伝うのはなかなかできるものでない。
流通の進んだ現在に電車賃を使いどれほどの儲けになるのかとおもってしまう。
人との出会いや交流や生きがいのためにやっているように思う。