懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

東京大空襲 583枚の記録 趣味の記録帳

2021年03月13日 | 日記
東京大空襲 583枚の記録 趣味の記録帳

テレビやラジオ、人から聞いた話を趣味の記録帳に書き留めている。
今後の写真の撮影のヒントにするため記録した。
5年前に字が書けなくなり21冊でおわった。

2012.3.18  NHK特集 東京大空襲 583枚の記録より。
戦後67年して文京区の民家の天井裏から東京大空襲を撮ったネガ583枚が発見された。
撮影したのは東方社 部長は木村伊兵衛氏 (写真家 土門拳とともに巨匠)
陸軍に従軍しプロパガンダの写真を撮影していた。
戦後GHQに戦犯にされるのを、恐れネガはすべて焼却されたと思われた。
しかし、67年ぶりに東京大空襲の記録が発見された。
木村氏も全部焼却されたと思ったのか。
作風は木村氏の視点で撮られている。
風景より市民の生活を撮影している。空爆の後の片付け風景や犠牲者の仮設の祭壇で葬儀、昼間火の手が上がり避難の人々

木村伊兵衛のことば 現場で起きている事を後世に残す.50年後、100年後に役に立つ。 

東京の空襲は昭和19年11月24日 荏原の工場群を爆撃。しかし、爆弾でピンポイントでは攻撃精度もわるい。アメリカは日本の木造家屋焼失させる焼夷弾をユタ州で実験。
軍需工場、飛行場、軍港の攻撃から無差別攻撃にかわった。
昭和20年3月10日 東京大空襲 32万発の焼夷弾を投下 死者10万と言われているが正確にはわからない。その攻撃はカーペットボング(絨毯爆弾)といわれた。

昭和20年5月20日 3月10日より更に大量の焼夷弾を投下した。
5月末には東京の都市部の半分が焼失した。
東京の空襲は大空襲だけでなく100回に及ぶ。
戦争末期には日本の地方都市を焼き尽くし、広島、長崎の原爆投下となる。
ポツダム宣言で敗北を認めれば60万が死なくて良かった。軍首脳陣が自殺し天皇も責任を取ってほしかった