撮影場所 兵庫県北条町(現在は加西市)
北条の五百羅漢に立ち寄った。中国道の高速道路脇にある。
もう夕暮れだった。住職が数多くの石仏に読経とともに手を合わせていた。
素人が彫った余り上手くない石仏がならぶ、下手なだけに庶民の苦しみや幸せを願う気持ちが溢れているように思う。
「親が見たけりゃ北条の西の五百羅漢の堂に御座れ」と謳われている。
若く死に別れた親や晩年になりもう一度親に会いたいと願った者はここを訪れて安らいだ事と思う。今は写真やビデオで生前を偲ぶ事が出来るが写真のなかった時代は石仏にそれをもとめたのであろう。
今の時代は親をないがしろにする子がふえている。経済的な理由もあろうが死体を放置するや葬式もしない人が増えている。
これは流紋岩に彫られてと書かれている。
瀬戸内海沿岸の山や島はほとんどが火山のためマグマの隆起で地表に露頭した部分に流紋岩が近くに産していたようだ。
鉄道の写真を撮っていた頃に加古川線は訪れたがその支線の北条線には行っていない。
今も北条鉄道として残るがローカル味十分の路線だ。蒸気機関車の頃に訪れていたら懐かしさ一杯の写真が撮れたとおもう。
北条の五百羅漢に立ち寄った。中国道の高速道路脇にある。
もう夕暮れだった。住職が数多くの石仏に読経とともに手を合わせていた。
素人が彫った余り上手くない石仏がならぶ、下手なだけに庶民の苦しみや幸せを願う気持ちが溢れているように思う。
「親が見たけりゃ北条の西の五百羅漢の堂に御座れ」と謳われている。
若く死に別れた親や晩年になりもう一度親に会いたいと願った者はここを訪れて安らいだ事と思う。今は写真やビデオで生前を偲ぶ事が出来るが写真のなかった時代は石仏にそれをもとめたのであろう。
今の時代は親をないがしろにする子がふえている。経済的な理由もあろうが死体を放置するや葬式もしない人が増えている。
これは流紋岩に彫られてと書かれている。
瀬戸内海沿岸の山や島はほとんどが火山のためマグマの隆起で地表に露頭した部分に流紋岩が近くに産していたようだ。
鉄道の写真を撮っていた頃に加古川線は訪れたがその支線の北条線には行っていない。
今も北条鉄道として残るがローカル味十分の路線だ。蒸気機関車の頃に訪れていたら懐かしさ一杯の写真が撮れたとおもう。
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