直方機関区は蒸気機関車が沢山いたので省力化が行われていた。
このタイプの給炭設備は直方と鳥栖だけであろうか
人力ではこれだけ大量の石炭をを補給は難しい。
機関車が石炭を貨物に乗せて運んでくる。下のコールバンカーに落してそれをバケットコンベアーで頂部のホッパーに落す。
ホッパーの石炭を機関車に積み込む。その時に蒸気機関車が廃止されれば確実にスクラップにされると思った。
昭和40年代は省力化の時代であった。
作業の能率アップ、生産性の向上、マテハン作業のの削減が唱えられた。
ターンテーブルや機関庫、給水設備も無用の長物で解体されると思った。20年後、30年後を意識して記録した人も多いとおもう。
しかし、その後、近代化遺産や産業として明治以降のものが評価されたのは想定外だった。
あの時、撮っておけばよかったと気づくのが人の常である。
ネットを見るとほとんどの機関区や建造物を撮っている人がいる。
しっかりした目標をもって撮影したと思う。
私が蒸気機関車を撮ったのはせいぜい三年だ。本州は昭和47年には姿を消した。
いつの時代でも何が消えて世の中がどう変わるか新聞やニュースをみながらシュミュレーションしながら生きていく必要がある。
このタイプの給炭設備は直方と鳥栖だけであろうか
人力ではこれだけ大量の石炭をを補給は難しい。
機関車が石炭を貨物に乗せて運んでくる。下のコールバンカーに落してそれをバケットコンベアーで頂部のホッパーに落す。
ホッパーの石炭を機関車に積み込む。その時に蒸気機関車が廃止されれば確実にスクラップにされると思った。
昭和40年代は省力化の時代であった。
作業の能率アップ、生産性の向上、マテハン作業のの削減が唱えられた。
ターンテーブルや機関庫、給水設備も無用の長物で解体されると思った。20年後、30年後を意識して記録した人も多いとおもう。
しかし、その後、近代化遺産や産業として明治以降のものが評価されたのは想定外だった。
あの時、撮っておけばよかったと気づくのが人の常である。
ネットを見るとほとんどの機関区や建造物を撮っている人がいる。
しっかりした目標をもって撮影したと思う。
私が蒸気機関車を撮ったのはせいぜい三年だ。本州は昭和47年には姿を消した。
いつの時代でも何が消えて世の中がどう変わるか新聞やニュースをみながらシュミュレーションしながら生きていく必要がある。
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