直方機関区のD50,D60機関車を投稿します。
D50とD60が仲良く並んだところを撮影する。
D50蒸気機関車は380両製作されたが老朽化で昭和40年頃から大量に廃止され私が撮影していたころは筑豊線と東北の一部に残っているだけだった。
保存されているのも二台で写真のD50140号機は梅小路に保存されている。
廃止を早めのは石炭産業の衰退と余剰になったD51蒸気機関車の存在であろう。
国産蒸気機関車の第二期、まだリベット打ちが見られる。
煙突もツバ付きで武骨な姿が好きなファンも多かった。
D60蒸気機関車はD50の軸重軽減をはかった改造車
D50とD60が仲良く並んだところを撮影する。
D50蒸気機関車は380両製作されたが老朽化で昭和40年頃から大量に廃止され私が撮影していたころは筑豊線と東北の一部に残っているだけだった。
保存されているのも二台で写真のD50140号機は梅小路に保存されている。
廃止を早めのは石炭産業の衰退と余剰になったD51蒸気機関車の存在であろう。
国産蒸気機関車の第二期、まだリベット打ちが見られる。
煙突もツバ付きで武骨な姿が好きなファンも多かった。
D60蒸気機関車はD50の軸重軽減をはかった改造車
また、倉敷の昔日の風景、そのようであったのかとおもいました。
白黒ながら、素晴らしい数々の写真楽しませていただきました。
昭和40年代は変化の一番大きかった時期です。
貧乏からましな生活になれた時期でした。いまだにバナナにコンプレックスをもっています。しかし、カメラの被写体の豊富な時代でした。なんでも撮影しておけば懐かしい風景でした。私はほとんどモノクロで撮影しました。これが正解でした。カラーは退色して復元ができません。映画も調査資料もカラーと白黒の両方で撮影していた時代です。カラーはいずれ色が消える可能性があったのでしょう。またお立ち寄りください。またその当時の写真を見せてください。