桜並木
桜のシーズンになると全国各地に桜の名所がある。
城跡には大体桜を植えてある。田舎の河川の土手や川沿いに桜を植えている。山を切り開いて桜の園にしているところもある。ライフワークで沖縄から北海道まで桜の名所を追っている人もいる。桜の名所百選もある。百選制覇は定年族に手頃な目標である。百名山は体力も技術もいるし滑落や遭難の危険性もあるので誰でも出来るものではない。
いつ頃から桜並木が増えたのだろう。戦後すぐは食べる物も無かった。その頃はそんな心の余裕もなかった。私の記憶では高度成長期になり自然破壊や公害が問題になり桜公園や花公園を造り生活の潤いを求めた。岡山に住むようになり昭和40年代に植えられたものが50年経過して立派な桜並木になっている。染井吉野の寿命は60年から70年といわれている。岡山県に凱旋ザクラというのがある。日露戦争で凱旋した時に植えたもので100年は経過している。木は痛み樹勢も悪いが樹木医に手入れしてもらい、それなりに回復している。
何故、土手沿いに桜並木が多いのか
1.桜公園のように土地の造成が要らない。2.桜の根が土手の補強になる。3.花見見物客が土手を踏み固める。4.両サイドに植えると桜のトンネルになる。5.染井吉野は横に枝が張るので斜面に植えるのが良い。山桜は横に張らず上に枝を伸ばす。染井吉野は人間で言えば長男のような存在 自分勝手、財産は独り占め 6. 25メートルの間隔で植えれば400本 1Kmの桜並木なる。7.土手の斜面や河川敷で宴会も出来、車も駐車できる。
火野正平の自転車旅 こころ旅は視聴者の手紙をもとに火野が旅する。
奈良県の藤原京の近くの飛鳥川の土手の桜並木を訪れてほしい。
子供の頃にそこで育った85歳女性 現在は夫婦で中南米コスタリカに住んでいる。
戦時中は土手や近場の山の木は燃料に伐採された。戦後中学生の頃に桜の苗が土手に植えられた。どんな並木になっているか訪れてほしい。70年経過して太い幹になっている。木も元気そうだった。私の記憶にも戦後しばらくしても近くの山の木は燃料に伐採されはげ山が多かった。
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