懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺民家 島根県加茂町

2012年09月20日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県加茂町 (現在は雲南市)

私のところから一般道で日帰りで撮影に出かけるには出雲市が限界である。
今は高速道路が出来て石見銀山や江津や浜田まで可能だ。

出雲市までは国道九号線を走っては時間がかかりすぎる。
これにほぼ並行して農免道が走っている。これを利用して走ると早い。
この沿線に茅葺民家が存在した。
この民家も農免道近くにあった。出雲と尾道を結ぶ高速道がすぐ近くを走る予定であった。
収穫を終わった稲を高い稲架に干している。稲架ははハサともハデとも呼ばれ各地で干し方に特徴がある。西日本のは面白味が無いが東北のは一見の価値がある。、

加茂町は岡山県にもある、島根の加茂町が有名になったのは銅鐸が大量に発見されたことでしょうか。
39個農道道路工事で発見された。加茂岩倉遺跡と命名
そのうち二個は個人が持ち帰っていたのが後で発覚した。
結局、地元には残らず奈良県で調査、研究、保管される事になった。
2008年すべて国宝に指定され無償貸与で出雲市に保管されている。
私も発掘現場を見に行った。奈良に持ち出される前に展示会があり一目みようと行った。
精巧さと文様の素晴らしさに驚いた。島根県には加工しやすい来待石(きまちいし)が近くにあったためこんな精巧なものが出来たといわれている。
この銅鐸が大量発見された場所から銅剣が大量に発見された斐川町の荒神谷遺跡までは直線で3キロ程度しか離れておらず交流があったものと言われている。
荒神谷遺跡あたりまで海岸線だったといわれている。






ブログ開始一周年

2012年09月19日 | 茅葺き民家
ブログ開始一周年を9月17日に迎える事ができました。

一般の人受けしないマニアックな内容ですがご覧になっていただける方がいて続けられる事ができましたことを感謝しています。
今後ともマニアック路線を継承していきますのでよろしくおねがいします。
ブログの三大人気の花、風景、イベントは原則的に投稿しない予定にしています。
この分野は投稿者が沢山いますのでそちらをご覧ください。

みなさんのように気軽に撮影に行ける身体でもないので過去に撮影したフィルムをスキャンしています。毎日30枚から50枚スキャンしてますがまだ五年はかかるかもしれません。生きているうちに終わるかどうかわかりません。カラーはプリントがありますので白黒ネガを優先してスキャンしています。

投稿の写真は京都府美山町です。

昭和の古い町並み写真展 その64 「水辺の民家 その1」 倉敷市児島下津井

2012年09月18日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その64 「水辺の民家 その1」 倉敷市児島下津井

港町は土地が狭いので石垣を積み宅地用の確保している。
現在ならばコンクリートで護岸をするがコンクリートのなかった時代は木杭を打つが捨て石で泥地を強化して石垣を組んだ。
江戸時代になり人口が増え洪積地に町を造る必要があった。
築城などの石垣を組む技術が都市造りに生かされる。
大阪も東京も泥の土地であったと言われている。
大阪の梅田は埋めたから埋め田、梅田に転じたと書かれている。
江戸城も湿地帯で石垣の基礎に木杭が打ち込まれている。

石垣は力のバランスで持ちこたえているが液状化などで地盤沈下すくと脆く崩れる。
この下津井の港は現在埋め立てられ沖にコンクリート護岸で造り変えている。
(瀬戸大橋の橋脚や橋の建設と引き換えに下津井の再開発がはかられ埋立地と広い道路ができた)
この港を満潮の時に撮影したが水面と舟で石垣が見えず再度干潮に撮影にきた。
水辺の古い民家と石垣が今もまだ残っていれば撮影に値する。


蒸気機関車 室蘭本線栗丘

2012年09月17日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道室蘭本線栗丘

室蘭本線はほとんど直線的につくられていてトンネルもほとんどない。アップダウンも少ないが一部山越えがある。ここだけは煙を吐く。
撮影していて貨物列車に重連の補機が付いてくる貨物列車があった。変則三重連が室蘭本線で見られるとは知らなかった。
補機が撮影できる場所におらず直線だったので惜しい思いをした。
後続補機を撮影するには高い場所かカープで撮るしかない。
ここへ撮影にきたのは一回きりだった。会社勤めをしながらそう何度も訪れるチャンスはない。
この日は曇り空、シャッタースピードを上げられず横から流し撮りで撮影した。
流し撮りを写真集に登場させたのは鉄道写真家の広田尚敬氏、私たちが崇拝する鉄道写真の神様であった。ETVの趣味の写真撮影でいまも現役でダンカン親子を指導している。


茅葺民家 田舎暮らし

2012年09月16日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県安来市

安来市の山間部の茅葺民家を訪ねて民家や暮らしを撮影してもらった。
長年、山間部で暮らすには苦労もあるが楽しみもある。
作物を作るには天候や自然災害、病害虫、野生動物と戦わなくてはならない。
田舎暮らしに憧れ山間地に暮らしてもイノシシ、鹿、サル、狸の食害に負けて耕作をつづけられなくなる人も多い 。
長年土地に暮らしてきた人は逞しい。百姓は百の仕事が出来ないと生きられないという。
耕作はもちろんのこと土木作業から林業、石工、小屋程度の建築までこなせないとやっていけない。第一次産業で働いている人は体験も技術も持っているので大きな災害や震災の復興でも立ち直りが早い。
山間地で住む人は四季折々の楽しみや田舎暮らしの楽しみを持っている。

それと訪れると都市部に住む人から最近の話題を得たいという人もいる。
写真の奥さんから質問攻めにあった。いつも私が聞き役だが勝手が違った。
どこから来たのか、住む町の見どころは、なんで茅葺民家を撮っているのか、今まで訪れたところでどこが良かったか、どんな仕事をしているのか、家族構成はなどなど

質問に対して三つ答える会話の訓練をしておかないといけないと思う。
自分の住んでいるところでPRしたいところを三つ

私は訪れた地域の方から「さしすせそ」で聞く事にしていね。
「サ」産業、作物、産物、「シ」仕事、趣味、習慣、「ス」住まい、素晴らしいところ「セ」生活、世間話、「ソ」組織(コミュニティ)





昭和の古い町並み写真展 その63 「下津井祭り 神輿」 倉敷市児島下津井

2012年09月14日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その63 「下津井祭り 神輿」 倉敷市児島下津井

下津井の祭りは梅雨明けの蒸し暑い時期だった。
秋祭りは豊穣を祝って農村部で行われる事が多いが港町は海のシーズンの夏に行われる事が多いのであろうか、夏祭りのひとつはお盆前後に行われる先祖を供養する盆踊りが多い。

下津井の町を神輿が回る、神輿はまず神社の階段をむ本殿まで担ぎあげ宮司が神輿に御神体を納める。その時、宮司は黒いマスクで口を多い御神体を人にみられないようにさっと納める。その早技は手品師のようでもある。
ご神体は何か菰であったり木や石だそうだ。余り大した物でないので人にみられないようにさっと納めるのかとも思う。

夏場の暑い時期ホースやバケツで水を掛けながら進む下津井の狭い路地を家に当てないように進んでいく。指揮役の人の案内で狭い路地を移動する。


路面電車 岡山電気軌道

2012年09月13日 | 鉄道
今、昭和が見直されて写真集も沢山だされている。
戦後から昭和40年代までの各県庁所在地の写真集が発行されている。
京都や大阪は発行され新聞などでも宣伝されている。
岡山市も発行するので私が写真展をしている会場に出版社の方が写真を提供してほしいと依頼があった。

私は岡山で生まれ育った人間ではないし岡山に転勤して来た者ので昔の岡山は知らない。ましてや岡山市には住んでいないので岡山の写真はほとんど撮影していない。
プロの方やハイアマチュアの方が沢山いるので当たってほしいと伝えた。
しかし、写真集めが大変なようであった。昔から撮影していた人はもう亡くなったり代が息子や孫の時代になっている。
昭和40年代までの写真では鉄道と古い町並みの写真はいくらかあるので20枚提供した。

後日電話があり岡山の路面電車の写真がないかと問い合わせがあった。
駅前だけ撮ったのがあったので提供したがこんな写真一杯残っていると思う。
鉄道マニアが沢山撮っていると思う。

私も一日路面電車に乗って町の風景と路面電車を撮らなかったのかと悔やまれる。
柳川と言う交差点には映画のポスターがずらりと並んでいた。看板やポスターと路面電車を撮ると時代背景がよくわかった。
写真撮影は「本人が必要性に気付かないと撮れない」それと「本気で継続する意思の強さがないと残せない」日頃から感性を磨くためのアイデアを書きとめる事と継続させる工夫をする事でしょうか
フィルム時代にはこんなの撮影しても何にもならないフィルムの無駄と第一歩が踏み出せなかったように思う。

昭和の写真集のように自分の住む町だけでも色々な角度から撮っておくのがアマチュアカメラマンの使命かもしれない。




茅葺民家   京都府美山町

2012年09月12日 | 茅葺き民家
撮影場所 京都府美山町長谷地区

美山町は沢山の茅葺民家が残り北地区が保存地域に指定され観光客が一気に増えた。茅葺民家は300軒あったと言われているが現在はどの程度、残っているのであろう。
私もデジタルカメラになって美山町は訪れていないもう八年は行っていない。現在はどの程度残っているか分からない。もういちど残っている民家だけでもデジタルカメラに収めたい。
歩けなくなって自分運転していけなくなり疎遠になってしまった。

由良川の河岸段丘に広がる集落、民家にも杉を植え、周辺の山も杉の風景がいかにも京都の風景である。

家も入母屋の勾配のきつい端正な家が多い。
棟には棟木とカラスオドシを乗せている。
勾配は45度の角度が一般的である。一尺一尺の鉦尺(かねじゃく)に見立てて45度の角度の勾配の屋根を鉦勾配(かなこうばい)という。横が一尺、縦が一尺五寸の勾配を一尺五寸勾配という。
美山町は雪が多いので一尺四寸から一尺五寸勾配ではないでしょうか




昭和の古い町並み写真展 その62 「下津井祭り 水を眺める少女」 倉敷市児島下津井

2012年09月11日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その62 「下津井祭り 水を眺める少女」 倉敷市児島下津井

男どもの掛け声の神輿が通り過ぎた。
男の子は神輿の後を付いて歩く。大人になったら自分も担ぐんだという思いがあるのかもしれない。
男の声に恐る恐る隅で見ていた少女が出てきて水道からの放水を眺めていた。
祭りそのものより面白い光景だと思いシャッターをきった。

本瓦葺きの民家が続く広いように見えた下津井のメイン道路、現在走ったら車一台だけが通れる道路だった。


蒸気機関車 順法闘争

2012年09月10日 | 蒸気機関車
蒸気機関車ブームの頃、順法闘争と称してストが相次いだ。
蒸気機関車にはビラが張られストの際はダイヤの遅れも常態化していた。

国鉄の累積赤字が膨らみ25兆円に達していた。国鉄の累積赤字が国の一番の問題であった。
国鉄も地方では乗客も減少して斜陽産業であった。
それにも関わらず戦後の復興期に大量の職員を採用していて余剰人員を抱えていた。
生産性向上をめざし人員合理化が打ち出された。
駅の無人化、赤字路線の廃止、手間のかかる蒸気機関車を電化、ディゼル車に切り替えを行ったが借入金の利息にもならなかった。
1987年に国鉄の民営化が決定した。
闘争が激化するなか国労で最後まで闘争した者のうち約200名の自殺者をだして民営化さけた。
累積の内訳は公表されなかった。収入の見込みもない地域に鉄道を開業させた族議員の無責任さも原因のひとつである。
整備新幹線も新たに決定されたが各県に飛行場が整備された時代に愚かな事が繰り返される。

私は蒸気機関車の時代には国鉄の写真を撮影したが蒸気機関車廃止後は全く撮影していない。
国鉄の民営化をテーマに記録しておくと面白かったと思う。
駅の無人化、廃線、自動改札や自動券売機、蒸気機関車の廃止、貨物輸送の縮小、貨物扱いの廃止、ストや労働争議、操作場ヤードの縮小や売却 民営化で変わる風景を予想して撮影する。

余談だが、貨物の縮小で余剰で貨車が20万円で売り出された。これを使ってカラオケボックスが岡山で誕生した。国鉄民営化がカラオケボックスを産んだ。しかし窓がない密室のため不純行為が行われた。高校生は利用禁止の条例ができた。

写真撮影は「未来を予測して撮影する」事でなかろえか。こんなものは将来なくなるだろうと考えて撮影していると思う。世の中の情勢や暮らしの変化にヒントがあるように思う。、
新聞をよく読みテレビのニュースや特集を見よということか