懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行  その14 新潟県上越市

2012年11月20日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 新潟県上越市

上越市は平成の合併で随分広くなった。南は長野県の飯山市、昨年、飯山市で蕎麦が美味しいとの事で食べたあと上越市に入り茅葺民家を探した。
平野部には茅葺民家はまったくない。雪の多い山間地域を走れば茅葺民家も少しは残っている。
茅葺民家のある集落も過疎化と高齢化が進んでいる。
茅葺民家の空き家も多い。
秋も深まり冬支度を始めていた。窓ガラスのところには厚い板を枠に落し込んで破損しないよう保護していく。雪国には土壁はまったくない湿って剥離するからである。
板壁の家が多い、山間地は瓦葺も少ない。
11月3日に新潟県津南町に行った、その三日後に76センチの積雪があったと報道されていた。晩秋の新潟行きは雪の準備がいる。私など冬用タイヤもチェーンも持っていない。
いつも天気予報を見ながら賭けのようなものである。

私の行った集落の家は中門造りと曲がり屋であった。
雪に埋まるので家自体が高い、裏には雪捨て池がある。




茅葺民家 岡山県東粟倉村の民家

2012年11月19日 | 茅葺き民家
撮影場所  岡山県東粟倉村(現在は美作市)

東粟倉村は岡山県の東北部で私の住んでいるところからすると一番遠いところになる。
隣は兵庫県の千種町(現在は宍粟市) 国道429号線で峠越えでつながっている。
この国道429号線は倉敷を始発に岡山県を斜に縦断して兵庫県の国道29号線にいたる。

兵庫県の県境に後山1345メートルがそびえる。茅葺民家の背後の雪の降っている山がそれである。岡山県では一番高い山である。
日本百名山には登録されていない。中国地方では大山が唯一の百名山である。
日本百名山は1500メートル以上が目安になっている。
伊吹山や開聞岳は地域性や山容を考えて1500メートル以下でも選ばれている。

東粟倉村も産業も観光資源にも乏しい。山の傾斜地に民家が広がる。アルプスの山の斜面に似ている事から大きな鐘を作り観光客を誘致したこともある。
今も訪れる人もいるのだろうか
こんな傾斜地に茅葺民家が点々とあった。国の重要文化財の旧林家の大きな茅葺民家も家も庭も手入れがされず荒れている。何処の市町村も財政難で文化財が御荷物に感じられる。


 岡の石塔と旧林家を撮る。



蒸気機関車  C6216号機

2012年11月17日 | 蒸気機関車
撮影場所 広島県三原市糸崎

糸崎機関区のC6216号機が石炭ホッパーで給炭する様子を撮影した。
蒸気機関車も石炭ホッパーも姿を消した風景となった。
C62型蒸気機関車は風格がある。こんな無機質な写真であるが自分にとっては一生懸命に蒸気機関車を追い掛けた頃の自分を思い出す。
このC6216号機は呉線電化で蒸気機関車が全廃されたのに伴い津軽海峡を渡り函館本線で頑張った。
糸崎機関区の横を通るがヤードは以前まま残っているが蒸気機関車のいた頃の機械は何も残っていない。


懐かしい風景 古い公民館

2012年11月16日 | 懐かしい物
撮影場所  岡山県芳井町(現在は井原市)

ネガをスキャンしていたら古い公民館の写真がでてきた。
何の目的で撮影したのかわからない。地神の石碑を撮影したのではと思われる。
後ろに写っている公民館も壁は落ちて小舞の竹組が見える。
公民館の入り口などしっかり造られている。
地域住民も過疎化、高齢化で壁の補修費も集金できないのであろう。
ここでは青年会の会合や地域の新年会や忘年会、盆踊りもされたことであろう。
思い出が一杯詰まっているようにおもう。
住民の家内安全や家内繁栄を願いここに地神を設置したのであろう。

最近の建物は土壁にする家が少なくなった。小舞の竹は冬に切らないと虫が寄生して食い散らす。小舞は組むとは言わず掻くという。竹組の上から藁を切り込んだ赤土を塗る。
昔はよくこんな壁塗りの光景を見た。最近はパネルと断熱材になっているのであろうか

公民館と言えば岡山県の美星町の山の中で迷い込み小さな公民館で車の切り返しをやった。
公民館の名称に「敬天愛人館」と書いてあった。
それを見て女房は「敬老愛人館」と読んだのであろう。
「ここは老人がいちゃいちゃするところか」というではないか。
「あれは天を敬い人を愛す、と読む西郷隆盛が泣くからよそに行って言わないで」




日本茅葺紀行 その13  兵庫県三田市の民家

2012年11月15日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 兵庫県三田市木器

木器と書いて「こうづき」と読むそうです。
地元の人に聞くと神様に供える容器を作っていたのでこの名が付いたと話してくれた。
神器から言い易い「こうづき」に変化したのではないかとの事です。
器も陶器ではなく木製の徳利や杯だったのでしょうか

この三田市木器を訪れたのは水墨画集で三田市波豆川の茅葺民家とバス停の絵を見たからである。その絵は昔の面影を残した懐かしいものだった。
どうしても実際の風景を見たかった、波豆川に向かう途中、木器を通った。木器に茅葺民家が10軒ほど点在するのが見えた。三田市にはこんなに茅葺民家が残っているのだと驚いた。
それが木器に訪れたきっかけだった。
いまでも木器には何軒か茅葺民家が残る。
写真の家は造り酒屋だったように思う煙突も倉もあったように思う。今は酒の販売をしている。写真の手前の小屋風の茅葺は後で造られたのか以前は無かったように思う。
この小屋があることでなかなか絵になる風景になった。
三田市は阪神地区の通勤圏として著しく住宅地と人口の増加があった。
都市計画も素晴らしく私鉄駅周辺の住宅地はまるで未来世界に見えた。
しかし、ものの20分も走れば茅葺民家が点在する田舎の風景に出合えるのがうれしかった。


茅葺民家 島根県吉田村

2012年11月14日 | 茅葺き民家
撮影場所  島根県吉田村 (現在は雲南市)

吉田村は平成の合併で六町村が合併して雲南市となった。
中国山地を背にして広島県高野町に接する。
昔はタタラ製鉄が盛んで菅谷にはタタラの博物館がある。

私の所から一般道で行けるが夕方まで撮影すると着くのが22時近くなる。
高速道路を使うのも効率的でない。今は松江道が建設中だがすでに茅葺民家は少なくなっている。
私は茅葺民家を撮影にあたってせっせと役場に返信用の手紙に切手を貼り送った。
吉田村に茅葺民家の所在を問い合わせたら村内の茅葺民家のリストを送ってきてくれた。
個人情報の管理の厳しい現在ならば教えてもくれないがその当時は住所氏名電話番号まで入っているリストだった。市町村によっては茅葺民家を写真集や本にまとめてあるところもある。
有難い物を頂いて村内をすべてまわった。隅々まで回るには三回訪れた。

吉田村の茅葺民家の特徴は昔の生活の風景が残されていることです。
茅葺民家を撮影する者が一番うれしいのは昔の生活や建物が残っている事である。
サッシやモルタル造りになっていると感動が薄くなる。整然とした立派な民家より生活感のある民家にであうとより感動します。








蒸気機関車 播但線藁ぐろのある風景

2012年11月13日 | 蒸気機関車
撮影場所 播但線寺前駅周辺(兵庫県)

蒸気機関車と藁グロを一緒に撮影した。藁グロなど消える風景と思って撮ったのか冬の田の風景として撮影したのかは思いだせない。
冬の田の風景として撮影したものと思う。
播但線のC57蒸気機関車が貨物を牽引しているところを撮影した。

藁を積んである藁塚のことを一般的には「わらぐろ」と言います。全国を見渡すと様々な形、呼び名があります。
にお、にゅう、藁にお、藁にょ、いねづか、わらぼっち、ぬー、のう、わらぼう、ほづち、いなむら、つみわら、わらにご、すずめ、すずき、つつみ、わらどこ、つぼけ、わらづか、のうぐろ、ぐろ、としゃく、とっぽ、わらとび、まじん、藁こづみ等 どこでも作られていたが故に地域性があって楽しいものです。何で作られるかがわからない人が多くなりました。簡単に言えば藁の屋外貯蔵スタイル。駄屋・納屋に入りきれない藁を現地で出きるだけ傷まないように積み上げています。昔は牛を飼っていたので敷いたり餌にしたりしていました。今でも農作物の敷き藁や果樹の敷き藁に使っている人は多い。
藁は畳や縄、筵(むしろ)や米俵に使われていた頃には用途もあった。
最近はコンバインで刈り取り脱穀したら切刻むので牛の飼育や畳屋も困っている。
牛の寝床は紙をシュレッダーに掛けたものやオガクズを敷き詰めている。
今の稲は背丈も高く米俵や筵に使えたが今の稲は品種が改良され背丈が低く一畳の規格にならないそうだ。
稲の原種は2メートルもあるそうだ、倒れにくく背丈の低い品種に改良された歴史がある。




古い町並み 岡山市水門町

2012年11月12日 | 古い町並み
撮影場所 岡山市水門町

岡山市の南部、吉井川の河口に水門湾というのがある。
岡山南部は干拓地が多く海抜0メートル地帯である。
潮位が高い時は水門で締め切らないと塩水が農業用水に遡上する
水門が多いのでこの名が付いてのであろうか
ここは水路に面して町並みや生活がある。
岡山市の南部を撮影するものがないか走っていた。
昔から混みいった町並みが見えたので訪れてみた。
昔からの地域や混み入った家並みには何かある。
開発の手が伸びてないので昔ながらの家並みや生活が残っている。21世紀になった現在に昔を探すのは大変難しい。
それでもほんの少しは昭和の匂いが残っているものだ。
昭和に訪れる事が出来なかったので平成になって訪れるしかなかった。
昭和に訪れていれば良かったが本人が必要性に気付いていないのだから仕方がない。
日本語には便利な言葉がある。「60の手習い」「思い立ったら吉日」
何歳でもいい気付いたら時から始めればよいでしょうか













日本茅葺紀行 その12 佐賀県鹿島市の民家

2012年11月11日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 佐賀県鹿島市浜町

佐賀県鹿島市には沢山の茅葺民家が今も残る。
鹿島といえと鹿島アントラーズや鹿島神宮、住友金属の茨城県鹿島をイメージする人が多い。
平成の大合併で茨城の鹿島町は鹿嶋市になった。

鹿島市の茅葺民家も今回は浜町周辺の茅葺民家をお送りします。
浜町の浜庄津町、浜金津町は重要伝統的建造物群に指定された。庄津、金津を浜庄金と呼ばれている。
ゴミゴミした港町の建て込んだ民家が続くそんな中に茅葺民家が残る。
中には痛んだ民家もあった。
家と家の間の細い路地、人の生活の中に入り撮影する後ろめたさ。撮影していて怒鳴られのではないかと恐る恐る撮影した思いがある。
保存地区に指定され現在の姿をネットで見るとこの家々も改修され観光地の顔になってきている。

観光地の顔になると撮影する対象として魅力を感じない。
まず生活感がなくなり整備しすぎると映画のセットになってします。
壁の割れや汚れも補修されゴミゴミしたところは片付けられる。立て札や掲示板や表示も目ざわりになる。
人間の目は壁の割れや剥離、シミに歴史の長さと人の営みの歴史を感じるものだ。
広島の原爆ドームはコンクリートや鉄筋の劣化を防ぐため樹脂でコーティングしている。
それを見てひとつも悲惨に見えなかった。こんないい方をすると叱られそうだが私にはプラモデルの造形物に見えた。








茅葺民家 新見市法曹の民家

2012年11月10日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県新見市法曹

新見市法曹は国道180線の高梁市と新見市の境を山中に入る。
細い道であるこんな寂しい道に集落があるのかとおもう。開けたところに民家が見える。
お茶作りが盛んだったようだ。アジサイで有名な済渡寺がある。山の斜面をアジサイで埋め尽くしている。アジサイ寺といつても日当たりのいいところがある。
こんなところは雨の降らない梅雨はぐったりして美しくない。
その点、済渡寺は木陰もあり湿気もあるので美しいアジサイが見られる。
カルスト台地だが水田も見られる。
そんななか茅葺民家が点々と見られる。
現在はほとんど茅葺民家は消えたとおもう。
こんな所に集落と寺院が点々とあるのは以前から人が暮らしていたからであろう。
ここから新見に至る道が新見往来であったそうだ。
川沿いの井倉峡は岩壁が迫り、大水には通行が出なくなる。
川沿いの岩を削って道を造るのは困難であった。山越えの道が安全であったようだ。
出雲街道なども思わぬ山道を歩いていたようだ。