懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

蒸気機関車 函館本線大沼

2012年11月09日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道大沼 (函館本線大沼周辺)

大沼は駒ケ岳の周りに沼がある。駒ケ岳の噴火による堰止湖だという。
そんな沼や湿地帯の中を函館本線が走る、函館本線や室蘭本線、千歳線の列車が走るので蒸気機関車も多かった。
D51ナメクジの牽引する貨物列車が走る。蒸気機関車を撮影している時は客車の方が値打ちがあると思った。今となっては見る事もできない「ワム」や「ワラ」の記号つく貨車のほうが価値がある。参考、貨車記号のワは有蓋車、2文字目のムとラは積車重量で区分け

山の木々も葉を落とした晩秋の中を蒸気機関車が走る。
写真が残っていたら人生の一瞬をこの場、この時に行った事がわかる。
秋から冬に差し掛かる時はなぜか寂しい。若い頃は全くそんな事を感じなかったが人生も晩秋を迎えるとそんな事を感じる。
なぜ人は秋に寂しさを感じるのだろうか日暮れがどんどん早くなるからか太陽の角度が低くなるからか、それとも日々寒くなり風の冷たさか
木々から葉がなくなるさまや稲の刈り取られた風景に秋の寂しさを感じるのだろう。
四季のある国に住むからであろう。

線路脇の湖沼にはもう枯れた葦が生えている。葦はアシが悪しに受け取られる事からヨシと呼ばれている。ヨシは吉に言い換えられる。葦岡は吉岡に葦川は吉川や芳川に葦野は吉野に変わっていった。
葦は茅葺の屋根の材料やすだれに使われる。この写真のヨシはツルヨシで軸の強度がなく茅材には使えない。他にセイタカヨシやクサヨシがあるが牛馬の飼料にされ茅材には適さない。



鉄道  宇野線茶屋町駅

2012年11月08日 | 鉄道
撮影場所 岡山県倉敷市茶屋町(国鉄 宇野線茶屋駅)

国鉄、宇野線茶屋駅は瀬戸大橋が開通して宇野線から瀬戸大橋線になると大きく変わる可能性があった。
この駅舎と構内の電車を撮影したのは昭和53年に瀬戸大橋の建設が着工したのでそのあとだっと思う。
現在は高架になりホームは階上になっている。
今の茶屋駅周辺は岡山、倉敷の住宅地になり大きなスーパーやホームセンターができて買い物も便利になっている。
瀬戸大橋線ができる時に茶屋駅は東倉敷駅にしょうかと言う話があった。倉敷の東の玄関口とする意向だったようだ。それが改称されず茶屋町駅の名が残った経緯は地元の反対が多かったのか、距離が離れて新倉敷もあり倉敷のイメージが損なわれるためかいきさつは知らない。

撮影した頃、茶屋町駅を岡山方面に出ると線路脇にスッポンの養殖場があった。甲羅干しをむしている風景が電車の中から見えた。一度スッポンの養殖場を見に行った事がある。
スッポンは大変臆病で近寄ると甲羅干しをしていたのがすべて水中に隠れた。
スッポンの養殖場と電車をなぜ撮っておかなかったかと悔やまれる。
物事は思い立ったらすぐに行動しないとチャンスを失う。すぐに10年くらいの時間は経過する。それも撮影するならじっくりと時間を掛けた写真でないと訴えるものがない。
写真の凄いところ嫌なところは本人がどれくらい時間を掛けて撮影したかが判る事である。通りすがりのチョイ撮り写真か努力しているかがわかってしまう。


昭和46年 下津井電鉄を撮影に来た時に撮影した旧型電車 








現在の茶屋町駅 ネットより借用

茅葺民家 山口県福栄村の民家

2012年11月07日 | 茅葺き民家
撮影場所  山口県福栄村(現在 萩市)

家族で山口県の一部を一泊旅行をした。秋吉台、長門の青海島、金子みすずの文学館、萩の町並みや吉田神社をまわり時間があったので茅葺民家探しに山間部に入った。
福栄村に茅葺民家が何軒かあった。柔道女子金メダリストの阿武教子の生誕地だったので興味があった。訪れたものの特別なものはない山間の村であった。
本当は何もないはずはなく何かあるはず、それ探すのが旅であるが茅葺以外見つけられず

普通は観光地は余り立ち寄らないが家族と一緒ではそんな訳にはいかない。
家内との旅行では焼き物の産地ではコーヒーカップを買う事にしている。
この時は萩に行ったついでに萩焼のコーヒーカップを購入した。
全国各地をうろついていると主だった焼き物の産地には立ち寄るものだ。
薩摩、有田、唐津、伊万里、小鹿田、砥部、大谷、備前、立杭、越前、信楽、瀬戸、常滑、益子に行った。高価な物は買わずに冷やかしで訪れるだけである。

この時の旅行で気付いた事
1.萩の吉田神社に立ち寄った。吉田神社は吉田松陰を祀ってある。その神社の中に小さな建物がある。維新の立て役者の学校「松下村塾」だ。これは「しょうかそんじゅく」と読むそうで「まつしたむらじゅく」と言わなくてよかった。

2.青海島の断崖に鬼ユリと桔梗が沢山咲いていた。桔梗はゼンソクの薬として漢方薬に使われている。自生の桔梗をたまに見る事があるがこんなに自生しているのは見たことがない。
潮風の吹く岩場に根を張って生命力があるものだ。桔梗は水はけのよい土地の方が生育しやすいのかもしれない。






日本茅葺紀行 その11 ハッポーのある民家

2012年11月06日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 山形県鶴岡市

茅葺民家の煙り抜きをハッポーというそうだ。
入母屋や切妻造りは妻側の破風から煙が抜けるが寄棟は茅が寄せる構造の家は煙を抜くところがないのでハッポーや棟に煙り抜きをつける。
このハッポーが民家の顔としてアクセントになっておもしろい。
青森県の南部藩であった地域にこんなハッポーの付いた民家が残る。

秋に訪れたので菊が咲いている。東北は菊というと食用菊が多い黄色い品種もある。食用菊は開花するまで置いてあるが花弁がもっと細長いように思う。
昨年、この茅葺民家の近くの庄内映画村に行った。
民家の全くない原野の中に広い映画村、オープンセットが立ち並ぶ江戸時代の風景だが裏に回れば仮設のハリボテ、11月の雪のシーズンから春4月までは休み。
月山がバックに見える残雪のシーズンは美しいだろう。
鶴岡は作家の藤沢周平氏の故郷、藤沢作品の映画では庄内平野の雪山風景がよくでてくる。





蒸気機関車  茅葺民家のある風景

2012年11月05日 | 蒸気機関車
撮影場所 岡山県総社市豪渓

伯備線豪渓駅を出ると大きなカーブになっている。特に上り線のカーブは内側から撮影でき都合がよい。しかも電柱がなく撮影しやすかった。
しかし、現在は電化しているのでうるさい電柱が並んでいる事とおもう。

この豪渓のカーブのところに茅葺民家があった。
撮影する前に茅葺民家の方に断りを入れた。
今日の昼間、茅葺民家と蒸気機関車を撮るために家の後ろの山道をうろうろしますので了解願いますと挨拶に行った。
豪渓は私の住むところから三駅目のため頻繁に足を運んだ。
撮影していて鉄道ファンの人に会う事も無かった。
昼の食事持参で一日ぶらぶらして汽車を待った。
この茅葺民家は逆光気味での撮影となる。撮影するときは煙突から白煙の出る寒いシーズンでないと黒い鉄の塊が写るだけでは詰らない写真になる。


裏から正面から茅葺きも撮影しておけばよいのに一枚も撮影していない。
茅葺民家はこの当時はいくらでもあったと思うがほとんど気付いていない。
当時の写真を見ると遠くに民家の見える風景を拡大して見ると結構、茅葺民家が見える。
これは私に知識も見る目も構想も無かったからだと思う。

写真はカメラを持って現地へ行っても撮れるものではない。
カメラ教室が盛んになり始めた頃、生徒の女性が何を撮ったらいいいのですか質問があったそうだ。
常日頃から興味のある物を調べたり情報を集めたり、取り組むテーマを構想しないと難しい。そうしないとみんなが撮る写真ばかりの後追いになってしまう。
最初は他人の後追いでも良いがやっているうちに自分だけのテーマを見つけないと作品として弱い。写真を撮るのは他人の写真を見るより社会情勢や社会の変化、問題点を読み解く事ににヒントがあるように思う。

この茅葺民家はトタンを覆ったが40年以上経過した今も生活をされている。


懐かしい風景 背負って運ぶ

2012年11月04日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県芳井町(現在 井原市)

竹籠に荷物を入れて運ぶ女性
車が持っていなかった時代は人が背負うか自転車の荷台やリアカーに乗せて運搬した。
江戸から大正までは山越えなどは牛馬を使って運搬した。

人が運搬する時も手で持っては長距離は運べない、背負うのが楽で重い物を運べる。
今の時代によく竹籠を大切に使っていたものだ。こんな風景も貴重な文化財だと思いシャッターを切る。地神の石碑の横を通る。岡山県には地神信仰が地域に残っている。
他府県ではあまり見かけない神様である。







茅葺民家  ススキのある風景

2012年11月03日 | 茅葺き民家
撮影場所  京都府美山町(現在は南丹市)

ススキは葦とともに茅葺きの材料として使われる。「薄」とも「芒」とも書く「尾花」とよばれ秋の七草のひとつでもある。キツネの尾に似ている事から尾花の名がついたのであろう。
ススキはどこにでもあるし生命力の強いのが特徴で昔から屋根材としてつかわれてきた。
ススキは山野にある一方「葦」は水辺の土地に生えていて丈も三メートルと高く茎がしっかりしているので耐久性がある。またススキと葦の中間に荻がある。穂が白いのが特徴だがススキほど繁殖力が強くないのかどこにもここにもあるものではない。私鉄の荻窪駅のホームの一角に荻を植えてあるのをネットで見たことがある。

茅葺民家撮影の場所は美山町、美山町の茅葺民家の素晴らしいところは自然の中に茅葺民家がある事でしょうか、山や林、川岸、田圃、草原にひっそりと建っている。
家が建て込んでいない。民家と民家のスペースもある、地形もアップダウンがあり奥行きが見える。プレハブや鉄筋コンクリートやケバケバシイ建物がないのもよい。
私も美山町には10年行っていないので現在はどのようになっているかわからない。
デジカメで撮影していないので残っている民家ももう一度撮影したいところだ。






日本茅葺紀行  その10 新潟県大島村

2012年11月02日 | 日本茅葺紀行
撮影場所  新潟県大島村(現在は上越市)

大島村も豪雪地帯である。対馬暖流で温められた日本海の海水が寒波で蒸発し日本海沿岸に大雪を降らせる。新潟県あたりが寒気の強さと海水の蒸発から降雪が多いようだ。
日本海も北海道まで行くと寒気は強くなるが海水温度も低くなり蒸発量がすくなくなり雪は沢山振るが新潟のようなドカ雪はすくないようにおもう。
大島村あたりは平地は少なく斜面に棚田を造り米を作ってきた。
五月まで残雪があり生活環境は厳しい。
二車線の道路の周辺のの集落はそうまででないが細い道の集落は除雪が行き届かないので過疎化が進み集落全体が廃墟になっているところを目にする。
新潟は雪降ろしが出来ないと民家が押しつぶされてしまう。
今後こんな光景は山間地で各地にみられるようになると思う。
山間地の農林業の維持と人々の暮らしを守り国土の自然を維持するにはどんな諸策があるのであろうか、


蒸気機関車 見てる見てるまだ見てる

2012年11月01日 | 蒸気機関車
撮影場所 岡山機関区近く

岡山機関区は岡山駅から歩いて20分くらい西にあった。
一台のD51型蒸気機関車が停車していた。それを横から撮影しようとしたら若い女性が枕木を並べた構内の道を歩いてきた。
私は一瞬「何でこんなところを若い女性があるくの」と眺めていたが「いかん」とカメラを構えて撮影した。蒸気機関車の機関助手はまだ女性を見ていたのでもう一枚撮影した。
「見てる、見てるろ、まだ見てる」

何でこんな構内を若い女性が歩いていたのか機関区の中の現場事務所にでも勤めていたのだろうか。
この頃は私も若く女性には大変興味があった。蒸気機関車と女性ではどちらが好きかと言われれば「どちらも」といっただろう。
若い男は「いかに性欲をコントロールできるか」といわれている。
一生女に貢ぐ男、酒ギャンブルで人生を棒に振る男も多い。しかし、一心不乱に仕事に精を出す男もいる。そんな人間には敬服せざるを得ない。
時間と金を掛ける割に実りの少ない女漁り、私自身は若い多感な頃に女を追いかけずカメラを持ち蒸気機関車を追い掛けたどちらが良かったかははっきり言って分からない。

とっさのときにもピントを合わせて撮る事は鉄道写真を撮影する人は瞬時でピントを合わせる訓練を繰り返した。
早打ちマックと言っていて手に持ったカメラを構えて走行する自動車にピントを合わせる訓練をした。今のカメラは便利なものだ素晴らしいと思う。