懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 その102 山形県米沢市の民家

2013年12月21日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 山形県米沢市

米沢市から長井市、川西町、白鷹町に掛けての置賜地方には大きな立派な民家が残る。
庶民生活の貴重な文化財でもある。エリアが広く屋敷林に囲まれているので見落としがある。現存する間に刻銘に記録している人がいる。

この家は曲がり屋だが後で増築しているのか単純に曲がり屋ではない家が多いのがこの地方の特徴か
雪はそれほど多くないのかガラスの引き戸が使われている。雪の圧力から戸を守る落し板の設備もない。雪が降っても50センチとか70センチくらいのものか
百年も人々が暮らしている茅葺き民家に出合えるのは凄く幸せに感じられる一瞬である。


懐かしの蒸気機関車写真展 その55 「宗谷本線 2」

2013年12月20日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 北海道宗谷本線 音威子府駅(おといねっぷ)

宗谷本線は二度撮影に行ったが冬の光景しかしらない。
夏はゆったりしたのどかな風景なのであろう。

人生に疲れた若者が夏の宗谷本線の北辺の無人駅に立ち寄り心の傷を癒すといわれている。
駅に置かれたノートに自分の心をぶつけ、人の書いたノートに励まされるという。
私の宗谷本線の旅もそんなものだった。
軟弱な若かった自分を見つめ直すには宗谷本線は厳しい試練だった。
厳寒の地で鉄路を守る国鉄の人々や開拓に親に連れられ四国から移住した人々
開拓の苦労話を聞き厳しい土地で逞しく生きる人々を見て生きる希望をもらったものだ。

旅は自分探しの旅がいい。物見遊山の美味しい食べ物観光地の旅もたまにはいいが人生の晩年を迎え西行や芭蕉のように生きた人生を見つめ直す旅をしてみたい。
旅は何歳になっても厳しい試練の旅がいい。

音威子府駅にC55形の一号機が停車した。この一号機は京都梅小路に保存されている。
蒸気機関車は給水給炭のため機関区のある駅で20分は停車する。
その間に室内や足回りを撮影した。スポーク動輪は魅力的だ。




茅葺き民家 鳥取県智頭町の民家

2013年12月19日 | 茅葺き民家
撮影場所 鳥取県智頭町

茅葺き民家の裏に川がながれている。
千代川(せんだいがわ)の支流 土師川(はじがわ)である。
千代川の本流とは智頭の町の中で合流する。千代川は全長52kmと短い川だ。沖の山1319mに源を発し用瀬町(もちがせ)の雛流しで有名な川である。

午後の光線で民家に太陽が当たる。
時々川の近くの茅葺き民家を見かけるが川の近くは洪水のリスクがつきまとう。
川の近くだと浸水だけでなく家ごと流される事もある。

梅雨や台風の集中豪雨はどこで発生するか判らない。
24時間で250mm降ると大きな災害が発生する。
今年の京都の桂川の水害は山間部で350mm 京都市内で250mmだった。
伊豆大島の災害はトータルで850mm 夜中に100mmの雨が四時間続いたそうだ。
今はネットで雨雲の動きや降雨量は誰でも見える。国土交通省や気象庁、Yahooの気象情報でも見える。川の洪水状況や水位はライブカメラでも見える。
伊豆大島の対応はあまりにもまずかった。しかし、火山島はどこに避難すると言ってもどこでも災害のおそれがあった。船で避難しても台風の接近による波浪の危険もある。


古い町並み 岡山県御津町の町並み

2013年12月18日 | 古い町並み
撮影場所  岡山県御津町金川(現在は岡山市)

岡山の街道という本に御津町金川の町並みが載っていた。まだ舗装もされていない道路にナマコ壁の続く町並みだった。
昭和40年だからどこの地方の町では古い建物ばかりだったのだろう。
写真の頃は岡山に住んでいなかったので昔の事はわからない。
平成になり近くを通過する折に立ち寄ってみた。
昭和40年の写真の面影はなく何軒かの古い民家があったので撮影する。
かっては店屋が並び近在の農家の人が買い物にきたのであろう。
今は町はずれに大きなスーパーやホームセンターが買い物の中心地になっている。
昭和から平成に掛けて10年毎に町の姿を定点撮影しておけば町の変遷を知る貴重な資料になっただろう。
地方の暮らしを記録した人はいるものだ熊谷元一氏などは戦前から阿智村を刻銘に記録している。若い頃に先人の功績を学んでおかないといけなかった。


日本茅葺紀行 その101 秋田県横手市の茅葺き民家

2013年12月17日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 秋田県横手市

私の場所では東北の民家は教えても出かけている。こちらから行って走りながら探すのは時間がないので効率が悪い。
元気な頃には定年後は二ヶ月程掛けて東北の細道を走ろうと思ったが人の介助なしでは動けなくなり諦めざる得なくなった。
それでも東北まで旅が出来るだけ幸せである。
旅をしても宿泊するところがないと困る。ビジネスホテルは健康な人相手に設備ができている。身障者用の部屋を持っているところは少ないが東横インだけは持っている。
しかし、ネットでは予約できず電話のみである。ネットに載せていないのでほとんど空いているのは有難い。

横手の郊外に曲がり屋があるのを教えてもらった。
江戸末期に造られたが今の生活が出来るように改造しているので古く感じない。
横に立派な蔵があった。洗濯物が干してあり生活感があって撮影した。
庭から撮影させてもらったが車椅子のタイヤの溝が出来ていつも迷惑をかける。

横手といえばB級グルメの横手焼きそばが有名だ。
B級グルメになぜ焼きそばか疑問に思う。関西周辺では私が子供の頃から焼きそば食べていた。
富士宮焼きそばなどイワシの削り粉が使われているのが特徴だといわれていた。
私の子供の頃は鰹節は高級で代用品でサバ節やイワシの削り粉が使われていた。
昔から食べられていたところはB級グルメと名乗らず地域おこしの宣伝のため頑張っている
が名乗りをあげる。町おこしイベントだから眼くじらを建てる事もないか




懐かしの蒸気機関車写真展 その54 「宗谷本線」 

2013年12月16日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 北海道宗谷本線 音威子府 名寄

厳冬期に宗谷本線に行った。宗谷本線を走る蒸気機関車を撮影するために旭川から稚内を夜行で目指した。夜行と言ってもボックスシートに丸まって寝る。
稚内をめざす乗客は少なくみんなワンボックスをひとりで使っていた。
稚内行きの夜行列車はC55形の蒸気機関車が牽引した。
客室には蒸気機関車の石炭の燃えた匂いが漂っていた。
列車内は北辺を目指すに従い冷え込んだ。蒸気機関車の排気を使った暖房もあまり効かなかった。私は持参していた寝袋に入りやっと眠りについた。
北海道の列車はすべて二重窓になっていて寒さを遮断していた。
しかし、窓際は冷たかった。窓は凍り外の光景はぼんやりとしか見えなかった。
明るくなりかけた頃、民家のない雪原を走っていた。
ほとんど作物も作らず原野のままで残されていた。

稚内に到着し南稚内の機関区に立ち寄るが機関庫は戸を閉ざし撮影できなかった。
機関庫には気動車も入りアイドリング運転をしていた。
蒸気機関車も配管が凍結しないように燃焼室は石炭を埋火状態にしていた。
これから上りの蒸気機関車の牽引する普通列車に乗り旭川をめざした。
蒸気機関車に乗り蒸気機関車を撮影する旅だったが本人にとってはこれが極上の楽しみであつた。




茅葺き民家 京都府美山町の民家

2013年12月15日 | 茅葺き民家
撮影場所 京都府美山町三埜

美山町に母屋こ平屋を増設したような民家が何軒か眼にした。
年寄りや若夫婦のために増設したのか元々こんな形だったのかは直接住人の方に聞いていないので分からない。
物置に使っていたのかも分からない。
茅葺き民家を撮影していても民俗学者のように部屋の構造や寸法には興味はなく被写体として民家を対象にしただけである。
本来は細部にわたり見ていくのが茅葺き探訪の本道かもしれない。
まあ平成の時代になり茅葺き民家にもサッシが入り衛星放送のアンテナもクーラーを付けている時代である。
今の時代小難しく考えず茅の屋根がカメラに収めればよいと思って撮影している。






懐かしい風景  稲架掛け

2013年12月14日 | 懐かしい物
撮影場所 島根県安来市郊外

安来市の郊外で稲架掛けわしていたので撮影させてもらう。
バックに茅葺き民家の屋根が見える。
作業をしているところを撮影させてもらうと共にいろいろと地域の話を聞かせてもらう。
地域を旅する楽しみのひとつには新しい物を発見すると共に地域の話を聞かせてもらうのも楽しみのひとつである。
長年自然や災害と立ち向かいながら農作物を作ってきたので色々な体験やノーハウを持っている。しかし、それを聞き出すテクニックを知識と持っていないと何にもならない。

男はこんな会話は得てしてダメだ。書物で見聞きかじった自分の知識を主張しすぎ聞き役になっていない。人から話を聞くのだからお前の話などどうでもいいのだが自分の話をしたがる。
会話にならず全く人の話を聞いていない。
その点、女性はうまく相手をたてて話を聞くなあと感心する。(自己主張の激しく自分が大将の女性もなかにはいるが)
家内が地元の人と話をしているのを聞くと相手が話しやすいように遮らないない。
家内は茅葺民家なんか知識も全く興味がないので世間話を好きなだけしゃべらせている。
話しているうちに家庭の事情や地域で住む苦労なと聞きもしないのに勝手に喋ってくれる。
年寄りは自分の思いを聞いてくれる人を望んでいる。
私はその会話を横から聞いている。相手から教えてもらう以外にその中に沢山のヒントがあるのだ。




日本茅葺紀行 その100 神戸市民家

2013年12月13日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 神戸市

神戸市北区の有馬温泉にほぼ近いところに茅葺き民家が何軒かある。
この家は数年前に通った時にはまだあった。
夕暮れで柿の実んが沢山なっていた。日中ならば柿と茅葺きが撮れたのにと思った。
道路を挟んでもう一軒あったがここはトタンを覆ってしまった。
神戸市は新興住宅地や商業地や大きな高層マンションの隅々に昔ながらの集落や茅葺きが点在している不思議な土地である。
土地の茅葺きの職人さんが神戸には1000軒の茅葺き民家があったと話してくれた。
昭和47年頃の話であろうか
昭和49年頃の美山町の茅葺き民家集落の新聞のスクラップを持っているが美山町には660軒の茅葺き民家が残っていると書かれている。美山町より神戸市の方が多かったのが伺える。
有馬温泉とはよく名を聞くが行った事がなかった。
温泉など入れる身体でないが冷やかしに温泉街を車で走ってみた。
年をとれば温泉にも興味も出るのだろが温泉には無縁のまま一生を終えそうだ。

懐かしの蒸気機関車写真展 その53 「走行 5」 踏切2 

2013年12月12日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 岡山県倉敷市

倉敷駅をでて伯備線を下る列車
街中を抜けて田園地帯にはいる。ゴミゴミした市街地、絵にならない風景だ。
どんな意図でこんな写真を撮ったかわからない。
余り深く考えずに撮ったのであろう。素人が色々と考え撮ったものより眼に付いたもの物をパチパチ撮ったものの方が後で見るとよかったりする。
この写真の面白いのは板張りの倉庫が味があって面白い。車がまだ古臭い。しかし、車は大分普及していたのだ。列車の通過を待つ間にこんな田舎道でも車が待っている。
壁板も新建材ではなく板張りが使われている。
写真は時間が成熟させるという人がいる。天然素材には時間の経過で成熟する事があるが新建材やサッシでは50年経過しても古さの味はでないようにおもう。

以前、介護を受けていた若い女性が訪問で訪れる家の孫の男の子が「ねえやん 踏切動画」とパソコンに入力してくれという。孫の男の子は鉄道が好きで踏切の警笛音と電車の通過する音と映像がすきなのである。この踏切動画は私も見ていた。
今はビデオカメラが数万円で買えるので子供でも写真とともに撮影している。
我々の頃は8mmカメラの時代で映像は撮れても音が録れなかった。



倉敷市酒津の踏切