懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行  NO,107 広島県河内町の民家

2014年02月09日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 広島県河内町(現在は東広島市)

大和町から河内町の茅葺き民家を探す。
茅葺き民家の脇に小屋があり茅だったが痛みかけていた。
造りはこのあたりでよく見かける寄棟の箱棟です。瓦は茶色の釉薬瓦

軒下に椅子が置いてありご主人が新聞を読み始めたので撮影させてもらう。
この近所に茅葺き民家が聞いた。
三軒教えてもらったがうち二軒はいくら探しても発見できず。


茅葺き民家 兵庫県丹南町の民家

2014年02月08日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県丹南町(現在は篠山市)

丹南町の国道372号線沿いから見えた民家
大きな柿の木があった。柿の実がたわわに実ったら撮影にこようとおもったがそれっきりでトタンを覆ってしまった。
何事も思い立ったら吉日で早く行動をしないとすぐに何年か経過してしまう。

周囲の畑で収穫した丹波の黒大豆を干していた。この沿線は秋になると枝豆用の黒大豆を売っている。私も黒大豆を何年か作った事がある。黒大豆は普通の大豆より時間がかかり背丈も一メートルを超える。売っている枝豆のように鈴なり実がつかない。
地元の人にどうしたら鈴なりになるのかと聞いたら葉が四枚でた20センチくらいの時に摘芯をして脇芽を出させるようにとアドバイスされた。




懐かしい物 背負子

2014年02月07日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県加茂町物見

茅葺き民家を撮ろうとしたら背負子を背負った女性が通りすぎた。
チャンスとばかりシャッターを押した殺気を感じたのか振り返った。
アチャである。
タイトルは見返り美人のほうがよかったかな。

懐かしの蒸気機関車写真展 その59「三重連 その3 」

2014年02月06日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 岡山県新見市 伯備線布原

蒸気機関車ブームの頃、最後の三重連が撮影できる場所として人気を博した。
鉄道ファンのほとんどの人が足を運んだ。
撮影場所の山は木々に覆われていたが木を折ったりするので伐採し入場料を取るようになった。今の布原の撮影場所は木々に覆われて昔ここでドラマがあった事は想像もできない。

SLブームが社会現象としてマスコミにとりあげられていた。
地元のマスコミのテレビ局のスタッフがそのあたりのゴミをかき集めさもマナーの悪いさの撮影していた。こう言うのをやらせと言うのである。
それを見ていた鉄道ファンがマスコミはそこまでやるかいう声が聞こえた。
布原の登り勾配はたいした事はない。駅のスパンが長いため信号所を設けた。
三重連の石灰列車は下りの気動車を待つため停車する。
駅で停車しなければ重連なら惰性で登りきれる。
むしろ厳しいのは新見と布原の下りは厳しい登りである。

三重連の発車は9時すぎであった。
秋から冬は川沿いのため霧がよく出る。山間でまだ太陽もでずカラーフィルムの感度では撮影が難しい。
天候に恵まれるかは時の運である。
停車の蒸気機関車から三本の汽笛が鳴ったらいよいよ一分間時のドラマが始まる。

夏場の布原はマムシが出没するため駅長が口うるさく注意していた。私も畦道でまるまったマムシを二度見掛けた。三脚を伸ばし押さえつけて逃げようとしない。叩き殺すのもむごいし三脚が壊れるので押さえていたらマムシのほうからノソノソ逃げ出した。

日本茅葺紀行  NO,106 山形県真室川町の民家

2014年02月05日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 山形県真室川町


真室川町に手紙を書き茅葺き民家の所在を教えてもらった。
道を一本一本走って探すのが本道であるが東北まで足を伸ばして田舎道を走って探すのは効率的でない。しかし、教えてもらった情報だけでは見落としもある。
思わぬ道で茅葺きに出合うものである。
しかし近年では単純に走っていて出合えるものでない。
山形は曲がり屋もあるが普通の寄棟造りが多い。
西日本の民家に比べて横に長い大きい民家が多い、
道路に面する高さは厭なのか石垣を積み一段高くしている。
民家は一段高くした方が見栄えがよくなる。
高速道路のSA 、PAでも数段高くしているところが多い。
見栄えがよくするためであろうが身障者にとってはスロープを車椅子をこぎながら登るのはひとりでは大変である。

雪の茅葺き民家

2014年02月04日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県加茂町倉見(現在は津山市)

茅葺き民家を撮り始めた頃は好んで雪と茅葺き民家を撮影に行った。
スキャナーをしていてまた雪の写真かと思うほど沢山撮っている。
そうして思うのが雪を被った民家の写真などどこで撮っても同じだと思う。
非日常的で見掛けない風景で汚いものすべて隠し美しい風景だがただそれだけである。
生活感はないし見ていても面白味のない写真である。
漫談のギャグに美人は3日見れば飽きるがブスは3日すれば慣れるの言葉のように
雪の写真は三枚みればもういいと思うようになった。
民家は屋根の形状が見えてどの地方の民家がわかり生活感の溢れる物が見える風景がやはりよいとおもう。
もっと人々が活動的に生活しているシーズンの写真がいいとおもう。





なつかしい物  井笠鉄道籤場駅

2014年02月03日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県笠岡市籤場

井笠鉄道は昭和46年に廃止された。
その後引き継いだ井笠バスも倒産に追い込まれた。地方の公共交通の経営の難しさである。
日中のバスの利用者はほとんどいなく。空でバスが走っている光景を見かける。
ある程度の人口密集とバス利用者がないと運用は難しい。
テレビを見ていたらバスマニアが一時間に停留場を停車するバスの台数の多いところを競っていた。埼玉県には一時間に100台を超える路線もあった。三台四台並んでバスが走ってくる。
路線が合流するところでは一時間に50台、60台の通過する路線が何カ所かあった。

井笠鉄道の廃止の前にコッベル蒸気機関車の展示があり見に行った。
お父さんが子供連れで機関車に乗り撮影していた。横からその風景を撮影させてもらった。
みんなカメラに向かって並んでいる。かしこまって並んでいるのが写真家植田正治氏の鳥取砂丘の代表作のように思えた。

笠岡市籤場には廃止後一度も訪れた事はない。訪れようとも思わないが地図を見ると笠岡高校の近くのようだ。
笠岡の街も古い建物が残っていた。三脚を持って撮影に来ようと思ったがそれっきりだった。







懐かしの蒸気機関車写真展 その58「三重連 」

2014年02月02日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
長らく入院で休んでいて申し訳ありませんでした。
大晦日に心筋梗塞を患ったのに二日我慢したため心不全になり息苦しくなりコーヒーのような尿が出たため命が危ないと思い救急に入院しました。
胸が苦しくなってすぐに入院すれば一週間で退院できたのに一カ月かかってしまいました。
ほとんど運動もせず体重も重く健康な人の何倍もリスクが高いのに不摂生を恥じています。
休んでいる間、励ましの言葉を頂き感謝しています。まだ本調子ではありませんがブログを再開いたします。今後ともよろしくお願いします。


撮影場所 播但線生野越え

蒸気機関車が各路線で終焉を迎えるのに合わせて色々なイベントが開催された。
播但線の三重連運転もこの一環でした。
和田山から生野の山を越えて姫路まで三重連が運行された。
生野の峠越えには大勢の鉄道ファンが群がった。
山といい田圃の周りに人が群がっていた。
遠く大阪や神戸から車で撮影に来ている人もいる。
道路にずらりと駐車されている。
道路の整備はされていなかったのに生野まで車で来ている。

私の住むところからだと新幹線もなく夜行の寝台特急に乗らないとイベントに間に合わない。
夜中に特急料金を支払いブルトレの空いている席に乗せてもらった。
生野越えは撮影ポイントとしては素晴らしかったが北風が強いと煙が巻いて写真にならなかった。
あの当時の手動フィルムカメラを使った人は一瞬一瞬に魂を込めて撮影したとおもう。