懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

岡山の茅葺民家写真展 -26 小屋も茅  その1

2014年07月09日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡谷県加茂町河井

今回から四回にわたり母屋と小屋が茅葺民家をお送りします。


この民家は道路脇にあったので撮影されホームページにもよく登場している民家です。
しかも、すぐ横を因美線が走っているので大堰堤より全景が撮影できる。
元気な時に列車と茅葺を撮らなかったのか悔やまれる。

母屋の横に小屋も茅葺の民家は立派な副賞の付いたオマケのようで絵になる。
横綱が太刀持ちを従えたようにも見える。
曲がり屋などは小屋の機能も持っているので小屋は必要ないがその他の地域は農機具や資材や収穫した物を入れる倉庫が必要である。
昔は牛小屋も資材小屋も茅葺だったと思われる。今は茅葺民家でも瓦屋根の倉を持っている家が多い。

母屋の隣に茅葺の小屋があるのは関西以西が多い。
こんな民家に出合えばラッキーと思いカメラに収めたい。


茅葺民家 滅びゆく茅葺民家

2014年07月08日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県篠山町

篠山町から国道173号線を北上していたら集落の片隅にひっそりと住む人もない民家がひとつあった。
もうかなり痛んでいた。
茅葺民家の痛みは住む人がいなくなり更に進む。
過疎化、高齢化も茅葺の維持を難しくしている。

21世紀の現代、草で葺いた民家に住む事、自体が驚きである。
縄文時代や弥生時代が現在に受け継がれているのは驚異である。

蒸気機関車を撮っていた頃、出合った機関車をすべて一台一台撮らなかったかと悔やまれる。
茅葺民家は一軒一軒撮影して茅葺民家写真コレクションを楽しみたい。



日本茅葺紀行  NO,143 和歌山県かつらぎ町

2014年07月07日 | 日本茅葺紀行

NHKの番組で21世紀になる時に「21世紀に残しておきたい日本の風景」という番組があった。森田美由紀アナウンサーが担当して一年間にわたり日本の都道府県すべてを紹介していた。

それは誰でも知っているところではなくローカルな場所が多かった。
何カ所か茅葺民家が登場した。
和歌山県では干し柿と柿の生産で有名なかつらぎ町が紹介された。
干し柿が一面赤く染まるほど干された光景が紹介された。
その中に茅葺民家が何軒も写っていた。
関西ではこの風景は毎年のようにローカル放送で流されていたようだ。
私はその放送があるまで知らなかった。

かつらぎ町は柿の生産が日本一だそうだ。
急な斜面は徳島の祖谷を思わせる、斜面に石垣を築き柿畑が山の上まで伸びている。
厳しい環境での柿の栽培である。この風景を見て四国と紀伊半島の地形はよく似ていると思った。紀伊水道があるので分かりにくいが地質的につながりがある。

ここの柿の品種は平核無(ひらたねなし)で平たい柿だが渋柿で種がないので干し柿や生食に適している。
無人販売機で渋抜き柿が一袋100円で売っていた。
一袋だけしか買わなかったが食べてもっと買っておくべきと思った。
大変甘くておいしい柿だ。


蒸気機関車 C6223

2014年07月06日 | 蒸気機関車
撮影場所 広島県三原市 糸崎機関区

国鉄最大の蒸気機関車C62形は存在感があった。
特急や急行を牽引するために戦後造られた。
製造は49両で重量も重く幹線しか走っていない。
私が蒸気機関車を撮り始めたのが遅く辛うじてC62形が撮影できた。
望遠レンズで正面から顔を撮影した。
フィルムを潤沢に持ち昭和の風景を残しておきたかった。

写真は思いつきではロクなものしか残らない。
鉄道のファンは多く沢山の写真が残っている。
しっかりとテーマを持って撮影している人は撮影する前に「構想」をもっていたと思う。
それと写真は自分の知識以上の物は撮れない。

岡山の茅葺民家写真展 -25 煙草 その3

2014年07月05日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県新見市法曹

煙草の収穫が近づいていた。順調に育っている。
両側を石垣の煙草畑、母屋も小屋も茅葺の民家だ。
裏に回ると畑には石灰岩が露頭している。カルスト台地特有の地形である。
カルスト台地に住む人は土地が突然陥没する事があり怖い。
備中町で集落が陥没し始めた事がある。小学校もあり空洞部に土を投入して陥没を落ち着かせた事がある。

煙草の葉は虫食いの出荷できない葉も枚数を数えて申告しないといけないそうだ。
しかし、枝は乾燥させて風呂の焚きつけに使っていた。
枝や軸も燃やすと煙草の匂いがするので煙草を吸った感覚になるそうだ。
大麻の皮を剥いだ軸は茅葺の下地に入れる地域もあるが風呂の焚きつけに使っても大麻を吸った感覚になるのであろうか

次の年にも撮影に行ったが葉の収穫は終わり軸だけが立っていた。
あれも面白いと思ったがネガが見つからない。

茅葺民家  夏は来ぬ

2014年07月04日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県賀陽町、余った苗を植えている。煙草の乾燥倉も見える。


唱歌 夏は来るぬ

作詞:佐佐木信綱、作曲:小山作之助

1 卯(う)の花の匂う 垣根(かきね)に
  時鳥(ほととぎす) 早(はや)も来(き)鳴きて
  忍(しの)び音(ね)もらす 夏は来ぬ

2 五月雨(さみだれ)の 注(そそ)ぐ山田に
  早乙女(さおとめ)が 裳裾(もすそ)濡(ぬ)らして
  玉苗(たまなえ)植(う)うる 夏は来ぬ

3 橘(たちばな)の薫(かお)る 軒端(のきば)の
  窓近く 蛍(ほたる)飛び交(か)い
  おこたり諌(いさ)むる 夏は来ぬ

4 楝(おうち)散る 川辺(かわべ)の宿の
  門(かど)遠く 水鶏(くいな)声して
  夕月すずしき 夏は来ぬ

5 五月闇(さつきやみ) 蛍飛び交い
  水鶏鳴き 卯の花咲きて
  早苗(さなえ)植えわたす 夏は来ぬ

日本を代表する小学唱歌です。日本の夏の風景をよくあらわしている。
言葉が難しい、忍音とか裳裾という言葉がでてくる。こんな言葉を調べるのもまた楽しい。
着物の裾を裳裾と表現するのか奥ゆかしい。昔の女性はどんな着物を着て田植えをしたのであろう。男は汚れるのでふんどしひとつで作業したであろうが、若い女性はどんな格好だったのか昔の田植え風景の写真をみたいものだ。
昔は水路が発達していしなかったので田植えは梅雨の雨を待って行っていた。
現在は五月初めに田植えが多い。関西以西は昔ながらの梅雨に入ってからの田植えが多い。
五月闇は梅雨空の暗い朝の模様をあらわした言葉です。




日本茅葺紀行  NO,142 広島県東広島市の茅葺民家

2014年07月03日 | 日本茅葺紀行

東広島市は広島の東側で人口が19万の街となる。高速道路、新幹線、山陽本線の駅もあり交通の便が良い。土地も平地が沢山残っている。しかし、神戸市などと同じで大きな川が無いので水道水の確保が人口の伸びに対応できるのであろうか

こんななかに茅葺民家が結構残っていたそうだ。私はそれを広島で茅葺民家を撮っている人の写真展で知った。20世紀まではかなり残っていたようだ。
私が広島県を訪れたのは21世紀に入ってからである。
この民家も教えてもらい訪れた。
土塀があり昔からの民家である。
寄棟で箱棟の民家である。今頃の時期だったので稲が青く伸び掛けている。
菊科のルドベキアが黄色い花を鮮やかに咲かせている。


懐かしい物 板壁の倉庫

2014年07月02日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県倉敷市

散歩の途中、懐かしさに誘われ板壁の倉庫を撮影する。
昔ならばほとんどの倉庫は板壁か漆喰であった。
そんな板壁を撮り集めてもひとつのテーマになりそうだ。
貼られているボスターや看板に時代が残されている。

板塀は時代の経過とともに味が出てくる。
こんな板壁に沿って歩いた記憶はいつまでも残っているものだ。
板の節を押しているうちに節が抜けた事もある。
倉庫の中には何が入っているのかと思いながら一度も見る事なく解体されてしまう。


岡山の茅葺民家写真展 -24 煙草 その2

2014年07月01日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県賀陽町

煙草は遅霜に遭わないようにとんがり帽子をかぶせている。
しかし、とんがり帽子を外した六月になっても雹(ひよう)がふる事がある。
今年も三鷹市で雹が降りトウモロコシなどの農作物や建物、車に被害があった。
5mm以上の氷を雹というらしい。それ未満は霰(あられ)と定義されているそうだ。
会社で冬場に霰が降ってきたと行ったらアラレと不思議な顔をされた。アラレはオカキのアラレかと聞く、彼にとってはアラレは食べるアラレか漫画のアラレちゃんしか思い浮かばなかったのだろう。
日本の季節を表す言葉は豊富である。
和歌に始まり短歌や俳句などでも詠まれているので語彙が豊富である。

こんなとんがり帽子も見られるところが少なくなった。
特に茅葺民家と一緒ところは少なくなった。
煙草は岩手県でも沢山植えている。煙草は国分と唄に唄われるから暖かい地方だけかとおもったらそうでもないようだ。

撮影場所 岡山県新見市草間