懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

イチゴジャム

2022年05月14日 | グルメ
イチゴの最盛期
小さめのバケツに、ここ二週間で5杯取って来た。
子供に三杯あげた。他人にあげられる代物ではない。
大きさバラバラ、味もバラバラ。

イチゴはランナーの2番3番を苗にしないといけないが混植しているので何番目かわからない。ほったらかしでも実はなる。
イチゴジャムにすれば食べられる。
煮詰めると体積は半分以下になる。
今は何でもyoutubeである。
うちはイチゴと砂糖だけ何も入れない。30分煮詰めて完成
パンに塗ったりヨーグルトに入れる。

子供の頃のイチゴジャムは何が原料? ニンジン
40年代になり外国産が輸入されツブツブのイチゴまるごとに感動した。
私の子供の頃はチョコレートもガムもまやかしものばかり。本物を知らなかった。

若い女性がイチゴは旬の12月がやはり美味しいねという。
クリスマスケーキの時が生産が多いが自然では旬は5月
12月に実を付けるには苗を冷蔵庫に10日ほどいれて冬を体験させてハウスで加温栽培。



私の昭和鉄道遺産 長野機関区 扇形機関庫とターンテーブル

2022年05月14日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 長野県 長野機関区 8620型機関車

扇形機関庫もターンテーブルも、ほとんど姿を消した。それでも梅小路を含め残っている。
ターンテーブルは蒸気機関車の方向転回させる回転台
電車や気動車、ディゼル機関車、電気機関車は運転席が前後にあるので、乗り換えかポイントの切り替えで方向転換は必要ない。

梅小路機関庫は重要文化財である。
こんなコンクリートと鋼材が重要文化財になるとは思わなかった。
これが分かっていればもっと真剣に撮ったのにと思う。
こんな物も昭和の鉄道遺産である。

大体 重要文化財は昭和の時代には江戸時代の物が対象であった。
アメリカはその当時、200年の歴史しかなく車から電化製品、B29爆撃機、ロケットまで博物館に保存する。

日本も近代化遺産として明治以降の物も保存する。
そんな観点で写真を撮っておくべきだった。レンガ積みの倉庫や煙突、石造りの倉庫など

C56型機関車




懐かしい物 黒牛のいる風景

2022年05月10日 | 懐かしい物
撮影場所 広島県旧高野町

茅葺民家を撮る時にテーマを掲げた。
動物のいる風景として牛、馬、ヤギ、鶏、犬、猫を撮ろうと思った。
馬はさすがに難しく1軒のみだった。
牛は割と撮れた。広島の北部や島根には牛を飼っていて茅葺民家も残る。
それでも撮れたのは広島、島根、岡山、兵庫、大分、熊本、岩手だった。
熊本県だけは赤牛 肥後の赤牛といわれている。

牛は日本にいなくて朝鮮半島から船で渡ったといわれている。
古来の牛は山口県の見島の見島牛とトカラ列島のトカラ牛が特別記念物として保護されている。

明治以降は外国の牛と掛け合わせ大型化した。昭和30年代までは役牛としは農家にかわれていた。力の強い雄牛が重宝された。中国地方では雄牛を特牛(こっとい)という。岡山に来るまでこんな言葉は知らず。広辞苑にも載っているしパソコンも変換してくれる。
山陰線の西の端 角島の近くに特牛駅がある。難読駅名で有名。

今は農家で子牛を産ませセりに掛けて肉牛飼育牧場が育てる。



要害山とは

2022年05月08日 | 日記
ようがいざんと読む。

意味は味方には必要なもの、敵には害なもの
重要な地に築いた山城や要塞を指す。
各地に1/10万の地図を持ち、茅葺民家を探しに行った。 

要害山や要害桜、要害温泉の名を目にする。
何だろうと検索したら要害山は全国各地に存在する、
島根県大田市 (銀の産地で外敵を守る為の城)
山梨県 甲府市武田家の山城、山梨県上野原市 要所の山城 、東京青梅市、新潟県村上市の山城、山形県山辺町。仙台藩と盛岡藩は争いが絶えず要塞を作った。江戸時代は一国一城の掟があり要害の地に要塞や陣屋を建てた。

要害桜は広島県庄原市東城町小奴可にある。
要害温泉は山梨県甲府市あるが古く改修費がかかり廃業。




茅葺民家  田植えの頃

2022年05月08日 | 茅葺き民家
撮影場所 鳥取県智頭町

智頭町は岡山県に隣接している。
国道53号線で黒尾峠を越えると鳥取県智頭町に入る。
茅葺民家を撮る前にも何度も通ったが、茅葺民家の存在も田園風景も記憶に残っていない。無関心は怖いモのだ。
田植えの終わった田に茅葺民家。稲架掛けも見られる。残したい日本の田園風景である。 

何も気づかず歳を取っていたかもしれない。
人間はほとんどの物に関心を深くもたず過ごす。
そんな,中から一つか二つ心の琴線に触れるような物を見つけたいものだ。
(女と酒とギャンブルに金と時間を貢のは結構いるが)

若い頃から関心事を書く備忘録に残し、テーマを見つける。早く行動を起こす。行動は10年以上は継続し作品にまとめる。

今はSNSなどで誰でも作家になれる時代だ。











 

日本茅葺紀行 NO,571  水鏡 

2022年05月05日 | 日本茅葺紀行
撮影場所  山形県飯豊町

田植え前後の田に水を張った光景は美しい。
カメラを持ち雪山を入れたり撮影に出かける。

畑作ばかりの欧米の人には新鮮に映るそうだ。
コロナ前のインバウンドの盛んな頃は、日本の農村風景を見るツァーもあったそうだ。

水田はアジアモンスーン気候で米作の地域だけだ。
棚田も大勢撮影にいく。
棚田で世界遺産になったのは四か所
フィリピン、中國、インドネシアのバリ島、日本の長崎 隠れキリシタンが住み着いた棚田

今は畦道は歩けなくなり、こんな写真も撮れない。

茅葺民家も少なくなり特定の場所しか撮れなくなった。
田植え後、寒冷地は霜の害で傷まないように水を張り保温する。
暖かい地方は田植えで水を張ると稲が浮くので水を抜かれ絵にならない。

愛媛県久万町

山形県川西町

兵庫県丹波篠山市



私の昭和鉄道遺産 若松機関区 D50型機関車

2022年05月03日 | 私の昭和鉄道遺産
D50型機関車は、D51型と競合する路線で走っていたので早々と減った。
筑豊本線に辛うじて数台残る。
D51と外観の違いは蒸気ヘッダーが下にある。
C57もそうであるがヘッダーは下が好きだ。

若松は石炭の積みだし港として栄えた。今はコークスの集積場
筑豊炭鉱の集積場として労働者が働いていた。

この前の日曜のNHK小さな旅は若松をやっていた。
コロナで取材に行けないので、以前見たのを再放送していた。
若戸大橋、労働者相手の角打ちの飲み、立ち飲みの飲み屋だ。
家内がよく言っていた。 中学校の帰りに父親が立ち飲みの酒屋で飲んでいるを見るのが嫌だったという。 建具の製造をしていたので呑み助が誘いにくるのだろう。
昔ながらの天ぷら屋と散髪屋の紹介、労働者が減り細々とやっている。

若松には何度が行ったが機関区や線路脇しか知らない。
自分の興味のあるのしか、見ていないものだ。

懐かしい物 森林限界

2022年05月01日 | 懐かしい物
懐かしい物 森林限界

撮影場所 鹿児島県屋久島 永田岳

藤井五冠は事あるごとに驚くような言葉を発する。
望外、僥倖、森林限界と藤井語録に老人は感心するのだ。
五冠になった時に、富士山に例えると何合目ですかと聞かれた。
森林限界くらいでしょうかと言った。八冠のうち五冠なので上手い言葉を使ったと思う。
難関高校を中退してびっくりしたが、あれからの活躍は目覚ましい。
一芸に秀でた人は学歴にこだわらない。15歳で外国に修行に出て金メダルの人もいる。

森林限界とは木も育たない所か、ハイマツのように地を這う木が育つ所か調べてみた。
森林限界とは強風や積雪で木が高く成長出来ない状態だそうだ。
屋久島の頂部はまさに森林限界であった。

熊笹が生えているのか思ったら一メートル位の石楠花(しゃくなげ)であった。矮小化しているが何百年も生きた石楠花だ。屋久島は屋久杉が有名だが標高が高くなれば一面、 石楠花が生えている。屋久島は雪の多い年には5メートルの積雪がある。
日本石楠花は栽培が気難しい。園芸用は育て易い西洋石楠花が多い。

屋久島には昭和42年と43年に行った。昭和42年は東西に縦走し昭和43年には南北に縦走した。まだ営林署も小学校もあり屋久杉の伐採はしていた。
しかし、環境保護が叫ばれ伐採は打ち切られた。搬送トロッコのある近くは歩いて一時間伐採跡の荒涼としていた風景だった。荒廃とした光景は撮る気にもならずほとんど撮影していない。今は植林され40年、緑は復活したのであろう。あのままでは世界遺産にはなっていない。

屋久島はほとんど花崗岩で火山活動で盛り上がったのであろう。
近くの硫黄島や口永良部島は火山活動が活発、7300年前に鬼界カルデラが爆発して南九州の縄文人は全滅したという。屋久島も噴石で焼き尽くされたという。
山は再生され動物もサルや鹿は多く棲んでいる。焼き尽くされた島に植物や動物がどうして回復したのか不思議だ。