主人8月15日、終戦記念日の日になくなりました。
朝7時半ごろ病院から電話があり「ご主人意識がなくなったのですぐにきてください」ということでした。
丁度次男の家族が夏休みで来ていたので。車で行ってもらいました。
主人個室のベットに器械につながれていました。
入院するときに私、延命治療はいりませんと判を押してあったのです。延命の措置はしてありません。
5日ほど前に看護師さん「帰りに寄ってください」と言われ行ってみると、食べないし水もあまり飲まないので、急変することが有りますから覚悟しておいてください」と言われていたのです。でもこんなに早く急変するとは思ってもいませんでした。
看護師さんの話では朝食で車いすに乗せていただいて、食堂に行っ待っていたようです。そこで意識がなくなったのだそうです。私たちが付いた時にはもう話はできませんでした。
でも前日次男の家族、長男の家族と一緒に病院へ行って話をしてきました。
我が家にとってただ一人の女の孫。「誰かわかる?」と聞くと名前を言いましたから。
男の子の孫3人は皆、背が高く、同じように見えてしまうようですが。
主人にとっては皆に会うことができ、亡くなった日が「終戦記念日」。少年飛行兵の少年時代を過ごし、口癖が「昭和の生き証人」といつも言っていました。
その日まで頑張っていたのでしょう。
晩年は少年飛行兵仲間も皆いなくなり、少飛時代の話をする人もいなくなりました。
きっと今頃は仲間に、変わった今の時代の話をしていることでしょう。(主人メールを覚えて知人にメールをするのを楽しんでいましたから、俺はメールというものができるんだぞ。と自慢しているでしょう)
葬儀も19日に家族葬で済ませました。
これからやらなければならないことがたくさんありますが子供たちに任せておこうと思います。
夏休みだったので少しは時間がありますので。主人そんなことも考えたのかな。
これからのブログ介護がなくなり、また自分の好きなことができます。
あまり進まない手仕事になりますがよろしくお願いします。
朝7時半ごろ病院から電話があり「ご主人意識がなくなったのですぐにきてください」ということでした。
丁度次男の家族が夏休みで来ていたので。車で行ってもらいました。
主人個室のベットに器械につながれていました。
入院するときに私、延命治療はいりませんと判を押してあったのです。延命の措置はしてありません。
5日ほど前に看護師さん「帰りに寄ってください」と言われ行ってみると、食べないし水もあまり飲まないので、急変することが有りますから覚悟しておいてください」と言われていたのです。でもこんなに早く急変するとは思ってもいませんでした。
看護師さんの話では朝食で車いすに乗せていただいて、食堂に行っ待っていたようです。そこで意識がなくなったのだそうです。私たちが付いた時にはもう話はできませんでした。
でも前日次男の家族、長男の家族と一緒に病院へ行って話をしてきました。
我が家にとってただ一人の女の孫。「誰かわかる?」と聞くと名前を言いましたから。
男の子の孫3人は皆、背が高く、同じように見えてしまうようですが。
主人にとっては皆に会うことができ、亡くなった日が「終戦記念日」。少年飛行兵の少年時代を過ごし、口癖が「昭和の生き証人」といつも言っていました。
その日まで頑張っていたのでしょう。
晩年は少年飛行兵仲間も皆いなくなり、少飛時代の話をする人もいなくなりました。
きっと今頃は仲間に、変わった今の時代の話をしていることでしょう。(主人メールを覚えて知人にメールをするのを楽しんでいましたから、俺はメールというものができるんだぞ。と自慢しているでしょう)
葬儀も19日に家族葬で済ませました。
これからやらなければならないことがたくさんありますが子供たちに任せておこうと思います。
夏休みだったので少しは時間がありますので。主人そんなことも考えたのかな。
これからのブログ介護がなくなり、また自分の好きなことができます。
あまり進まない手仕事になりますがよろしくお願いします。