日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 彼岸花み~っけ! ”日本民家集落博物館” *

2009年09月23日 | 花や木


ひろとママ年2度の里帰り、来阪していたお姉さん妹さんと子達、実家の鹿児島へ帰るのでみんなで関空へお見送り。



ひろとママ年2度の里帰り、来阪していたお姉さん妹さんと実家の鹿児島へ帰るのでみんなで関空へお見送り。
9時半発、バイバイしたのに11時過ぎには鹿児島空港でのお決まりの足湯の様子を写メで送ってきた。 
ご両親は嬉しいだろうなぁ、娘さんたちみんなに会えて、孫3人一度に会えて。
午後にはもうお父さんの愛馬、ポニーへ乗った写メが~。
かずま君の「乗る乗る」に対して、ひろとはかたくなに「乗らない」と言っていたのに。あ~良かった。 
すでに田舎の空気たっぷり浸っていることがとても嬉しい。 1日に帰るまで、いっぱい楽しんで来るだろう。



午後は長女夫婦が、服部緑地公園にある野外の日本民家集落博物館へ連れて行ってくれた。
セイ君の彼岸花に合いたいと言う悲願? 私も! わ~・・彼岸花見っけ~! とりあえず一枚。

* お彼岸 *

2009年09月22日 | 雑感

 

お彼岸・・特に秋の彼岸には思い入れがある

次女が生まれたのは30年前の7月24日、実家の母が足が悪く来れなかったので産後は義母のお世話になった。
入院中に義父が来阪し我が家の3人目の孫の出産を喜んで見舞ってくれた。 
夫は父親を日生球場で観戦したり天神祭りに連れて行ったり、あちこちに案内した、一番暑い大阪の夏に。

腰が少し曲がっていた義母だが、床上げの終わる3週間までいてくれてこまめに食事の世話をしてくれた。
幸い次女は飲んでは寝て、「手のかからん、きさんじな子や」と褒めてくれてほっとしたのを覚えている。
母乳にいいとお昼には団子汁を必ず作ってくれていた。 時々懐かしくて作るときがあるが有難く義母を思う。
暑さに負けたのか、義父は不調を訴え先に田舎へ帰った。 義母が帰って間無しに入院したと言う知らせ。
一ヶ月あまりの入院のあと、帰らぬ人となった。 

今思えば、まるで自分で死期を悟っていたかのように、最後の力を振り絞って暑いとき暑い大阪へ来てくれた。
市内の義姉のところに寝泊り、我が娘にも息子にも会い最後の別れをしにきたのかも知れないと思っている。
何度か”太陽新聞”のタイトルで家庭新聞を作り子供のことや面白い出来事などを書いて病院へ送った。 
最後に送った新聞と手紙が届いた日、目を通す事も無く永遠の旅に立たれた。
ちょうど次女が生後2ヶ月を迎えた翌日、彼岸の9月25日だった。
 
核家族の私には、結婚して6年ほどしか義父には嫁として接することが出来なかったけれど、
義母と過ごせた3週間、義父が最後に来てくれたときの夏のことは、一生の尊い大切な思い出となっている。
義父の2年前に他界した実家の父のこと併せ、秋、春の彼岸にはお墓参りのつもりでお供えを送る。 
もう30年になる。 義父へのお供えなので、この時ばかりは義母が必ず電話に出てお礼を言われる。 

とっても秋らしいお菓子を見つけてあったので、それに岸和田のだんじり祭りの写真と還暦を迎えた
夫の誕生日の時の、一番いい笑顔の写真に便りを添えて荷物を作った。 
長いことその準備にかかっていたので、夫が何度か「お~い」と呼んだが「荷物してるから」と
みんな断った、偉そうに。 いや、別に自分でも出来ることばかりなのだけれど。

彼岸花の咲く頃、義父を偲ぶ。  時々、ちくりと耳の痛いことも言われたが、学びが多く好きだった義父を。

 


* 船場まつり 2009まいどおおきに博・プレイベント *

2009年09月21日 | 歌・音楽・映画・観劇


この日の大阪は、後半雨になるとかの天気予報だった。 
特別予定のない夫と、朝から”船場祭り”のイベントで1日を過ごそうと思っていた。
長女から「姉妹さんたちとこっちで夜ご飯食べよう。 お寿司とるから魚料理そっちで頼む」企画してくれた。
私たちは沢山の魚、食べてもらえるし一緒に食事できるしで大喜びで下ごしらえ。
「はりきるで~!」みんなに食べてもらえると思って、メッチャ張り切っている夫(ええ人やなぁ)

長女夫婦は、ひろとママ姉妹を伊丹スカイパークへ案内したようだ、あそこなら子供が遊べる。




大きな鯵20匹、夫が3枚におろし私が40枚分中骨をとる。 
間に合うかな・・船場まつりは無理だけど、ミュージック博、1時半開場、2時開演なんだけど!

12時前にやっと出来上がり、急いで電車で出かけた。 バタバタしていたし暑い~、今日は。
お昼は船場センターの地下で(時間がない!)「ラーメン定食食べよ」「何よ~、この暑いときに」
私の勝ち、「冷やしうどん!」 急いで急いで、中央区民センターへ。 





1時半過ぎ、すでに開場。 チケットを購入していると声をかけられた。
「え!」振り返ると今日の我々のお目当て、ブルーグラスのトップミュージシャン稲葉和裕さんだった。 
主人がロビーにいるので厚かましく会っていただいた。 
お久しぶりなので思いがけない稲葉さんとの出会いに大喜びで、自分は船場の住人なので話していた。
2時開演だが、稲葉さんは最後4時から50分の演奏だそうで時間前の雰囲気を味わっておられた。

あ~、爽やかな方である、もうお出会いして10年近い。 
稲葉さんの演奏はもちろんだがお人柄に惚れて、追っかけしていたなぁ、私も若かったんだ。 
6月のコンサート以来である

相愛高校吹奏楽部の方の演奏で始まった、そして若いミュージシャンが次々。 




ウィグル舞踊。 美しい特に指先のしなやかな踊り、2人女性がおられたが笑顔の素敵な方がやはり魅力。
鮮やかな衣装、笑顔・・ジャミラ・ウライムさんが歌を歌われた”異邦人”上手! 




いよいよ稲葉和裕さん。  
稲葉さんのブログにも書いておられたが、緞帳があがるなんてこと普段のコンサートやライブではない。 
澄んだ美しい声、発音、うっとり。 誕生日にもらいたての夫もカメラを・・5分もすると電池切れ!
ちょっと怒り顔、初めて動画と言うものを撮ろうと思っていたようで申し訳なかった。 
(でもね・・昨日の釣りの朝、電池いっぱいにして渡したの不思議でたまらない)

中学の時、夫が良く”500マイル”を弾いていた。 私は夫よりそのギターに惹かれたのだ、多分。
”テネシーワルツ”にグリーングラス、あ・・中々題名が出てこない・・)誰もが馴染みのあるカントリーなのに。
特別ゲスト、ウィグル舞踊のジャミラさん! 稲葉さん、美しい女性と・・心なしかいつもより嬉しそう。



ベースの石平さん、フィドルの蔦川さん。 いつも素敵な演奏。 50分があっと言う間。
最後は”ジャンバラヤ”で大盛り上がり、私たちは前から二列目に座っていたが、前には
SKC船場経済倶楽部の名誉会長、かのどけちで有名な吉本晴彦さん。 
手で拍子をとりとっても楽しんでおられた。 はい、大体カントリーは我々後の年齢層が多いので。
緞帳が下りた後「アンコール!アンコール!」と一番に手拍子と声をあげられたのは会長さんだった。

あ・・良かった、久しぶりにまたまた堪能。 (夫はカメラの電池・・悔い)
ロビーへ出ると、もう稲葉さんも出てられてお礼は一言言って帰りかけたものの、「お父さん、写真!」
そう言ったけれど、会長さんと話し始められたのでやむなく・・・開演前お話した時、時間あったのに。
「一緒に写真撮らせてもらったら良かった」二人して、本日の二つ目の悔い。 





五時半に帰るなり、料理!料理! 一時間では無理、七時予定でセイ君宅へ集合。
ふぅ~ 鰆のたたき、鯵のお刺身、鯵のカレームニエル、鯵の磯辺揚げ、魚の味噌汁。
さぁ、みんなでお寿司&魚パーティー

お姉さんや妹さん、どれだけ振りかな・・、妹さんの3歳のかずまくん、初1歳のこうすけくん、
成長がとっても微笑ましいご対面。 賑やかな賑やかな楽しい夜を過ごした。





シルバーウィーク・・ゴールデンウィークに対してだったのか、私は敬老の日が入るからシルバーなんやと。

三人の孫たちから・・ きっとひろとも練ったであろうクッキー。
昨日なつめが「じぃじとばぁばのお箸もあるよ」と、ばらしてしまっていたけど夫婦箸をもらった。




* 夫は釣り 私は? 記憶がさだかでない *

2009年09月20日 | 雑感

6時半夫は船長、親しい友人夫婦の四人で釣りに出かけた。
台風の余波、昨夕風があったので気にしていたが帰らなかったから大丈夫だったのだろうと安堵。
夫の中には、みんなはもちろん客人ひろとママの姉妹さんたちにも食べさせてあげたいと言う一心。
(いえ、休日に何も予定がないというと大変に落ち着かない人だから、いつでも気合は入っている)
私は・・亭主元気で留守がいいに決まっている。 まぁ夫には友達もいるし、活動的な人なおで助かるけど。
趣味のない人と違って、老後もきっと楽しいに違いない、卓球はまだ現役だしそう言う意味では安心。

シルバーウィーク、連休って気が楽で嬉しい、だからって主婦には休日はあって無いようなもの。
連休でない息子は日曜休日、姉妹さんたちを通天閣に・・90分待ちと言うことで串カツを食べて・・。
次女夫婦は・・展君は野球だった? 長女と次女は子供を連れ中国出張だったセイ君を迎えに関空へ。
私は何をしていたんだろう・・記憶がさだかでない。

午後四時頃だったか夫が大漁だったと帰宅。  いただきもの鰆に鯵87匹、太刀魚15匹!
なんといつもは撮っているのに、撮ってない! 鯵ぼんぼん連れて撮るまでに気持ちがいかなかったようだ。
今日は珍しくさお釣りだったそうで、ならば行きたかったなぁ。
(いえ、だんじり祭りの後遺症で階段の上がり降りも痛くて・・このうえ無理は出来ないのだ)
鰆や太刀魚、鯵・・三枚におろし魚をさばくのは夫の役目。 魚の匂いがついているついでに・・。
これは慣例となっていて、私は大助かり、なので料理はしても魚をさばく腕は全くあがっていない。 

今夜は、鯵の塩焼きとお刺身とムニエル。  脂がのっていて美味しい。
船長のお陰で、いつも釣りたて新鮮な魚を賞味できる我々は誠に幸せである。
冷蔵庫が二つあるからいいようなものだが、一つならばとうてい入りきらない。 夫超ご機嫌!
最近は痛風の痛みも喉元過ぎ、薬は飲んでいるものの食事が進むクン。 ビール、焼酎、いいのかいな。

我が家が広ければ姉妹さんたちも来てもらってみんなで賑やかに食べてもらえるのにねぇとしきりに言う。
明日は”船場まつり”に行ってライブに行って・・と帰宅予定の予想がつかなくて思いが残った夜だった。

お天気も良く、きらきら光る海・・夫の何枚かの写真で少しだけ一緒にいた気分に。


* 岸和田だんじり祭り 編みこみ *

2009年09月19日 | 風景・お出かけ

夫は朝から私と出かけるとき「何時ごろ出る?」 と聞くと、「目がさめたら」と言う、いつも。
きっちり時間を言うのは、ゴルフと釣りのみ。 人を待たせてはいけないので。
ブログ・・とPCの前に向かっていたら、6時過ぎ「行くで」 そそくさと朝ごはんをかきこむ。
男はささっと用意できるが、女はそうはいかない。 塗らなくてはいけない、日差しがきついんだから。
南港大橋付近の車窓から・・

7時に出て、高石駅に車を止め、南海電車で岸和田へ着いたら8時。 
降りるなり紅白の幕、一気に祭りの雰囲気に。 駅前商店街は午後来る予定なのでひとつ東の通りを歩いた。
試験曳きでは通らなかったのでわくわく、人もまだまばら、通りは屋台の準備に余念が無い。

 

だんじりのうちわを製造している会社があった。 屋台でうちわを売っていたが艶やか。

 曳き出しの準備中。

 

観覧席のある岸和田カンカンベルサイドモールに向かう。 すでに道路脇は場所取りの人がすごい。
前日見た私は、違った背景で撮りたいとか思いながらも、すでに場所はかなりな人でうろうろ。
いよいよ9時半、曳行が始まり一気に静から動へと変わる。

写真は、人の少ない前日の方が良かった。

年季のある方々から子供まで,役割が決められ、だんじりの前は長会長、みんな嬉しそうだ。 

夫は誕生日にもらったカメラで撮っていたが、やりまわしの時の跳ね上がる写真が撮りたかろうと、
私は前日に写真を撮ったし、「私いいから、眼レフで撮りいよ」 眼レフの感触と連写が出来ると嬉しそうだ。

 「そーりゃぁ そーりゃぁ」 大きな声をはりあげ、聞いているだけでも気迫を感じ嬉しい。
阿波踊りは踊らにゃ損損・・だんじりは見ていて充分・・いや若ければ走って楽しんでみたいやはり。

 勇壮・・



一見狭いような路地も通る。 TVで見たことがあるがまわすとき、角家にあたり壊れたり・・するよなぁ。

 

だんじりで目を細めるのは、ちびっこたち。  だんじりと言えば、女子は素敵な編みこみヘア。 
(ピンクのぽっちりをクリック)
おじいちゃんや母親たこれもまたお祭りの楽しみなのでは。 かわいいちびっこ達の将来が楽しみ!


 
午前の部が終わる少し前に食事をし、駅前商店街へと場所移動。  あちこちで食事中。

細い通りにだんじりが置いてあった。 高さ4メートル、4トンあるそうだ。
細かい彫が施されていて素晴らしい。  町々の誇り自慢だろうなぁ。

パレードまでの休憩のひととき。 
帰りに気がついたのだが、人物・・我々の写真が一枚も無い! せっかくのお祭りだったのに~。
誰かに撮ってもらえば良かった。 たった一枚、眼レフで撮る還暦夫の赤シャツと空の青!と撮った後姿。

午後1時からは、駅前の商店街をだんじりが通り抜けると言う。 え~・・信じられない!
それが本当! 両側に観客が立っているそのそばを一気に走りぬける、ある意味無謀。
引っ張り勢い良く走っている人たちが、時には前列の人にあたるので、その人がこっちにびんびんぶつかる。

??? ・・・・ん? 

 町の誇り・・

パレードが終わりまた午後の曳行があるがパス、勇壮・果敢な岸和田だんじり祭り満足であった。
私の方では地域の人との繋がりが希薄な気がしている日常だが、伝統のお祭りを通し一年をかける、
そこに地域や年齢を超えた、縦の関係・・親密な繋がりを思うと一体感があり羨ましく思えた。

二時間近くアーケードの向こうへはもちろん渡れず、場所移動も身動き出来ず同じ場所で立ち尽くす状態、
メタボな夫婦、相当足腰に来た。 帰りの電車で仲良くうつうつ・・二駅寝過ごし引返した始末。
しかしお互いこれに懲りず、来年は夕方7時から10時までの灯入り曳行を見たいねと言う。
自分の中では、まだだんじりが走っているし、勇ましい掛け声が耳についている。 

この日、ひろとママのお姉さんは鹿児島から、妹さん、子供さん二人は沖縄から遠路大阪へ来られた。 
長女夫婦と次女と孫たちで関空へ出迎えに行ってくれた。               23日記