朝、実家の兄から電話があった。
少し低い目の声で開口一番 「子供たちはみな元気にしているか」 そう言ったので (え? 知ってる?)とっさにそう思った。
娘たちは実家の甥っ子のお嫁さんとフェイスブックでやりとりしているので、てっきり教えてもらったのだと。
まだ報告していない事柄があったのでそのことの電話かなと思って、「実は、事がすんで報告させてもらおうと思っていたんだけど・・」
そう言いながら息子一家の事を話した。 「あ・・そうなんか」 知らなかったようだ。
いつもは「元気でやってるか」と明るく話すのに、低い声で珍しく「子供達は・・」と言うものだから知って電話をかけてきたのかと思った。
「いや知らんかった、すぐ本題に入るものではないだろう、まず挨拶からじゃないか?」 笑いながら言う。
私が申し訳なさげに一方的に話すものだから、ただ黙って聞いていたと言う。 そうなんや~てっきりね・・。
それを世間では、早合点と言う。
「安政柑を送ってやろうと思って、どれだけいるかなぁと」 (な・・んだ、そうだったのか)
安政柑・・は、夫が昔「大すきやねん、一番すき」と言ったものだから、それ以来安政柑のときは面白いほどにみんなが
「けんちゃんが好きやから送ったよ」と言葉を添えてくれる。 昔から面白いほど必ず。
夫の友人で格別好きな人がいて、その方は奥さんの実家から伊予柑が送られてくると一箱持ってきてくれ、その代わりに
安政柑が届くのを楽しみに待っていてくれる。 物々交換みたいだ。 ゴルフや麻雀仲間に大好きさんがいるので行き先があちこち。
以前は母がこのような事をしてくれていたが、老いた母に代わって兄夫婦が引き継いで送ってくれるようになっている。
”けんちゃんがすきだから」 その言葉を忘れず添えてくれる人たち、嬉しく本当に有り難い事だと感謝している。
何気に草むらでみつけけた名を知らぬ野草に、田舎の風景が広がった。
13日日曜日は、ブログの友達あいさんの月命日である。
土曜は出かけるので・・今回は早い目にとりかかり作らせていただいた。
今まで使っていたパソコンはXP、サポート終了と言うことで気になっていたがまだそのまま使っていた。
ワードは仕えるが、ネットにを切断しているのでブログも出来ない・
詩集の画像の取り込みは夫のパソコンでとって、USBメモリーへ取り込んで使用した。
今回の詩は、あいさん発病され、丁度1年たった5月の作品である。
10篇の中から、2篇・・載せさせてもらった。
~ 神様からのギフト ~
あのね 神様がね
私のお尻に 火をつけて下さったの
病気と言う 火を点けて下さったの
「も~この子は 何時までも この世に居られると思って
こうでもしなきゃ お尻をあげない」
もの事を 後回しにしがちの私に
神様は しびれがきれたのか
病気は 突然やって来た
のんきな私はそれを
右から見たり 左から見たり
寝転んでみたり
ひっくり返って見たり
かなりびっくりな
神様からのギフト
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みなさん
この世には まさかの坂が あると思いますが
人事ではありませんね
殆ど病気の経験が無かった私は
のんきに 構えていました
起こって来た事は
真っ直ぐに受け止めるしかありません
神様のギフトが
本当に 嬉しいギフトになる様に
心を向けて参ります。
これからも よろしくお願いいたします・・・
あい 2011年5月21日
~ 今を大切に ~
明日も ある
あさっても ある
と 思うから
未来に 不安が
出てきたり するんですよね
明日を 迎えられるなんて
誰も 保障されていない
今日 今 この時が
わたし達を
生かしてくれているんですよね・・ 2011年5月17日
病気とその治療の副作用からくる様々な身体に及ぼす状況と闘いながら・・・受け入れつつ・・自分を見つめながら
(これが病気を受け入れ、向き合うと言う姿勢なのだろう) 胸が詰まる思いで10篇の詩を読みながら作った。
ご主人様へ届けるメッセージにも思え、また多くの人たちに伝えるものではあるが、私自身へ言い聞かせる詩であるとも感じられた。
ご主人様はこの詩をあいさんやご主人様のご両親が眠るお墓のある、兵庫県のお寺それはお身内でもあるのだが、そのご住職さまからの
依頼で、詩をコピーされ届けておられるそうだ。 お寺の新聞やお話の中にも”あいさんの詩”は生きて伝えられているのだ。
彼女亡き後、このような形でご主人様へお届けさせていただく事柄は、偶然でなく必然・・のような気がしている。
あいさんとの出会いもまた。
友人が突然に訪ねてきてくれた。
今日はとても良いお天気。
介護のお母さんは、デイサービスの日、その時間だから。
夫の実家の兄嫁さんが言っていた。
デイサービスに行っている時間だけが、ほっとできる時間だと。
彼女もそう、だから。
4月に入ったとき、新しい42円の葉書に桜の花のイラストを印刷して田舎や大阪の友人、知人に便りを出した。
彼女は返事が書けなくてごめんなさいと、わざわざ謝りで訪ねてきてくれた。
思わず「私の方こそごめんなさい!」深々と頭を下げた。
それより先日「(夜9時頃電話があったで」と夫から言われた。 その日は、体調が悪く8時過ぎには寝ていたのだ。
私、なんの用事だったかも分からないのに、彼女に電話をかけるのをすっかり忘れていたのだ。
「あがりはる?」「はい、あがります」
「ではコーヒーをたてましょう。 ちょうど頂きもののお菓子もあるし」
今日こそパソコンしようと思っていたが、こっちの方が大事だわ。
息子と同級生の男の子を持つ方である。 子供が中学のころからのおつきあい。 私に絵手紙を誘ってくれた人。
その絵手紙が私の意とする感じと違っていて、何回か目に自分で言えなくて彼女に断ってもらうことになったけど。
遠慮なく話ができる人。 お金には不自由のなかったらしいが、ご苦労された大変な過去や今の日常の話を聞いた。
やはり苦労してきた方は違うなぁ。 知り合った以前の会話と随分話される言葉が違っているなぁ。
そんなことを思いながら、私は苦労が足りないのやなぁ・・母が言う成長がないと言うのはこの事なんだろう。
色々出来た事柄は、親の徳や働きのお蔭だろう。 自分が何を積んで何を悟り何を自分の言葉として語れるのだろう。
お昼になった。
「実はね、お礼に近所に美味しいお好み焼き屋さんがあるのよ、ご馳走させてもらうから行きましょ!」
お昼は何食べようと思っていたから嬉しい。
着替えて出かけた。 お昼とあって、お客さんはいっぱいだった。
老いてはいるが上品な母親と、人の好さそうな独身だという息子さんでやっているお店。
彼女も時々お母さんを車椅子に乗せ、食べに来るのでお馴染みさんらしい。
いい感触で会話している。 お母さんはお話し好き、息子さんが時々、ブレーキをかける。
モダン焼き。 さすがに美味しい。 ご馳走になるからよけいに?
いつも一人のお昼の私には、楽しいお昼ご飯だった。
お店を出たら近くに、私の大好きなマーガレットの花が春の陽に気持ちよさそうに咲いていた。
こんな日に、気持ちが嬉しい訪問者。
人に会うと、色々な学びがある。 またパソコンできなかったけれど、今の私には清涼剤になりにけり。
「あのさ・・あれ・・あれ・・あの・・」
打ちっぱなしに行くと言う夫が、着替えをしようとしていた。
「あっ、あれは一番右の引き出しの、一番上の段の真ん中の筋の奥です」
「よっしゃ、あった」
肌寒い日、セーターの下に着ようというユニクロの薄いハイネックのインナー。
私には何を着て行こうとしていたかピンときた。
参ったかい、夫。
「お~い、あれ取ってくれい」
「は~い」
あれって何よとは言わないで、これだろうなと動き手渡す。
「おう!」
めっきり増えてきた代名詞、私も多分にもれず。
夜を二人で過ごす時・・
「熱いお茶入れましょうか」
私も欲しかったが、多分夫もそうなのでは・・・と
「おう、今それ言おうと思うたんや」
冷蔵庫の冷たい烏龍茶でなく、急須で入れる飲み頃を吟味した熱いお煎茶。
日常の、互いの思いが合った瞬間、
昔はツーカーとか? それはもう古い?
そのツーカーがいくつも・・いくつも、重なった日、
それが妙に嬉しい64歳の妻。
教室の日、近隣センターの自転車置き場の上に、枝垂れ桜が・・
終わって帰りにちゃちゃっと・・そこに一本あるだけで華やかな桜。
その存在感たるや、すごい。
桜の花の下にこっぽりと入って撮った。
降って来るような枝垂桜
やさしいね・・
暖かな春の陽射し・・やはり青い空が花を引き立てている。
命短き桜ゆえに・・いっそう愛おしい枝垂桜。
2時間ずっと下向いて書いていて、肩こりこり・・そんな私を充分に癒してくれた優しき花よ。