2008年1月6日 日曜 姉家族最後のお別れ
一月前に病院通いのための定期券を購入したら、その日に
先生からジェンギンスが間もなく亡くなると知らされた。
しかし、死なせないパワー のお陰で今日まで生きてる。
とうとう、考えたあげく今日また定期券を購入したので
どうか、生きて欲しい。
しかし、わたしは3月20日に仕事の会を控え、
病院どころの騒ぎじゃなく、
大変な時期だ。
もう、泣きたいくらいどうしたらいいか
分からないほど時間がない。
毎日が命日だと思っているから
1日欠けると気持ちが治まらない。
=====
今日の午後に姉家族がジェンギンスの見舞いに行ってくれた。
相当お世話になったジェンギンスであるが
最初で最後のお見舞いということでたいへん寂しい。
先日、「危篤状態になった時は呼ばないから」と、話したら、
「最後の時は病院に行くわよ」と姉が言うので
「 死に際に行くなら、いま会ってよ!! 」
などと、会話した。
私自身は、最後の看取りはしなくて良いと思っている。
生きているうちに、十分尽くしているから
最後はもういいです。
姉たちが面会している時、おむつ替えがあったそうで、
姉も手伝うようにメガネの看護婦に言われたらしい。
おむつ替えって言うのは、そうとう介護従事した人じゃなきゃ
抵抗が有るのだ。
私だって、やっと踏み込んだ世界で、
姉はまだ、親のおむつ替えには踏み込んでいないと言うのに
手伝わされて、
目を背けて、手を押さえていたらしい。
その、メガネの文句たれ看護婦は
姉にも、ぐちゃぐちゃ文句を垂れたらしい。
姉も、怒っていた。
ジェンギンスが抵抗して暴れるから
余計に賃金が欲しいと
何度も冗談ぽく言う看護婦です。
今日も、拘束ベルトがしっかりジェンの胴体に巻かれていたそうで
とってもらい、なぜ、死ぬ間際の父に拘束をするのか聞いてくれたそうです。
起きあがるときがあるからだって。
それは、痰を吐く時たろうし、力が無くて座ることもできないんだから
拘束ベルトはして欲しくない。
このベルトの上に寝ることは、背中が痛いんだ。ちょうど1年間
この太いベルトの上にジェンギンスは寝ているのです、
~~~~~~~~~~~~~~~
さて、母の方は、チョコパンが行ってくれました。
昨日病院に戻る時は
具合の悪い母でした。
従って、これから胃カメラと腸カメラが始まるので
その同意書に印鑑が必要で、チョコパンがサインして出してくれます。
ポリープが見つかった時にはどう希望するかとか
アンケートが書いてあったようです。
なんて、答えたのでしょうか?
母は、4日にチョコパンと友達が振り袖で面会したことを
まだ喜んでくれたそうです。
認知じゃない人は、面会の価値が有ります。
認知症は介護がすごく必要だけど
認知じゃない人は面会が必要です。
午前中に、氷川きよしのCDを図書館から借りてきたので
テープにダビングして持っていってもらいましたが、
喜んでいたそうです。
でも、風邪をひいたらしく痰の絡んだ咳と鼻水で
ベッドに寝たきり状態です・・・弱い母なのでこれは心配。
父の方には、大正昭和テレビラジオ音楽というCDを
アイリバーにいれて持っていきました。
両親の楽しみをなんとしてでも提供するのが
私の役目です。
==========
そんなこんなで
皆さまのご協力の下
わたしは、ジェンギンスの夕飯介助に出かけます。
9日間夕飯介助に通いましたが、平日介助は今日が最後です。
明日から、仕事です。
あれこれの準備で家を出るのが4時になってしまい、
到着した時は夕焼けで、寒いです。
この寒さがこたえる・・・
地方の人々は車で出かけるので、こんなに寒くないんだろうな。
ジェンギンスは、痰を吐いていました。
豆腐カスのようなものも混じっているけれど、
もう昼食から5時間経っているのに
なにか、胃のものが混じっている。
姉にはウコンドリンクをあげてもらった。
水分もゼリー状にしたら、こみ上げが少ないのだろうか?
3階のお年よりは、お茶もとろみをつけていたな。
この頃のジェンギンスは
いっときの穏やかさが無くなって
きつい顔をする・・機嫌が悪い顔。
顔を拭くと払いのけて怒る。
それもこれも、きつい対応の看護婦・・って思ったりする。
優しさに包まれていると、優しいんじゃないかと思ったりする。
認知症に慣れてない看護婦は、頑固だ!!
ジェンギンスのベッドを起こすと、ジェンギンスは布団をいたずらします。
首まわりの雑巾は、遠くへ投げ飛ばします。
投げるけど、体力がないのでいっきに疲れます。
夕食前はため息をついて、苦しくゆがんだ顔ばかりします。
どこが痛いのか、どこが苦しいのか
認知症なので言えません。
どこかがつらそうです。
下剤を投与されて腹が痛いのか、何なのか分かりません。
手を握ってあげたり
さすってあげたり、
マッサージしてあげたり、
そしたら、私の手を食べようとしました。
そして、自分の手を吸っていました。
赤ちゃんが手首をちゅうちゅう吸うように
ジェンも自分の手を吸っています。
お腹が空いているのかな。
苦痛の顔だけど
夕食を食べさせました。
全部食べました。
何日か前に骨ばかりの魚料理がでたのですが
献立をみたら、何だか分かりました。
ウナギです。 栄養あったのに半分残しました。でも骨も有りすぎ。
お茶を飲ませて、ポカリも飲ませて。
食後は、水分が逆流してきて
痰と一緒に吐きます。
痰拭き作業で夜8時を過ぎてしまいました。
夜の今日の看護婦さんは優しいので
痰が自力ででているなら、吸引はしなくて良いと
言ってくれました。
吸引して欲しいけれど、アレをすると寿命が縮まるのは
あきらかです。
しかし、となりのベッドの人は目玉しか動かない寝たきりで
向かいのベッドは目も開かない寝たきり意識無し老人です。
ふたりとも、寝返りもできず、食事もできず、呼吸だけしています。
その点、ジェンギンスは生きているって感じがします。
たいへんまともな感じがします。
苦痛に顔をゆがめるのが治まるといいんだけど・・・
とにかく高熱は治ったみたいだ。
夜9時半に家に私は帰ってきた。
あらら、だれも帰っていません。
夜中の12時にみんな帰宅して、それから夕飯で、
午前2時まで階下でくつろぐ。
母がいないと怠惰な家族です。
一月前に病院通いのための定期券を購入したら、その日に
先生からジェンギンスが間もなく亡くなると知らされた。
しかし、死なせないパワー のお陰で今日まで生きてる。
とうとう、考えたあげく今日また定期券を購入したので
どうか、生きて欲しい。
しかし、わたしは3月20日に仕事の会を控え、
病院どころの騒ぎじゃなく、
大変な時期だ。
もう、泣きたいくらいどうしたらいいか
分からないほど時間がない。
毎日が命日だと思っているから
1日欠けると気持ちが治まらない。
=====
今日の午後に姉家族がジェンギンスの見舞いに行ってくれた。
相当お世話になったジェンギンスであるが
最初で最後のお見舞いということでたいへん寂しい。
先日、「危篤状態になった時は呼ばないから」と、話したら、
「最後の時は病院に行くわよ」と姉が言うので
「 死に際に行くなら、いま会ってよ!! 」
などと、会話した。
私自身は、最後の看取りはしなくて良いと思っている。
生きているうちに、十分尽くしているから
最後はもういいです。
姉たちが面会している時、おむつ替えがあったそうで、
姉も手伝うようにメガネの看護婦に言われたらしい。
おむつ替えって言うのは、そうとう介護従事した人じゃなきゃ
抵抗が有るのだ。
私だって、やっと踏み込んだ世界で、
姉はまだ、親のおむつ替えには踏み込んでいないと言うのに
手伝わされて、
目を背けて、手を押さえていたらしい。
その、メガネの文句たれ看護婦は
姉にも、ぐちゃぐちゃ文句を垂れたらしい。
姉も、怒っていた。
ジェンギンスが抵抗して暴れるから
余計に賃金が欲しいと
何度も冗談ぽく言う看護婦です。
今日も、拘束ベルトがしっかりジェンの胴体に巻かれていたそうで
とってもらい、なぜ、死ぬ間際の父に拘束をするのか聞いてくれたそうです。
起きあがるときがあるからだって。
それは、痰を吐く時たろうし、力が無くて座ることもできないんだから
拘束ベルトはして欲しくない。
このベルトの上に寝ることは、背中が痛いんだ。ちょうど1年間
この太いベルトの上にジェンギンスは寝ているのです、
~~~~~~~~~~~~~~~
さて、母の方は、チョコパンが行ってくれました。
昨日病院に戻る時は
具合の悪い母でした。
従って、これから胃カメラと腸カメラが始まるので
その同意書に印鑑が必要で、チョコパンがサインして出してくれます。
ポリープが見つかった時にはどう希望するかとか
アンケートが書いてあったようです。
なんて、答えたのでしょうか?
母は、4日にチョコパンと友達が振り袖で面会したことを
まだ喜んでくれたそうです。
認知じゃない人は、面会の価値が有ります。
認知症は介護がすごく必要だけど
認知じゃない人は面会が必要です。
午前中に、氷川きよしのCDを図書館から借りてきたので
テープにダビングして持っていってもらいましたが、
喜んでいたそうです。
でも、風邪をひいたらしく痰の絡んだ咳と鼻水で
ベッドに寝たきり状態です・・・弱い母なのでこれは心配。
父の方には、大正昭和テレビラジオ音楽というCDを
アイリバーにいれて持っていきました。
両親の楽しみをなんとしてでも提供するのが
私の役目です。
==========
そんなこんなで
皆さまのご協力の下
わたしは、ジェンギンスの夕飯介助に出かけます。
9日間夕飯介助に通いましたが、平日介助は今日が最後です。
明日から、仕事です。
あれこれの準備で家を出るのが4時になってしまい、
到着した時は夕焼けで、寒いです。
この寒さがこたえる・・・
地方の人々は車で出かけるので、こんなに寒くないんだろうな。
ジェンギンスは、痰を吐いていました。
豆腐カスのようなものも混じっているけれど、
もう昼食から5時間経っているのに
なにか、胃のものが混じっている。
姉にはウコンドリンクをあげてもらった。
水分もゼリー状にしたら、こみ上げが少ないのだろうか?
3階のお年よりは、お茶もとろみをつけていたな。
この頃のジェンギンスは
いっときの穏やかさが無くなって
きつい顔をする・・機嫌が悪い顔。
顔を拭くと払いのけて怒る。
それもこれも、きつい対応の看護婦・・って思ったりする。
優しさに包まれていると、優しいんじゃないかと思ったりする。
認知症に慣れてない看護婦は、頑固だ!!
ジェンギンスのベッドを起こすと、ジェンギンスは布団をいたずらします。
首まわりの雑巾は、遠くへ投げ飛ばします。
投げるけど、体力がないのでいっきに疲れます。
夕食前はため息をついて、苦しくゆがんだ顔ばかりします。
どこが痛いのか、どこが苦しいのか
認知症なので言えません。
どこかがつらそうです。
下剤を投与されて腹が痛いのか、何なのか分かりません。
手を握ってあげたり
さすってあげたり、
マッサージしてあげたり、
そしたら、私の手を食べようとしました。
そして、自分の手を吸っていました。
赤ちゃんが手首をちゅうちゅう吸うように
ジェンも自分の手を吸っています。
お腹が空いているのかな。
苦痛の顔だけど
夕食を食べさせました。
全部食べました。
何日か前に骨ばかりの魚料理がでたのですが
献立をみたら、何だか分かりました。
ウナギです。 栄養あったのに半分残しました。でも骨も有りすぎ。
お茶を飲ませて、ポカリも飲ませて。
食後は、水分が逆流してきて
痰と一緒に吐きます。
痰拭き作業で夜8時を過ぎてしまいました。
夜の今日の看護婦さんは優しいので
痰が自力ででているなら、吸引はしなくて良いと
言ってくれました。
吸引して欲しいけれど、アレをすると寿命が縮まるのは
あきらかです。
しかし、となりのベッドの人は目玉しか動かない寝たきりで
向かいのベッドは目も開かない寝たきり意識無し老人です。
ふたりとも、寝返りもできず、食事もできず、呼吸だけしています。
その点、ジェンギンスは生きているって感じがします。
たいへんまともな感じがします。
苦痛に顔をゆがめるのが治まるといいんだけど・・・
とにかく高熱は治ったみたいだ。
夜9時半に家に私は帰ってきた。
あらら、だれも帰っていません。
夜中の12時にみんな帰宅して、それから夕飯で、
午前2時まで階下でくつろぐ。
母がいないと怠惰な家族です。
みるき~さんの定期券がずっとずっと続けて使えますように。
義母のオムツ→義父のオムツ・・・の間違えです。