アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

手首手術から19日経過

2025-02-04 12:09:00 | 病院、病気
転倒手首骨折から27日
手首手術から19日

近所の整形外科のリハビリに行った。
YouTubeで見た指体操をさせられるのかと思ったら、ひたすらマッサージしてくれた。
自分でできることは時間の無駄だと思って行ったけど、肘から指までゆっくり動かしてくれたので良かった。

そして、なんとなく、余計痛くなって動く気無くして帰ってきた。

リハビリのせいじゃなく、
全てにやる気無くして、何もしたくない。

珍しく頭痛くて気持ち悪い感じで、ロキソニン飲んだけど次の日はまた痛い。

手の水疱は治って来た。


貼っていた湿布を剥がしたら、まるでシミが取れるCMのようにシミが取れた。

寝ているうちに血豆も取れた


すっかり火傷状の水疱歯取れたけど、白斑で残ってる、、

リハビリのお兄さんが言ってたけど、
『手術で入れた金属は、この斑点の下に入ってる』

え?まさか! まさか! 
10日に何も教えてくれない大学病院に行くから聞いてみる。

✳️金属はどこに入っているのですか
✳️金属は取り出すんですか

102歳の母から負傷した手にパワーをもらう

手術した傷の痛みはないけれど、
皮膚のヒリヒリした痛みはずっと消えない。
熱が出た時体の皮膚がヒリヒリするのと同じ。

手首が回らないので、顔が洗えない。
食器が洗えない
顔にクリームつけれない
フォークで食事しても口まで届かない
夜中に手の置き場に迷って何度も起きる

字が普通に書けるようになったのは凄いことだ。

消毒と張り付くガーゼを買った来たので
初めてガーゼをとってみた。


ガーゼに隠れてたけど血豆を発見。
手術の傷以外に六ヶ所以上🩸カサブタを伴う傷があるのは普通なんだろうか?



この壁画さえなかったら、私は負傷しなかった。
このビールが私を支えていたなら私は負傷しなかった。
この壁画は呪われた。
さようならオリオンビール🍺







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手首手術から2週間 1/30

2025-01-30 11:18:00 | 病院、病気
1/8石垣島で手首を骨折して22日経過
1/16全身麻酔で手術して2週間目

手術という現代医学のおかげで骨折がすぐ治る時代になっていたことには驚きだ。

指先しか動かなかった右手も随分回復して二週間経ったらできることが増えて来た。

⚪︎字が書けるようになった
⚪︎指を広げなければピアノも弾ける
⚪︎包丁もゆっくり使える
⚪︎茶碗を洗うのはギリギリ
⚪︎ドアや扉は時々開けることができる
(ドアを開ける力が無い)
⚪︎洗濯バサミは時々広げれる
⚪︎手が上に上がれるようになったのでカーラーが巻ける
⚪︎時計が自分ではめれる
⚪︎左手の袖を下げれる
⚪︎爪切りが使える

❌顔が洗えない(手のひらがこちらを向かない)
❌化粧ができない
❌腕がヒリヒリしてる
❌1オクターブが開かない
❌少し重い物が持てない
❌袋を開封できない

負傷してからは、足や口や歯を使ってできることが増えた。動かない右手を体のあちこちが助けてくれた。
左手の爪を爪切りを使って口で切ったことは偉かった。
何でも自分でしようと思っているので、それがリハビリになって良い効果だと思う。たくさんの人に助けてもらってる人は治りが遅いだろうなとすごく感じた。

入院してる時、同室の2人のお姉さんはなんでも自分でやって
いた。初めて使う車椅子も誰の世話もされずに乗り降りしてた。
でも70過ぎたおばあさんは、シャワーに1人で入れないと言って手伝ってもらいたいと言っていた。


1/30の手術跡 
傷の痛みはないけれど周りが少し腫れてる。

相変わらず黒い水疱跡はあって、だいぶ乾いて来てる。勝手にリンデロンV字軟膏つけてる。以前火傷で皮膚科からもらったものだ。
親指の根元にあるギブスが当たってたときの傷はだいぶ紫色にはなったけど、痛い。傷の痛みがずっと痛い。

腕全体がヒリヒリして、どこに腕を置いたらいいかわからない位とても不快

近所の整形外科に見せたら、血豆ができてるのは監視を使って手術したんじゃないかなぁと言っていた。「あちこちが血だらけだったんですけど。」とちょっと文句を言っといた。麻酔科医の血管見つけらない事件については、紹介してくれた手前黙っていた。

クッキーをいただいた。
これは、すごく美味しい。
今まで、ヨックモック しか認めていなかったけれど、これは美味しいクッキーだ。





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手首手術10日目 この水疱なんですか⁉️

2025-01-26 16:23:00 | 病院、病気
悪夢だったらいいのにの転倒骨折‼️
悪夢だったらいいのにの全身麻酔手術‼️

恐怖の一連から10日経過。

2時間の手術で骨折が治ったという実績を見ると手術はするべきだと気持ちが変わった。

手術で治るものを痛みに耐えて暮らしている人は、それは、ダメ🙅
現代医療を信じて手術をしなさい。

さて、今の私の手は、
腕全部がだるい。
腕全部がヒリヒリする。
腕全部が腫れている

極め付けは、

なんですか?この水疱と水泡の破れと、血のカサブタ、、
老人のシミに見えるけど火傷の後にできる茶色い水ぶくれ。それも、痛いし!
この見ず知らずの水疱さえなければ皮膚が痛くないのに‼️



1/25土曜、お茶の水の病院へリハビリ病院へ提出するCDを取りに行った。わざわざだ。
なぜかというと、この病院はCDを焼くのに1時間かかるというから。

かつて、そんなに時間のかかる病院はなかった。術前検査の時も結果が診察室に届くのに1時間以上かかった。
どっかシステムがおかしい。

麻酔科医が血管を見つけられないのや、病棟看護師がナースコールしても来ないことや、
お水を持って来てくれると言ったままもう10日も経つけどまだ持ってこないことや、
なんか、のんびりムードの病院だったなぁ


お昼に病院会計でCDもらって、この際だから食い道楽の私は山の上ホテルでランチをして帰ろうと行ってみたら、明治大学に乗っ取られていた。 すごいな、明治大学はこの一等地のあちこちで幅を利かせてる。

山の上がダメなら、ナポリの下町だ。
ピザなら左手で食べれるので、ナポレターナを注文してみた。
アンチョビとオリーブとトマトの絶妙な塩味でいけてる!
カットするのに、こんなに切れないものか❗️というくらいゴシゴシ切ったけど切れなかった。

そして、この日の悲劇。

誰もいない正月と石垣島旅行と負傷と入院のせいで、断食道場となった結果、私の1月のお腹は至って健康であった。

それが‼️ ナポリの食堂でミルクたっぷりの☕️コーヒーを飲んだから、夜になっても深夜になっても腹痛で苦しんだ。

わかってる、わかってるけど、大丈夫かも?と思って、美味しく美味しく飲んだ。2杯飲みたかったけど我慢したくらいだ。

ピザに満足した私は、帰りに102歳の母に会いに行った。母どころじゃ無くて自分のことで精一杯だったけど、会いにいけてよかった。三週間ぶりだから反応が薄かった。
毎日会いに行かなきゃダメだ。でも、自分も必死なんだ、

帰宅したら、大人の生徒さんが葡萄パンを焼いて、そして小さくカットして持って来てくれた。

大変な時にお仕事はしなくていいと言ってくれたのは、この方とあと1人の方だけだった。

これからはリハビリに通うのかな、、

それにしても、昼に飲んだ痛み止めは100%効いてない。



石垣島で食べた石垣牛の思い出1/5








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退院後の初診察 1/24

2025-01-24 20:19:00 | 病院、病気
今日は手首手術退院後の初めての診察日。

毎日痛みがあって不快続きだったから、今日なんとかなるのかと期待してる。

診察前に撮るレントゲンの予約時間が、午前0時なんだけど、
0時は行けそうになく、
午後12時24分に到着した。

『午前零時に来れなくてすみません』と言いたかったけど言える雰囲気じゃないから言わなかった。

駅を降りて病院までの道のりは、飲食街だから、どこを歩いてもコーヒーのいい香りだ。
カフェオレが飲みたいけど、今年になって正常なお腹を維持できているので飲んではならない‼️

お腹が悪くないのは断食道場のおかげだ。

私は、今年になって、買い物もしてないし、
調理もしてないし、間食してない。
白ワインは500cc飲んだ。
3食食べてるけど適当なものだ。
昨夜のおかずは、スクランブルエッグだけ。

この場に及んで、痩せたい。
過去を取り戻したい。

午前0時予約のレントゲン検査は午後12時半にすぐ終わった。

次は、13時45分からの診察だけど
全然始まらなくて14時半頃呼ばれた。



早く行きすぎたから2時間待った。










術後1週間にして、
ギプスは捨てられ、包帯は捨てられ、
貼りっぱなしだったフィルムは無惨に剥がされたはいいが、正常だった皮膚が赤剥け‼️

ヒリヒリの『イナバの白うさぎ』状態。
私が毎晩激痛で苦しんだのはこの皮のむけた皮膚のせいだったんだ。

手術の傷から離れてる正常な肌がなぜ火傷状態なんだろ?


アミアミのクッションのせいで皮膚がボコボコだけど、ボコボコの模様に揃えて、火傷状態。

こっちは手術跡。
傷より短い白いものが貼られた。

抜糸するのかと思ったら、溶ける糸で縫ったそうだ。それは良い!

あぁ痛い。
ピリピリピリピリあっちやこっちから花火があがる感じ。

先生は、自分の知ってる手専門のリハビリの病院を紹介したいみたいだったけど、
最初に診断してくれた近所の整形外科でリハビリすることにした。

また、紹介状のお返しだ。
紹介状に添えるCDロムの出来上がりが1時間かかるというので明日の土曜に取りに行く事にした。ご足労だなぁ、、わたし。

ヒリヒリの因幡の白兎の私の手は、
包帯もされずむき出しで診察終了。

服が当たって痛い。

家に帰って包帯で保護した。
よる、因幡の白兎に、母が使ってたアズノールをつけた。
大丈夫かな?







西表島から由布島へ行く水牛🐃の思い出1/7











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手首手術1週間後 1/23

2025-01-23 14:40:00 | 病院、病気
1/8に骨折してから16日が経った。
1/16に手術してから今日で1週間が経った,

不自由だった右手もやや使えるようになったけれど、右手がだるくてだるくてどこに置いていいかわからない。

昨夜も深夜から右手がすごく痛くて、前の晩に痛かった時はどこかにぶつけたのかと思ったけれど、昨夜はどこもぶつけていないのに、じっとしていたのに、激痛が襲ってきた。包帯をとってギブスもとってタイガーバームをつけたりした。痛み止めも2錠飲んだ。

痛み止めが効いてくるのかどうか痛みと話をしながら眠った。朝起きると激痛が消えて、いつもの通りのだるい、だるい手だ。

包帯をとって疑問に思ったのは手術の傷口から20センチ離れた。肘が青アザになっている。そして痛くて熱を持っている。この手術したところから肘までの青アザは何なんだろう?手術前はなかったような気がする。





右手が使えないから、右肘を使って体を起こしたりしたこともあるけど、そんなせいであざができるのだろうかそれとも右手を強打したときに肘も痛めたんだろうか。

深夜の激痛で、ギブスはもう外して包帯だけして寝た。ギブスを取ると楽になる親指の根元にある赤アザみたいのも何なんだろう?




ギブスの角が当たって傷ついているのかもしれないなぁ

手術する前は指は少し動いたけど、手首を右左に動かす事は全くできなくて、ちょっとでも動かしたら痛かったんだけど、全身麻酔で寝てる間に、先生は私の手を大根を扱うように自由にひっくり返したりなんだりして、もしかしたらこの青アザは私の大根みたいな手を床に落としたのかもしれない


手術室から帰ってきて、自分の病室のベッドに移動した時、私の手術したばかりの右手は上から落ちたて弾んでた。
麻酔が効いてるから感じなかったけど、絶対にすごく痛いはずだ。もしかしたら私の大根がしなびたような手は床に落ちたのかもしれない。


手術後1週間経ってもまだ痛いので手術してくれた先生を信頼してない私だ。調べたとこによると、手術の経験はまだ2ヶ月らず。
紹介状の宛名になっていた先生は、本当に私の手術を見守っていてくれたのだろうか。
麻酔科の医師と言い、手術した女医さんと言い良い病院できれいな病院だったけど、信用できなくなってきてしまった。

肘が青アザなので湿布を貼った。親指の下にも傷を保護しながら湿布を貼ってギブスを取って包帯を巻いた。今から4時間お仕事で休憩なしの喋りっぱなし。



左手に比べて黒くなった右手。
1日で皮膚が真っ黒になるなんて、すごい体だ



負傷したその日にカビラ湾を観光1/8





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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。