アルツ・ジェンギンスは、壮絶認知にて認知療養病棟に入院中、胆管癌を発症し、胆管癌告知されてからわずか3ヶ月で、亡くなりました。
ちょうど2年前です。
その、3ヶ月間は毎日病院に通って、父ジェンギンスと過ごしました。
でも、仕事をして家事をして母の介護をしながらの病院通いは大変でした。
父だけの介護に集中できたら、もっともっと健やかな最後を過ごさせてあげれただろうと、後悔もたくさんあります。
無理に無理を重ねて介護をしましたが、まだまだ無理をしてもよかった。
死ぬ苦しみに比べたら、自分のわがままな無理なんて大したことありません。
きちんと生きた父ジェンギンスの3回忌法要です。
お坊さんの法要は頼まず、家族だけでお墓参りに行きました。
今日は母も連れて行きました。
このごろ、だるそうじゃなくて調子がいいのです。
家から新宿までタクシー → 特急電車 → タクシーでお墓まで
両親が買っておいてくれたお墓が八王子という田舎町にあるのでなかなか行けませんが
みんなでこうやって揃って出かけるいいチャンスを作ってくれました。
墓石を磨いて、ほうきで砂利の上を掃除して、花を取り替えて、
お供えして、線香をあげて、拝んで
マクドウウェルは、上村愛子の実況中継から目を離せずほうきを持って掃除していました。チョコパンから「 墓参りに集中しろよ ! そんなシーンは家に帰れば何回も見れるわ! 」といわれ続けていました。
ほんと、うんざりするほど家に帰ると上村愛子でした。
墓参りをして、すこしお墓を散歩しました。
昨年12歳とか14歳で亡くなっているというお墓があって、悲しみを誘います。
子供の命が消えるのは一番悲しいです。
大きな竹やぶがあって、私たちは珍しくて当分眺めていました。
家に竹やぶが欲しいと思いました。
ゆずの木があって、ゆずがいっぱいなっていました。
取ってはいけないと母に言われましたが
チョコパンが、「とれた」といってひとつ頂きました。
ゆずの木が家に欲しいと思いました。
このお寺には、大きな池もあって、チョコパンはこんな家に住みたいと
言っていましたが、ここにお嫁に来ればいいのです。
ゆずの木も、竹やぶも、池も鯉も、大きな家も、それに
いまの仕事をやめることができるのです。
ここの副住職さんは、イケ面で有名で素敵な人です。
とてももてるというから、無理かな。
======
墓参りが済んで、徒歩で駅まで行き、
いつものお蕎麦屋さんでお食事です。
天ざる大盛、小玉子どんぶり、小天丼2つ、小きつねうどん、小カレー南蛮、小ざるうどん・・こんなに食べました。
私が頼んだ小カレー南蛮は、期待はずれの味だった。それに、天丼とカレーは合わなかった。
食事代は母が出してくれた。
いつもこういう時は母が出してくれる。
これは、親の手本だな。きっと、将来私も、出すだろう。
そして、母がいままで、親と弟2人の最後の看病を一生懸命していた姿は、私の介護の手本となっているんだろうなと思っています。
特急電車に乗って、そして、徒歩で無事に家まで帰ってきました。
みんなで一緒にお墓参りができてよかった。
家にかえると、風邪を引いて今日これなかった姉が
母のために、養命酒とウコン茶をテーブルに置いてありました。
そして、仏壇に父の好きだったカステラと栗饅頭が備えてありました。
きっと、お線香を上げにきてくれたんですね。
ジェンギンスは、久しぶりに大喜びしていると思います。
うれしい一日となりました。
ちょうど2年前です。
その、3ヶ月間は毎日病院に通って、父ジェンギンスと過ごしました。
でも、仕事をして家事をして母の介護をしながらの病院通いは大変でした。
父だけの介護に集中できたら、もっともっと健やかな最後を過ごさせてあげれただろうと、後悔もたくさんあります。
無理に無理を重ねて介護をしましたが、まだまだ無理をしてもよかった。
死ぬ苦しみに比べたら、自分のわがままな無理なんて大したことありません。
きちんと生きた父ジェンギンスの3回忌法要です。
お坊さんの法要は頼まず、家族だけでお墓参りに行きました。
今日は母も連れて行きました。
このごろ、だるそうじゃなくて調子がいいのです。
家から新宿までタクシー → 特急電車 → タクシーでお墓まで
両親が買っておいてくれたお墓が八王子という田舎町にあるのでなかなか行けませんが
みんなでこうやって揃って出かけるいいチャンスを作ってくれました。
墓石を磨いて、ほうきで砂利の上を掃除して、花を取り替えて、
お供えして、線香をあげて、拝んで
マクドウウェルは、上村愛子の実況中継から目を離せずほうきを持って掃除していました。チョコパンから「 墓参りに集中しろよ ! そんなシーンは家に帰れば何回も見れるわ! 」といわれ続けていました。
ほんと、うんざりするほど家に帰ると上村愛子でした。
墓参りをして、すこしお墓を散歩しました。
昨年12歳とか14歳で亡くなっているというお墓があって、悲しみを誘います。
子供の命が消えるのは一番悲しいです。
大きな竹やぶがあって、私たちは珍しくて当分眺めていました。
家に竹やぶが欲しいと思いました。
ゆずの木があって、ゆずがいっぱいなっていました。
取ってはいけないと母に言われましたが
チョコパンが、「とれた」といってひとつ頂きました。
ゆずの木が家に欲しいと思いました。
このお寺には、大きな池もあって、チョコパンはこんな家に住みたいと
言っていましたが、ここにお嫁に来ればいいのです。
ゆずの木も、竹やぶも、池も鯉も、大きな家も、それに
いまの仕事をやめることができるのです。
ここの副住職さんは、イケ面で有名で素敵な人です。
とてももてるというから、無理かな。
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墓参りが済んで、徒歩で駅まで行き、
いつものお蕎麦屋さんでお食事です。
天ざる大盛、小玉子どんぶり、小天丼2つ、小きつねうどん、小カレー南蛮、小ざるうどん・・こんなに食べました。
私が頼んだ小カレー南蛮は、期待はずれの味だった。それに、天丼とカレーは合わなかった。
食事代は母が出してくれた。
いつもこういう時は母が出してくれる。
これは、親の手本だな。きっと、将来私も、出すだろう。
そして、母がいままで、親と弟2人の最後の看病を一生懸命していた姿は、私の介護の手本となっているんだろうなと思っています。
特急電車に乗って、そして、徒歩で無事に家まで帰ってきました。
みんなで一緒にお墓参りができてよかった。
家にかえると、風邪を引いて今日これなかった姉が
母のために、養命酒とウコン茶をテーブルに置いてありました。
そして、仏壇に父の好きだったカステラと栗饅頭が備えてありました。
きっと、お線香を上げにきてくれたんですね。
ジェンギンスは、久しぶりに大喜びしていると思います。
うれしい一日となりました。
お父様も喜んでいらっしゃることでしょう。
本当にみるき~さん、あの時も今も、頑張っていらっしゃいますね。
戦争経験者が居なくなる頃には、こういった習慣は無くなっていくだろうと思いました。
先祖代々を継承しているご家族は、法事が続いて大変でしょうね。