2008年2月22日金曜 お別れ
8:40 早朝から母の着付けをして、みんなであわただしくタクシーで出発
9:00 斎場到着、焼香、弔電と棺に入れる物を飾る
羽織、下駄、名前と住所と電話を書いた財布に1000円札を入れる。
ティッテュ、思い出の写真、世界一美味しいと言っていたミルクティ
どら焼き、大福、里見まんじゅう、カステラ。
素敵な着物を着て、羽織を羽織って、下駄を履いて、お金の入った財布を持って、
おやつと飲み物を持って、思い出の写真をたくさんもって、ティッシュで口を拭いて
。。。不自由のない旅になるよう、過保護に用意しました。
9:30 従兄弟達集合してくる。
式が始まる前に、焼香して顔を見る。
ジェンギンスの姿を沢山見て慣れておかないと
後で、悲しみが襲ってくるから。
9:40 副住職到着、挨拶の後、着替えで退席。
昨日の住職さまのご長男が今日はお経をあげて
下さいます。
素敵な副住職様だと評判でした。
10:00 葬儀、告別式、初七日法要開始。
総勢14名、予定通り。
葬儀焼香に引き続き、初七日法要の焼香をする。
45分間の読経でした。
10:50 弔電披露 姉が働いている中央区の偉い方からと
親戚から届いた。
棺に旅支度セットをみんなで入れる。
寺から用意されたお札も胸に入れる。
たくさんの写真は従兄弟達がよーく見ていた。
ジェンギンスと母の結婚式の写真も
みんな興味深そうだった。
昨日も今日も、焼香台には
ジェンギンスの写真をいっぱい
置いておいた。
チョコパンはお手紙を入れていた。
お花入れ・・・白い菊を顔のまわりに敷き詰め、
白い花で全身を埋め尽くした後、
生花祭壇の色物の花がジェンギンスを
埋めていく。
芸能界で働いている従兄弟が花を入れていないと思ったら
蘭の花やバラの花になったとき、
棺の中をきれいにデザインして
花で装飾していた。
かつて見たこともない、
綺麗な色のお花が山盛りの棺となった。
本当に、綺麗だった。
親戚の中で一番綺麗な従兄弟が
「 がんばったね、よく頑張ったね 」と何度も
ジェンギンスに話しかけていた。
知らない人の時でも、悲しくなる私なのに
ぜんぜん悲しくならなかった。
総合的にみて、わたしは何も考えて居なかった。
ジェンギンスが死んだことは、
考えないように催眠術に
かけていたみたいだ。
全員で蓋を閉めた。
ここで代表者が挨拶。
ついさっき、私の姉にしてもらう事になったのに
姉ったら、超立派にジェンギンスの話しをした。
「 父は、自分の気持ちを言うような人では
なかったのに
母に、感謝の気持ちを述べて、
最後は優しい人になっていました」
とかいろいろ・・
わたしは、それを聞き遺影を持ってぼーーっと
立っていました
5人の男たちが棺を外まで運んだ。
従兄弟が来てくれなかったら、
男手が足りなかったところです。
11:00 70メートルほど、歩いて火葬の建物へ。
あえて、霊柩車はつかわかなったけれど
ここで、霊柩車を使わないと、近所のひとは
ケチ!だと言って噂します。
この数十メートルに拾数万円支払って
近所のメンツを保つ、この地域の嫌な所です。
さっきが最後のお別れでしたが、
火葬のスタッフが、
最後にお別れをしますか?と言ったので
するようにして、また顔を見ました。
今回の式では、わたしはジェンギンスを遠くで
見守りました。
わたしは十分にジェンギンスと一緒だったから
いいのです、久しぶりのみんなが
ジェンギンスに会ってくれればいいのです。
火葬のスタッフが
「お心付けをありがとうございました」
と、見せてきました。
家ではだれも上げていません。
心付けは、
葬儀費用に含まれていると聞いていましたから
葬儀社がやってくれたのですね。
感心しました。
11:20 ジェンギンス火葬。
平成20年2月22日12時20分が火葬時間です
持ち込み禁止のため、
斎場で用意されたお菓子と飲み物で待つ。
高級なお菓子が用意されていた。
私と母と姉と副住職さまの4人で
同じテーブルにすわり何かと話す。
3月29日土曜に49日法要をすることに決めた。
墓石も注文。
12:00 どういう訳か副住職さま、お帰りなる。
用意した5000円のお弁当とお車代20000円を
お渡しして、姉と私ででお見送り
12:22 時間になり炉の中からジェンギンスが出てきた。
棺は跡形もなく、骨だけが露骨に有る。
炉の中は火がまだ燃えている。
ほうきで掃くように骨を集めて広げてくれた。
磁石で棺の釘を取り去って、
簡単に骨の説明をして
のど仏は素手で手のひらに載せていた。
素手で触るのは偉いと従兄弟が言った。
2人ずつで骨を拾った。
14人だから偶数なのに、
最後の一人はスタッフと拾っていたらしい。
ジェンギンスの骨は茶色く色が付いている。
所々お花のピンク色でもあった。
茶色いのは、病気なのか紅茶の色なのか
不明だ。
骨がスカスカしてるのも、骨粗鬆なのか
焼いたためなのか不明だ。
骨の中身がコンクリート色のものがあったが
正体は不明だ。
ピンポン球のようにまるまるした骨はどこのか
不明です。
収骨が終わり、残った釘に骨が少し付いていたので
その釘をもらいました。
あちあちでした。
12:40 精進落とし。
注文しておいたお弁当です。
献杯の挨拶はここでも話し上手の
姉です。
しっかりした綺麗な従兄弟のお姉さんが
「献杯!!」って声を出してくれたのが
ちょっと嬉しかった。
長野の一番仲良しの従兄弟をこちらのテーブル
に呼んで懐かしい話しをいっぱいして
いい時間を過ごしました。
ちょっと冷たかったけれど美味しいお弁当だった。
茶碗蒸しとお吸い物も付いた。
薄皮まんじゅうも付いたけど、私は食べません。
ジェンギンスには、大好きだった三ツ矢サイダー
をコップになみなみ注いであげました。
お昼御飯はてんこ盛りです。
わいわい騒いで、悲しむ人もなく
無事に告別式の儀を終えました。
家に帰り、葬儀屋さんが49日まで飾るひな壇見たいのを組み立てて
セットしてくれました。
ジェンギンスが骨になって帰ってきました。
みんなでおやつをいただき、全員ぐったりして夜を迎えました。
8:40 早朝から母の着付けをして、みんなであわただしくタクシーで出発
9:00 斎場到着、焼香、弔電と棺に入れる物を飾る
羽織、下駄、名前と住所と電話を書いた財布に1000円札を入れる。
ティッテュ、思い出の写真、世界一美味しいと言っていたミルクティ
どら焼き、大福、里見まんじゅう、カステラ。
素敵な着物を着て、羽織を羽織って、下駄を履いて、お金の入った財布を持って、
おやつと飲み物を持って、思い出の写真をたくさんもって、ティッシュで口を拭いて
。。。不自由のない旅になるよう、過保護に用意しました。
9:30 従兄弟達集合してくる。
式が始まる前に、焼香して顔を見る。
ジェンギンスの姿を沢山見て慣れておかないと
後で、悲しみが襲ってくるから。
9:40 副住職到着、挨拶の後、着替えで退席。
昨日の住職さまのご長男が今日はお経をあげて
下さいます。
素敵な副住職様だと評判でした。
10:00 葬儀、告別式、初七日法要開始。
総勢14名、予定通り。
葬儀焼香に引き続き、初七日法要の焼香をする。
45分間の読経でした。
10:50 弔電披露 姉が働いている中央区の偉い方からと
親戚から届いた。
棺に旅支度セットをみんなで入れる。
寺から用意されたお札も胸に入れる。
たくさんの写真は従兄弟達がよーく見ていた。
ジェンギンスと母の結婚式の写真も
みんな興味深そうだった。
昨日も今日も、焼香台には
ジェンギンスの写真をいっぱい
置いておいた。
チョコパンはお手紙を入れていた。
お花入れ・・・白い菊を顔のまわりに敷き詰め、
白い花で全身を埋め尽くした後、
生花祭壇の色物の花がジェンギンスを
埋めていく。
芸能界で働いている従兄弟が花を入れていないと思ったら
蘭の花やバラの花になったとき、
棺の中をきれいにデザインして
花で装飾していた。
かつて見たこともない、
綺麗な色のお花が山盛りの棺となった。
本当に、綺麗だった。
親戚の中で一番綺麗な従兄弟が
「 がんばったね、よく頑張ったね 」と何度も
ジェンギンスに話しかけていた。
知らない人の時でも、悲しくなる私なのに
ぜんぜん悲しくならなかった。
総合的にみて、わたしは何も考えて居なかった。
ジェンギンスが死んだことは、
考えないように催眠術に
かけていたみたいだ。
全員で蓋を閉めた。
ここで代表者が挨拶。
ついさっき、私の姉にしてもらう事になったのに
姉ったら、超立派にジェンギンスの話しをした。
「 父は、自分の気持ちを言うような人では
なかったのに
母に、感謝の気持ちを述べて、
最後は優しい人になっていました」
とかいろいろ・・
わたしは、それを聞き遺影を持ってぼーーっと
立っていました
5人の男たちが棺を外まで運んだ。
従兄弟が来てくれなかったら、
男手が足りなかったところです。
11:00 70メートルほど、歩いて火葬の建物へ。
あえて、霊柩車はつかわかなったけれど
ここで、霊柩車を使わないと、近所のひとは
ケチ!だと言って噂します。
この数十メートルに拾数万円支払って
近所のメンツを保つ、この地域の嫌な所です。
さっきが最後のお別れでしたが、
火葬のスタッフが、
最後にお別れをしますか?と言ったので
するようにして、また顔を見ました。
今回の式では、わたしはジェンギンスを遠くで
見守りました。
わたしは十分にジェンギンスと一緒だったから
いいのです、久しぶりのみんなが
ジェンギンスに会ってくれればいいのです。
火葬のスタッフが
「お心付けをありがとうございました」
と、見せてきました。
家ではだれも上げていません。
心付けは、
葬儀費用に含まれていると聞いていましたから
葬儀社がやってくれたのですね。
感心しました。
11:20 ジェンギンス火葬。
平成20年2月22日12時20分が火葬時間です
持ち込み禁止のため、
斎場で用意されたお菓子と飲み物で待つ。
高級なお菓子が用意されていた。
私と母と姉と副住職さまの4人で
同じテーブルにすわり何かと話す。
3月29日土曜に49日法要をすることに決めた。
墓石も注文。
12:00 どういう訳か副住職さま、お帰りなる。
用意した5000円のお弁当とお車代20000円を
お渡しして、姉と私ででお見送り
12:22 時間になり炉の中からジェンギンスが出てきた。
棺は跡形もなく、骨だけが露骨に有る。
炉の中は火がまだ燃えている。
ほうきで掃くように骨を集めて広げてくれた。
磁石で棺の釘を取り去って、
簡単に骨の説明をして
のど仏は素手で手のひらに載せていた。
素手で触るのは偉いと従兄弟が言った。
2人ずつで骨を拾った。
14人だから偶数なのに、
最後の一人はスタッフと拾っていたらしい。
ジェンギンスの骨は茶色く色が付いている。
所々お花のピンク色でもあった。
茶色いのは、病気なのか紅茶の色なのか
不明だ。
骨がスカスカしてるのも、骨粗鬆なのか
焼いたためなのか不明だ。
骨の中身がコンクリート色のものがあったが
正体は不明だ。
ピンポン球のようにまるまるした骨はどこのか
不明です。
収骨が終わり、残った釘に骨が少し付いていたので
その釘をもらいました。
あちあちでした。
12:40 精進落とし。
注文しておいたお弁当です。
献杯の挨拶はここでも話し上手の
姉です。
しっかりした綺麗な従兄弟のお姉さんが
「献杯!!」って声を出してくれたのが
ちょっと嬉しかった。
長野の一番仲良しの従兄弟をこちらのテーブル
に呼んで懐かしい話しをいっぱいして
いい時間を過ごしました。
ちょっと冷たかったけれど美味しいお弁当だった。
茶碗蒸しとお吸い物も付いた。
薄皮まんじゅうも付いたけど、私は食べません。
ジェンギンスには、大好きだった三ツ矢サイダー
をコップになみなみ注いであげました。
お昼御飯はてんこ盛りです。
わいわい騒いで、悲しむ人もなく
無事に告別式の儀を終えました。
家に帰り、葬儀屋さんが49日まで飾るひな壇見たいのを組み立てて
セットしてくれました。
ジェンギンスが骨になって帰ってきました。
みんなでおやつをいただき、全員ぐったりして夜を迎えました。
家中の時計がゼロになってしまっています。
いつもと変わらない生活のなかで、突然の停電はびっくりしました。
何度も書いては消し、また書いては消しで、、。
ジェンキンス氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
日が経つにつれ、悲しみが噴き出してきた経験があり、特にお母様のスーザンさんのことが気がかりです。どうぞお心を尽くして差し上げてください。
またまた余計な事を申し上げ失礼いたします。
兄が逝ったとき、初七日の間に、ブロック状に積んだひと口羊羹が落ちるわけが無いハズなのに、一つだけすべり落ちました。兄の仕業と瞬間的に思いました。(笑)
愛猫が逝った時も、初七日の夜中、「ニャ!」とサヨナラの声が聞こえ、お別れの挨拶に来たのだなと悟りました。最期まで律儀な人間のようなネコでした。あれからもう他のネコを飼う気にはなれません。
愛したのではなく、愛されていたと痛感しています。
しばらくゆっくりなさってください。
しばしお疲れが出ることと思いますが、どうか、ご自分のお体を大切にゆっくり進んでいらして下さい。心からの旅立ちの準備をお父様は喜んでいらしてでしょう・・・見本を示して下さりありがとうございました。私も今後の準備を考えてみようと思いました。
お写真やお菓子も必要ですよね。