アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

体調わるそうでいて、不機嫌

2007-12-11 01:34:20 | 介護
2007年12月11日 火曜日 心配なまいにち 


今月か来月かまだ先か、
ジェンギンスがこの家に帰ってきます。
その準備で大わらわ。

本当だったら、近所の隣組とかいうのが
手伝ってくれるんだろうな。

今回は密葬なので
わたしだけが必死です。

午前中は、ジェンが寝る部屋を片づけました。
母がデイへ行っているときしか、片付けができないので
それ!!って感じで大掃除。
片付けをまったくしない母が生活している部屋なので
それはそれは、たいへんで
出てくるものは母のカセットやホンや化粧品や買ってくるだけの
食べ物。
捨てるに捨てれず、結局ダンボールにいれてそこに置くことになる。

ジェンの下着は雑巾になるんだけれど
ショートステイ用にたくさんあるから
もったいなくて、

3時間片づけて
ぜんぜん終わらず
12時半になって、ジェンギンスの病院へ急ぎました。

ジェンギンスは
ご機嫌ななめです。

きっと、看護婦さんと格闘したんでしょう。
かわいそうに。

手にクリームを塗って上げようとしても
拒否。
口にプリンを持っていっても
拒否。
紅茶をのませると、むせて、苦痛の顔になる。

とうとう、むせるようになってしまった。

足をみたら、5本指のかわいい靴下を履いていた。
きのう、チョコパンがはかせたらしい。
枕のしたにも、赤いかわいいバスタオルが敷かれてあった。

愛情たっぷりのもてなしだ。

ジェンの顔は、ちょっと苦しそう。
ときどき、白目になって寝ている。
死んでるのかと思う。
はんぶん死んでるのかも知れない。
脳が呆けてるから、死ぬのを忘れているんだ。

妙薬入り蜂蜜をあげた。
美味しそうに舐めてる。
2スプーンあげた。

なんとか、プリンを食べ出してくれて
ぺろりと一カップ無くなった。
もっと、食べれそうだったけれど、用心しないと。

看護婦さんから、吐いたのは7日だけだから、
おやつは用心しながらあげるように先生の許可が
降りたそうです。


先生の許可なんてもらわなくても
ジェンの様子は熟知しているから
まいにち、ぷりんをあげていたのだ。

ここまで来たら、寿命は縮まっても
しあわせを感じる方が大事で
したがって、うちのめりーも
人間のたべる味の濃いおいし~~い
食べ物をふんだんに食べているのです。

でも、まだインターネットで
インスリンの通信販売を捜しています。


ジェンギンスの熱は36,4度。
酸素量も大丈夫みたいです。
でも、眠いんだか、具合が悪いんだか
調子は悪そうです。

だんだん調子が悪くなってきてるのは
確かだ。


私の仕事関係の人にはジェンの病の
話はしていないけれど、
一人の青年に、年末のスケジュールが変わるかも知れないと
伝えたら、
やたら、ジェンギンスの年齢や癌の位置や熱を聞いてきた。
よく話してみたら、
お婆ちゃんが今月3日に癌で亡くなったそうで、
そうとう、死の淵に詳しくなったらしい。

ジェンはあと、2週間は生きるでしょうと
宣告されました。ホントかい!

さて、1時間の面会はあっという間です。

ななめの90才のおじいさんに水をくんできてあげたり、
となりの50代の目玉しか動かせない男性の肩を
叩いて慰めてあげたら、泣き出すし、
それみて、すっごく悲しくなってしまったり、
3階で世話になったSSさんが、娘の名前をずーーーと
叫んでいるので、励ましに行ってあげたりと
持ち前の無視出来ない性格が出てしまいます。

ジェンは、苦痛の顔。

心配でしたが帰宅しました。


夕食後、キッチンを2時間片づけました。

わたしは、20年前に癌かもしれないと
宣告されて
そのとき、思い出も自分も女も男も全部すてたので
自分の持ち物はありません。

人に尽くすために生きてきた20年。

いい人生だったでしょうか。

37年間生きてきて
一番うれしかったのはチョコパンが女の子だって
分かった時で、
一番悲しいのは、親が死ぬ時じゃないだろうか・・・




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