昨年12月6日の木曜に病院通院用電車の定期を買いました。
交通費を気にせず病院に通いました。
1月にまたひと月病院通院定期を買いました。
沢山通えるだけ通いました。
2月にまたひと月病院通院定期を買いました。
わずか、7日間乗ったらジェンギンスが亡くなりました。
でも、定期は時々使って買い物に行っていました。
3月6日木曜日で病院までの定期が終わりです。
この記念すべき木曜。
癌電話も、癌告知も、経過告知も、死亡も、葬儀も、
3月20日の仕事のイベントも
何もかも木曜です。
そしてその昨日6日の木曜は
病院に行く最後の日となりました。
先日、先生にお願いしていた診断書類2通が出来上がったので
チョコパンが取りに行ってくれました。
癌を知らされたのは11月でした。
でも
書類での癌発見は4月10日でした。
1年前の病院入所のときから徐々にやせて
ガリガリに痩せてきたのは
癌だったからなのでしょうが、
家で一生懸命食事拒否のジェンギンスに
御飯を食べさせていたときは
栄養状態がまだよかったわけで
施設にいれて、
食事拒否があって
たぶん
施設のストレスが
大きかったんだろうと思う。
歳老いての施設のストレスは
計り知れない。
施設入所の時に癌だと分かっていたら
いったいどうしただろうかと考える・・・
あのまま、元気すぎて外へ出ていってしまうジェンギンスが
家にいたら、この家は大変なことになっていたと思う。
施設入所1年くらいで亡くなってしまい
ほら、施設にいれたから早く死ぬ!
と、言われるだろうが
ほんと、元気だったのに早く死んでしまった。
反対に、
ギリギリまで家にいたから
早く死んだとも考えている。
認知症に関しては
限界を超えるまでの自宅介護ができたことに
後悔はない。
わたしも、家族も
どんなに認知の進んだジェンギンスでも
家に置いておきたかった気持ちが強い。
だから、家でみたのだ。
ナントしてでも自分の手で介護したい気持ちがなきゃ
やっていけません。
===========
チョコパンは久しぶりに病院を訪れ
気持ちの良いお庭を歩いたでしょう。
悲しい気分が好きな母は
「 お父さんのいた病院だったとおもうと
さびしいだろ 」
と、悲しそうにききますが
わたしもチョコパンも、そんな気持ちはどういうわけか
湧いてきません。
良い思い出しかありません。
たのしく笑った良い思い出です。
なつかしくて、本当にいい時間をいい人とすごした
所です。
・・・・そう書いていながら、ちょっと悲しくなる・・
病院受付で2通の診断書をいただき1万円と税金をはらい
3階の婦長さんとバッタリ会ったり
2階の入院病棟へいってSSさんを見舞い
SSさんが痩せていたことやミトンの手を差し出してきたこと。
死ぬのを待つかのような入院生活病棟はむなしいと思います。
ホスピスだな。
ホスピスは歩ける人がいるけど
この病棟は、天国寸前みたいな気がする。
===========
いつもチョコパンと面会帰りに
大きなスーパーに寄って買い物をしていたので
チョコパンはこの日も
3つのスーパーめぐりをして帰ってきました。
行きがけに寄ったスーパーでは
ジェンギンスの好きだったもみじまんじゅうを捜したのですが
なかったそうです。
つい、ジェンギンスへおやつを買って持ってい行く気分になったそうです。
ジェンギンスの世界一美味しい!と言ってくれる
ことばが聞きたくて
おいしい物をいつも選んでいたのも
生き甲斐だったなぁ
定期も終わって
今後
もうこの病院へ行くことはないと思われます。
いい施設だった。
重症認知で病気をかかえるジェンギンスにとって
いい施設だった。
死ぬ時期への見極めが早すぎたこと
絶食させないでほしかったこと
暴力的な痰吸引の介護
その点だけがどういうものかと思います。
拘束は仕方がない。
生きていくためには拘束にちからを借りないと
ジェンギンスは駄目だった。
結論的に
この病院は良かったと思う。
乙女地蔵
「 聖なる指名に殉せし乙女のためにこの碑を建つ 」
病院敷地内にあるお地蔵様。
かつて病院で働いていた看護婦さんが23歳でなくなり
青春をかけて献身的な介護をしたことで、惜しまれこの地蔵が
できたのだ。
交通費を気にせず病院に通いました。
1月にまたひと月病院通院定期を買いました。
沢山通えるだけ通いました。
2月にまたひと月病院通院定期を買いました。
わずか、7日間乗ったらジェンギンスが亡くなりました。
でも、定期は時々使って買い物に行っていました。
3月6日木曜日で病院までの定期が終わりです。
この記念すべき木曜。
癌電話も、癌告知も、経過告知も、死亡も、葬儀も、
3月20日の仕事のイベントも
何もかも木曜です。
そしてその昨日6日の木曜は
病院に行く最後の日となりました。
先日、先生にお願いしていた診断書類2通が出来上がったので
チョコパンが取りに行ってくれました。
癌を知らされたのは11月でした。
でも
書類での癌発見は4月10日でした。
1年前の病院入所のときから徐々にやせて
ガリガリに痩せてきたのは
癌だったからなのでしょうが、
家で一生懸命食事拒否のジェンギンスに
御飯を食べさせていたときは
栄養状態がまだよかったわけで
施設にいれて、
食事拒否があって
たぶん
施設のストレスが
大きかったんだろうと思う。
歳老いての施設のストレスは
計り知れない。
施設入所の時に癌だと分かっていたら
いったいどうしただろうかと考える・・・
あのまま、元気すぎて外へ出ていってしまうジェンギンスが
家にいたら、この家は大変なことになっていたと思う。
施設入所1年くらいで亡くなってしまい
ほら、施設にいれたから早く死ぬ!
と、言われるだろうが
ほんと、元気だったのに早く死んでしまった。
反対に、
ギリギリまで家にいたから
早く死んだとも考えている。
認知症に関しては
限界を超えるまでの自宅介護ができたことに
後悔はない。
わたしも、家族も
どんなに認知の進んだジェンギンスでも
家に置いておきたかった気持ちが強い。
だから、家でみたのだ。
ナントしてでも自分の手で介護したい気持ちがなきゃ
やっていけません。
===========
チョコパンは久しぶりに病院を訪れ
気持ちの良いお庭を歩いたでしょう。
悲しい気分が好きな母は
「 お父さんのいた病院だったとおもうと
さびしいだろ 」
と、悲しそうにききますが
わたしもチョコパンも、そんな気持ちはどういうわけか
湧いてきません。
良い思い出しかありません。
たのしく笑った良い思い出です。
なつかしくて、本当にいい時間をいい人とすごした
所です。
・・・・そう書いていながら、ちょっと悲しくなる・・
病院受付で2通の診断書をいただき1万円と税金をはらい
3階の婦長さんとバッタリ会ったり
2階の入院病棟へいってSSさんを見舞い
SSさんが痩せていたことやミトンの手を差し出してきたこと。
死ぬのを待つかのような入院生活病棟はむなしいと思います。
ホスピスだな。
ホスピスは歩ける人がいるけど
この病棟は、天国寸前みたいな気がする。
===========
いつもチョコパンと面会帰りに
大きなスーパーに寄って買い物をしていたので
チョコパンはこの日も
3つのスーパーめぐりをして帰ってきました。
行きがけに寄ったスーパーでは
ジェンギンスの好きだったもみじまんじゅうを捜したのですが
なかったそうです。
つい、ジェンギンスへおやつを買って持ってい行く気分になったそうです。
ジェンギンスの世界一美味しい!と言ってくれる
ことばが聞きたくて
おいしい物をいつも選んでいたのも
生き甲斐だったなぁ
定期も終わって
今後
もうこの病院へ行くことはないと思われます。
いい施設だった。
重症認知で病気をかかえるジェンギンスにとって
いい施設だった。
死ぬ時期への見極めが早すぎたこと
絶食させないでほしかったこと
暴力的な痰吸引の介護
その点だけがどういうものかと思います。
拘束は仕方がない。
生きていくためには拘束にちからを借りないと
ジェンギンスは駄目だった。
結論的に
この病院は良かったと思う。
乙女地蔵
「 聖なる指名に殉せし乙女のためにこの碑を建つ 」
病院敷地内にあるお地蔵様。
かつて病院で働いていた看護婦さんが23歳でなくなり
青春をかけて献身的な介護をしたことで、惜しまれこの地蔵が
できたのだ。
記念の木曜日にお仕事のイベントですか?
お父様に見守られてのご成功お祈りしております。良くここまで、何もかも頑張っていらっしゃいましたね。