丁度2年前だったでしょうか、父ジェンギンスの入所を考えはじめ、
日記に必死で施設探しの事を書いていたと思います。
あれから、2年も経ってしまったのですね。
これを読んでくださっているみなさまは
お変わり無く、良いことです。
でも、ブログを続けていて
パタリと更新が無くなった方がいらして
いま、ドウされているのか
わたしは心配しているのですよ。
さて、
人生2回目の施設探しをはじめています。
母じゃありません。
姉の義母です。
施設に関しては、そこいらのケアマネよりは
くわしいと自信を持っている私なので
こちらから頼んで、施設探しを引き受けました。
でも、日野市の施設はよくわかりません。
でも、2年前に何回も何回も電話して
どこもかしこもよく知っている名前です。
しかし、時代は変わるもので
特別介護老人ホーム 老健 療養病棟
こんな感じだと思っていましたが
小規模多機能ホーム
と言うのが開設されて、新種の施設があったのです。
日野市役所やら
老健やら
特養やら
病院やら
いつものように全部電話してて
わかんなくなったから
在宅支援センターに電話したら
小規模多機能施設 を教えてくれたのです。
デイもショートも在宅援助も
すべて一手に引き受けてくれるという優れものです。
これは理想であると確信したものの
現在の介護支援とはまったく縁を切って
多機能施設のケアマネに切り換えるというので
躊躇しています。
在宅と入所の両方を可能にした施設で在るけれど
在宅の時はヘルパーの手助けが無いと困るので
困ったのです。
79歳 一人暮し 脳卒中を脳梗塞による半身不随でペースメーカーを
入れている義母が わたしはかわいそうでなりません。
不自由なのに一人暮しで、
涙が出るほどかわいそう。
施設に入れるのもかわいそう。
きょう、初めて次男と話しをして
義母の一番幸せな形にしてあげようと話しあいました。
そしたら、施設に入所するのが幸せなんじゃないかって
次男は言いました。
次男は、一人でお母さんの面倒を見ています。
仕事中もひるま電話をして無事の確認を毎日しているそうです。
えらいです。
施設に入れると寿命が縮まる話し。
施設に入れると歩けなくなる話し。
施設に入れると呆け呆けになる話し。
いろいろ話して、
それも、運命だと2人で納得しました。
~~~~~~~~~~~~~~
施設を全く利用したことのない義母を
今後どのようにするか・・
ついこの間まで、こちらがお世話になっていたのに
施設行きだなんて、
悲しい話しです。
私が引き取って差し上げたいくらいです。
頭は呆けていないので
認知フロアのある施設を探します。
なぜかと言えば、
認知患者とは一緒にしたらかわいそうなのです。
いままで、私たちは認知症の家族をもち、
施設を利用していたわけですが
正常なひとにとって
どれほど迷惑のかかることかは
空気で解っていました。
施設を拒否する正常なお年寄りにとって
認知症の患者さんと一緒に生活させてしまうのは
失礼な事です。
そのてん、日野市は
認知用デイサービス、認知対応宿泊フロアが充実しています。
わたしの住んでいる渋谷新宿は対応が遅れていますよ。
それで、
老健と 特養と 療養病棟と 短期か、長期か、入所か、
えらい 迷っちゃいまして、
自分の意志で決めて良いなら
即決ですが
自分の親じゃないので
これは、難しい。。。。
ジェンギンスが最後の朝食を食べた朝のことを考えると
わたしは、泣きたくなります。
ジェンギンスはこれが、一生のうちの最後の朝食だなんて
知らないで 石川県の実家からおくられてきた御飯と長野の親戚から
おくられてきた巨砲を食べて入所したのです。
元気に歩いて喋って怒って出かけたのに
次に帰ってきた時は、死んでいたのです。
こんなに悲しいことがあるのです。
施設入所には
こんなに悲しいことがあるのです。
どんなにどうしたって
施設に入所して
ジェンギンスは早く死んでしました。
だからといって、
母と父を一緒に住まわせることは不可能でした。
末期を家に置いてあげたかったけれど
母と父を一緒にする事は不可能だった。
介護というのは
仕事も持っていなくて
家事もしなくていい人が
するのに適します。
でも
そういうひとっていなくて
まさにふさわしい状況だった母は
冷静に介護出来ず
却下。
ひさびさ、今日は
ジェンギンスを家で看てあげれなかった
後悔が大きくて
悲しい。
ごめんなさい、おとうさん
家が大好きだったお父さんを
施設で死なせちゃってごめんなさい。
わたしを許してくれますか
父は、最後のほうで、
「 さて、うちに帰るかな 」
って言ったんです。
苦しむのも悲しむのも私だけ。
苦しむのも悲しむのも私だけ。
苦しむのも悲しむのも私だけ。
日記に必死で施設探しの事を書いていたと思います。
あれから、2年も経ってしまったのですね。
これを読んでくださっているみなさまは
お変わり無く、良いことです。
でも、ブログを続けていて
パタリと更新が無くなった方がいらして
いま、ドウされているのか
わたしは心配しているのですよ。
さて、
人生2回目の施設探しをはじめています。
母じゃありません。
姉の義母です。
施設に関しては、そこいらのケアマネよりは
くわしいと自信を持っている私なので
こちらから頼んで、施設探しを引き受けました。
でも、日野市の施設はよくわかりません。
でも、2年前に何回も何回も電話して
どこもかしこもよく知っている名前です。
しかし、時代は変わるもので
特別介護老人ホーム 老健 療養病棟
こんな感じだと思っていましたが
小規模多機能ホーム
と言うのが開設されて、新種の施設があったのです。
日野市役所やら
老健やら
特養やら
病院やら
いつものように全部電話してて
わかんなくなったから
在宅支援センターに電話したら
小規模多機能施設 を教えてくれたのです。
デイもショートも在宅援助も
すべて一手に引き受けてくれるという優れものです。
これは理想であると確信したものの
現在の介護支援とはまったく縁を切って
多機能施設のケアマネに切り換えるというので
躊躇しています。
在宅と入所の両方を可能にした施設で在るけれど
在宅の時はヘルパーの手助けが無いと困るので
困ったのです。
79歳 一人暮し 脳卒中を脳梗塞による半身不随でペースメーカーを
入れている義母が わたしはかわいそうでなりません。
不自由なのに一人暮しで、
涙が出るほどかわいそう。
施設に入れるのもかわいそう。
きょう、初めて次男と話しをして
義母の一番幸せな形にしてあげようと話しあいました。
そしたら、施設に入所するのが幸せなんじゃないかって
次男は言いました。
次男は、一人でお母さんの面倒を見ています。
仕事中もひるま電話をして無事の確認を毎日しているそうです。
えらいです。
施設に入れると寿命が縮まる話し。
施設に入れると歩けなくなる話し。
施設に入れると呆け呆けになる話し。
いろいろ話して、
それも、運命だと2人で納得しました。
~~~~~~~~~~~~~~
施設を全く利用したことのない義母を
今後どのようにするか・・
ついこの間まで、こちらがお世話になっていたのに
施設行きだなんて、
悲しい話しです。
私が引き取って差し上げたいくらいです。
頭は呆けていないので
認知フロアのある施設を探します。
なぜかと言えば、
認知患者とは一緒にしたらかわいそうなのです。
いままで、私たちは認知症の家族をもち、
施設を利用していたわけですが
正常なひとにとって
どれほど迷惑のかかることかは
空気で解っていました。
施設を拒否する正常なお年寄りにとって
認知症の患者さんと一緒に生活させてしまうのは
失礼な事です。
そのてん、日野市は
認知用デイサービス、認知対応宿泊フロアが充実しています。
わたしの住んでいる渋谷新宿は対応が遅れていますよ。
それで、
老健と 特養と 療養病棟と 短期か、長期か、入所か、
えらい 迷っちゃいまして、
自分の意志で決めて良いなら
即決ですが
自分の親じゃないので
これは、難しい。。。。
ジェンギンスが最後の朝食を食べた朝のことを考えると
わたしは、泣きたくなります。
ジェンギンスはこれが、一生のうちの最後の朝食だなんて
知らないで 石川県の実家からおくられてきた御飯と長野の親戚から
おくられてきた巨砲を食べて入所したのです。
元気に歩いて喋って怒って出かけたのに
次に帰ってきた時は、死んでいたのです。
こんなに悲しいことがあるのです。
施設入所には
こんなに悲しいことがあるのです。
どんなにどうしたって
施設に入所して
ジェンギンスは早く死んでしました。
だからといって、
母と父を一緒に住まわせることは不可能でした。
末期を家に置いてあげたかったけれど
母と父を一緒にする事は不可能だった。
介護というのは
仕事も持っていなくて
家事もしなくていい人が
するのに適します。
でも
そういうひとっていなくて
まさにふさわしい状況だった母は
冷静に介護出来ず
却下。
ひさびさ、今日は
ジェンギンスを家で看てあげれなかった
後悔が大きくて
悲しい。
ごめんなさい、おとうさん
家が大好きだったお父さんを
施設で死なせちゃってごめんなさい。
わたしを許してくれますか
父は、最後のほうで、
「 さて、うちに帰るかな 」
って言ったんです。
苦しむのも悲しむのも私だけ。
苦しむのも悲しむのも私だけ。
苦しむのも悲しむのも私だけ。
お父様は、みるき~さんの手厚い介護と庇護の下に、お幸せだったと思います。
でも、「苦しむのも悲しむのも私だけ」という言葉に胸が詰まります。苦しかったですね。
母がもう自分も具合悪いし、父の面倒は看れないと言ったのが発端で、それは母の主治医(町医者)に言われたのですけど。
母の心臓が悪いから・・・と言われ、急遽父を預かってくれる施設を探したのでした。
数日間必死で探して、やっと家の経済状況とその他の条件の合っていそうなところを探して、バレンタインデーに父を連れて行きました。そのときは罪悪感の塊です。
耳が遠いので補聴器の電池とかいろいろ施設に渡しましたが、おそらく何もしてもらえてなかったと思います。
こちらからいろいろお願いしたことはおそらく無視されていたと思う。
施設に預けると言うことはそういうことなんだと思う。意識のある人は違うけど、痴呆のある人はそういう場合が多いのではないでしょうか?
いつか自分もそんな風にされてしまうかもしれませんね。でも、自分はどうでもいいと思うのです。
夫の母もだんだん痴呆が進んできて、そろそろ施設を探したほうが良さそうです。でも父はあまり乗り気ではありません。
でもね、必要になってからでは遅いですよね。
これから先、こういった問題はどうなっていくのでしょう。次の政府に期待できるといいですね。
おうちはイーですね
あんなことやこんなことをしても、怒られません
★ kappaさん、有料老人ホームならそこいらの施設よりよく看てくれて、幸せなんじゃないかと思われがちですが、そうでもないんですかね・・・
kappaさんのお父さんが、強い精神薬により、よだれを流していたという光景が想像され、わたしはよく悲しくなります。
まだまだ生きていられたのに、薬による拘束は施設の勝手な行為でずるいです。 もう人間扱いじゃなくて、生き物扱いですね。
悲しいね。 この経験をステップに、わがままなお母さんを大事にしなきゃなんだな・・・
★ いたち酸。 いまいる、OFF会メンバーがみんな健やかに賑やかに同じ施設に入所出来る所を作ろうか? だれだかか、順番に記憶が薄れていくんだね。