徘徊。徘徊どころじゃない、頭が狂ってる。
アルツハイマー生活15年。
今日は、15年のなかでもっとも悪い日だった。
過去にも、3日帰ってこない日や夜中に錯乱する日はあったけど、どうにか乗り切れた。
そして、今までは大変な事が起こっても、父がかわいそうでならなかった。
どうにかして、この場をしのぎ、平和な生活が戻ることを願って父の安全に努めた。
そして、平和な日々は再びやってきたりした。
しかしだ!
今日は、もう許せないくらいだ。
もう、この狂った人を私は介護できないと思った。
実際、一人じゃ狂人を扱えなかったのだ。
世の中に放置しておくべきじゃないと思った。
家で看たいというのも、もう家族のワガママでしかないと思えてきた。
近所迷惑だし、家に居ていいことは。。。
☆ ご飯を十分に食べさせてあげれる。
施設では、ご飯を拒否する父に十分に時間をかけてはくれないだろう。 だましだまし、食べさせてはくれないだろう。
☆ 水分を十分に飲ませて上げれる。
施設では水分の時間が決まっているので、今みたいに、、、、今日みたいに1リットルも自由に飲ませてはくれないだろう。
家だったら、牛乳にしてみたり、暖めてみたり、果物を与えてみたり、ゼリーを与えたり・・・いろいろやれるし。
☆ トイレの場所をすぐに教えてあげれる。
施設では、どうなっちゃうんだろう。
放尿だらけだ。。。
尿意があるだけに、介護者もつらい。
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今日私の仕事は夜7時までだった。
ジェンギンスはいつもどうり4時にデイサービスから帰ってきた様子だった。
どうやら、家に入らないので近所の病院へ薬をいただきに行く日だったこともあって家には入らず診察にいったそうだ。
その前にトイレに行きたくなったが家に入らないから庭で放尿したと言う。
病院から帰っても家に入ることを拒否。
6時過ぎ頃から階下がうるさいとは思っていた。
だから、私は鍵をかけて仕事をした。
あがってきたり怒鳴り散らされたら困るからだ。
6時半頃から、階下の電話が長く鳴っている。
留守らしい。
何度も電話が鳴る。
デイサービスにも伝えてあるとおり、緊急なら私のほうの電話にかけてくるはずで、私は電話に出なかった。
7時に仕事が終わって、また鳴っている電話に出ることができた。
母のスーザンだった。
『 あのさ~・・・』 って、どうして私にかけてこないのか! 何で自分の家にかけてんのか!
母は、4年前から動転すると電話番号がわからなくなってしまうのだ。
だから、たいそうかけ慣れた(別の場所に暮らしてたとき思う存分私の家に電話してきたし)私の家の電話番号でさえ忘れてしまってかけれないのだ。
で、
『 お父さんが家に入らなくて、もう疲れた、いまテニスコートの公衆電話だから』
すぐに駆けつけた。
公衆電話の向こうに二人で立っていた。
母は憔悴しきっていた。
『もう、疲れた。ずっとだもん』
後は私が面倒見るからと、母には帰ってもらった。
父のジェンギンスは、たいそうに怒っていた。
きっと、母が思いっきり嫌味の数々を言った後なのだろう。
それにしても、ジェンは意味不明の怒りを持っていた。
『どういうことなんだ!言ってみろ! 訳を説明しろ』 とか言われたって何のことだかさっぱりわかんないし。
『今居た女に人はどこへ行ったんだ。誰か居ただろ、誰だ! その人が何をしようって言うんだ!
誰にでも聞いてみろ。 だからなんだって言うんだ』
とにかく、心にもやもやがあるようで、まとまらず怒っていた。
消えてしまった母のことも少し頭に残っているところがすごいと思った。
家に帰ろうと言っても、家という物が理解できず
右左に歩く。
そして、何とか家のほうへおびき寄せてくると、バスどおりを渡りたがる。
信号でわたろうと言っても、信号が理解できず、強引に大通りを渡った。
渡って家の方角へ行くよう、体で邪魔して方角を定めたけれど、どうしても、反対へ歩いていく。
もう3時間も歩いているから、足はがくがくで痛みが来ている。 倒れそうなくらいだ。
公園へ誘った。
座れるところもないし、座るほど興奮が治まってもいない。
当分黙っていたら、
『 まあ、俺もそんなに怒ってるわけじゃない。
今日は泊まって行けよ』 と少し落ち着いたかのようだった。
私のことは、『 あんた』 とか言ってたから他人だと思ってるし。
デモ、いろいろ言ってみたけど家には帰らない。
家の方向には歩かない。
上手く歩けないから腕を支えると振り払う。
そして、バス道路を横切る。
心配して、母が見に来た。
もう少しで家の方角だったのに、別の住宅街の道へ入っていってしまった。
静かな住宅街だから、困る。
それも、よその家の玄関に立っていたかと思うと、
植木をむしりだす。
『 よその植木だからそんなことしちゃだめだよ』と言っても
『そんなことぁ わかってるさ』 と言ってむしる。
あるきだして、またよその敷地へ入っていく。
いろいろいじる。
だめだと言っても、いうことを聞かない。
常識というものが消えている。
それに、どんな足が痛くても家に帰るという知識が入らない。
今に倒れるかと思った。
倒れる前に車椅子を誰かかしてくれないかと思った。
携帯電話は持っていたけれど、誰にも助けてもらえなかった。
誰に助けてもらえばいいのかもわからなかった。
午後8時。
誰が助けてくれるんだろうかと思った。
狂った人がよその家の敷地に入って、バカなことを言ったりやったりしているわけだし、人が来て腕をつかんだら人を殺しかねない。大変な暴力事件になるだろう。
どこかの家でパトカーを呼んでくれたらいいと思った。
それとも私が救急車を呼べばいいのだろうか。
次に怒る惨劇を想像して、私は困った。
一人で、困った。
そのうち、ジェンギンスはアパートの階段に座った。
身動きが取れなくなってそれでも徘徊しようとするこの人をどうやって始末したらよいのか私はすごく困った。 力があるだけに私じゃ勝てない。
こんな人がほかにいるもんかとあきれたけど。
8月にこれ以上の人を見たんだ。
老健の施設で、点滴して車椅子の人なのに、ずっと歩いていた。 もう歩けない人なのに立ち上がって歩いていた。ずっとずっと歩いていた。歩けないからだなのに歩きたくて歩きたくて歩いていて倒れるのだ。
同じだ。
どうして、そんなに歩きたいんだ。
私はよく夢で歩いても歩いても進まないことがあるけれど、
それと一緒で、歩いても歩いても天国に到着できないでいるんじゃないでしょうか。
体が現世に残っチャッてんじゃないでしょうか
母が、犬のメリーを連れて来てくれた。
よく探し当ててくれた。
メリーはじいちゃんをみてそばに座っていた。
メリーは黙っているけれど、この家の歴史をじっくり知っている人だ。 12年間じっくりじいさんと付き合った人なのだ。
気分転換できた母が
『 おとうさん、あすは田舎に行くからもう帰ろう、あす早く家を出るから』
と優しく声をかけた。
人間、気分転換は必要だ。
私は、優しい言葉なんかたとえ台詞だと思っても
かけれる状態じゃなかった。自分がだ。
たいそうに辛抱強い性格だけど、この状況は最悪だと思ってもう、いやだと思った。
誰かに助けて欲しかった。
憔悴した母が助けに来てくれたわけだ。
なんとか、歩き始めて。
でも、道路まで来ると、家の方角を避けて、反対へ曲がろうとする。
なんだろ。 帰宅拒否。家の方角なんかわかるわけ無いのにどうして、Uターンしてしまうんだろう。
すったもんだして、やっと、家の隣のアジア料理屋さんの前に来た。
ここは、外国人の人しか働いてなくて、言葉も通じない。でも外に座っていた従業員が
『 オカアサン シンパイ ヨ 』って声をかけてくれた。
母は、店に前できっと私たちのことを心配してずっと立っていたんだろうな。
アジア料理やの前に来たとき
『 ここの従業員はきっと、私を助けてくれる』って思った。
言葉は通じなくても、いつも挨拶してくれるし、たぶん朝晩のじいさんの様子はみて知っているし。
それに、4年前から行方不明のときどんなに私のうちの様子が変だったかを知っているはずだ。
今日は若者のお客さんも多いし、
父を押し倒して身動き取れなくするには
ここの従業員がやってくれそうだった。
ここまで来て、わたしも安心した。
そして、隣の私の家に入った。
スムーズに入った。
部屋にはなかなか入らなかったけれど、
私がご飯の支度をしていたら入ってきた。
ご飯は、なかなか食べず、工夫に工夫をかさね
やっと、食べた。
ポカリスエットを1・5リットル飲んだ。
体が要求しているんだから飲ませた。
母は、今夜トイレに付き合う覚悟をした。
ご飯は、ご飯茶碗から手のひらに乗せて食べていた。 そのうち、湯飲み茶碗にとって食べていた。
とにかく、ご飯をほっといたら食べないので、あの手、この手で食べさせている。
飲み物だけは、自分で注いで飲んでいる。
おいしい、おいしいと言ってのんでる。
家に帰ってくればおとなしいもんで、座っていた。
この10日間で、おお呆けた。
この10日間で何か変わったことをしたかというと
前立腺肥大の治療薬と尿量調節の薬を10日前から飲ませていることだ。
関係が無いとはいえないような気がする。
でも、医者が
『即効性はないから、続けてみて』っていうから。
まったく、効果は見られず悪いことばっかり起きるけど、家としては頑張ってこの薬が変だと思っても続けてみてる。
あまりに父の具合が悪いので
日曜に10年ぶりに行こうと思っていたデズニーランド行きは断った。
つまんないの~。
一言コメント (全 7 )
いさにゃん(isa7531@gaiax)
はじめまして、毎日の介護お疲れ様です。介護疲れで倒れないようご自愛くださいませ。
ユウヒ(yu-hi@gaiax)
うん。私もお役に立てなくて・・・。
みるき(milkie@gaiax)
ユウヒさんありがとう。 特養の申し込みは7月末にしました。 まだ入れたくないと思って申し込みだけしましたが、わずかひと月で入れて欲しいと思っています。 安定剤によって父は激しくじっとできませんでした。明らかに副作用でしたが先生はそんな症状が出るはずが無いっていうのですよ。 大変困って相談してもどの方も『お役に立てなくて』って言いますよ。
ユウヒ(yu-hi@gaiax)
施設入所の順番は、私の地域では定期的に緊急性があるかどうかを調べた上で決定されるようになっていました。(施設入所の申請はしてありますか?順番が来てもけることは可能なので念のためにしておくのもいいでしょう)それから、私個人の話ですが脳の病気で薬を服用していて、その副作用でじっとしておられずおとなしくしていられないアカシジアというのを経験したことがあります。お父様のアルツとは違いますが、おとなしくしていられないというのは、精神的にも身体的にも辛かったでした。。お父様は痴呆で頭でその辛さがわからなくても身体はきっとくたくただと思います。寄り添う者も辛く大変ですから、とりあえず、より多くの人に協力を求めてみてください。(民生委員さんや自治会長さん、ケアマネさんなど)
みるき(milkie@gaiax)
神経がピリピリしているボケじいさんなのでもう、大変。 ここまで呆けてれば少しはおとなしく素直に座っているもんだと思うけど。 だから、限界だね。 デモ、施設の空きはまわって来るかどうか不明です。
kappa(kapparumba@gaiax)
言うべき言葉が見つかりません。お母様も大丈夫なんでしょうか。それが心配です。家で二人で見ているようには施設ではしてもらえないでしょう。でも、のっぴきならなくなる前に、預かってもらってはどうかな。そういうことを決心するのって、自分が悪いことしているんじゃないかと思ってしまいますね。私も父を預けることに決めたときには、胸がどきどきして、とてもいやな気分になりました。でも、自分の力にも限界はあります。
ユウヒ(yu-hi@gaiax)
お疲れ様でした。アルツは若くしてなる人が多い典型だったんですね。介護は一人で看てはいけないといわれますよ。ケアマネの方に相談して、ご近所の方にも協力をあおいでみるぐらいしか思いつきません。。ごめんなさい。お母様には年相応の物忘れもでてくるでしょうから、連絡先はもっておいてもらうのがいいですね。