アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

土曜日

2006-06-24 12:18:05 | 介護





今日は待望の週末だ。

ということは、やっぱり私は自分の仕事がすごく生活の負担になっているんだ。

介護だけしている生活はすごく楽だ。

もちろん、それは母がいてくれて留守番をしてくれるからの話だけれど。



施設に入所したらこんなに至れり尽くせりはしてくれないから、

施設費の10万円ほど差し上げるから

私の家で住み込みの食事つきで

どなたか24時間ジェンギンスに付き添っていただけないものでしょうか?



本気でそんなことをしてくださる方がいたらいいなと思います。



さて、母スーザンの顔に放尿したことなど知らないジェンギンスは

今日一日椅子に座りっぱなしでした。



おとなしくしていました。



私はこの日記をつけていることを

姉には言っていませんでしたが、

今日メールで、知らせたらば、

すぐにアイスクリームのお土産を持って

来てくれました。



ジェンギンスの大呆け状態はいつも知らせていないので、驚いたかもしれません。



姉は合理的な人なので、意地悪も嫌味も面倒なことも言いません。

助かります。



友達の多くは義理姉妹にさんざん、いろいろいわれて悲しんでいたりします。



今日も施設に入所させたらいいんじゃないか と言ってくれました。



友達の多くは施設に入れると親戚や兄弟の反対があると聞いています。

うちは、あっちの親戚も、こっちの親戚も身内も理解があってうれしイです。



姉が来ている間、ジェンギンスは何も喋らなくておとなしく座ったままでした。



『 姉が来たよ 』 といっても

へえ~みたいな感じで、わかっていません。 無視です。 空気みたいな存在です。



喋らない、怒らない、歌わない、動かない。

姉が来るといつも、扱いやすいかのような老人です。

『 わたしは、いつも家族に迷惑をかけてなんかいませんよ 』 という風で

本性を出さずに座っていました。



姉が来たときは、母はメリーの散歩で気分転換中でした。

一日一回だけ外にでるチャンスの散歩なのです。



姉は、『私が留守番しているから、なにか用事をしていいわよ』 と言ってくれました。



・・・そんなことを言ってくれる人はいままでいませんでしたし、人に私の仕事をしてもらうなんて、私には出来ません! でも、『 いいのよ 』って言ってくれるから、夕飯の買い物に行かせてもらいました。 



お陰で、ハンバーグ、天ぷら、バンバンジー、冷奴、の手の込んだお夕飯が出来ました。

仕事がないと、出来立てのご飯をみんなで一緒に食べれます。

喜びです。



姉は、夕飯前に帰宅しました。



夕食時は、ジェンは丁寧な言葉遣いで

よその家に居るみたいでした。

母は、最近ジェンギンスの食事のお構いをしないことが増えたので

私が何度もジェンのそばに歩いていって、箸を持たせたり、おかずをご飯の上に乗せたり、あれこれ世話を焼きました。

これが休日の私の仕事です。



休日の介護はちっとも苦痛じゃありません。



明日の日曜日も私は用事をいれずに

ジェンにお付き合いします。



母は、深夜の一苦労があるので

お気の毒です。



でも、あと少しの辛抱。

負傷が治ったら入所かも知れません。



~~~~



ジェンのおととい大きく腫れていた右手は、私が包帯で腕を巻いていたのが原因かもしれません。

取ったら、腫れが少しなくなりました。



歩行は、やや出来るようになってきました。

でも、歩き始めは痛くて

『 なんだ、どうしたんだ 』って困っています。 

少し歩くと、大丈夫みたいです。



私の腰は、一日で治ったみたいです。

よかった、ヘルニアじゃなくて。



明日の夕飯はなにを作ろうか・・

だけが私の楽しみです。


外で飼っているメリーにエサをやるジェンギンス。

家にイヌを入れるのは嫌いだけど、

メリーをかわいがるジェンのためには許そう。


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放尿助けて!

2006-06-23 12:15:26 | 介護
上手く行きません!!



歩けない間は、パジャマ上下を縫い付けておけば

どこにも排尿できず、パンツにしてくれました。

漏れの心配だけしてれば良い事でした。



だけど、



負傷が治ってきて歩けるようになったから

もう、たいへん過ぎます。



歩いてトイレへ行くが、足が痛い。

トイレへ行くから、パジャマは縫い付けれない。

トイレに間に合わないときもある。

ポータブルトイレは嫌がる。

尿瓶で取るのは嫌がる。

なぜか、ベッドの上で排尿してしまう時がある。



母は、

今朝、



顔におしっこされましたぁぁぁ~~~!!!!!





昨夜の対策としては、リハビリパンツを2枚履かせました。

これなら、横から出しにくいし、呆けた頭で放尿も出来ないだろうと思っていました。



いつもは、寝ている右側に放尿されるので

右側は、防水カーテン・ビニール・新聞・吸水シート・バケツ3つ で万全対策とれてます。



左下には母が布団で寝ています。



それを、昨夜に限って、母の顔に排尿。



父も頭がおかしいが、母もおかしい。

もう、ウンザリしすぎて

母はおかしくなってる。



シャワーも浴びないんだ。





放尿対策がわかりません。

まったく、わかりません。



睡眠薬は異常行動が出るので使えません。



身体拘束ベルトしかありません。



父がベッドから起きれなければいいのです。

ついでに、あたばがボーットしててくれるといいのです。

認知症が進んでいるのに、このクリアな脳はなんていう事でしょうか。



はやく、排尿伝達機能が衰える事を願うばかりです。



拘束ベルトは、介護用品のカタログにもありません。

でも、本気で欲しいです。



たいへんです。



私はたいへんじゃありません。



もういろいろ出来ない母が世話をしているので

たいへんです。

自分でしなければ納得しない母がたいへんです。

もう、母に介護をさせるのは可愛そうです。




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この頃の様子

2006-06-22 12:14:18 | 介護

ショートステイも行かなくなり、デイサービスも行かず、ジェンギンスは24時間家で、手厚い看護を受けています。



なんだか、大呆けだったのに最近まともに喋るようになってきたのは、至れり尽くせりの介護のせいでしょうか。

こんなにいい子なら、施設には入れる必要もないわ。



・・・・・と書こうとしていましたが、



今夜は、寝ること拒否で、夜中の12時を過ぎても、椅子から立ってくれません。

強引に背中を押して立たせようとしましたが

物凄い抵抗で、

押すのをやめたときには、私の手はしびれていました。 腕相撲をした後みたいに手がジンジンしていました。



それほど、力をこめても、ジェンは物凄い力で抵抗拒否し、それどころか、私を殴ろうとします。



「 殴ってみろ、その骨折した手で! ポキッと折れたらいいわ!」 とさえ、思いました。



季節もいいし、もう椅子に座らせておこうと

母を説得しました。

「そうするわ」と母もあまりの抵抗拒否を嘆き

寝るのですが、

2分もすると、話しかけて、ベッドに寝かせようとしています。



しばらくして部屋をのぞいたら、ベッドの端っこに腹筋状態でジェンが寝ています。

頭を上げて寝ています。

つらくないのですね。

いまさら、腹筋つけてどうする!



母が両足を下に引っ張り、私が肩を押して枕に寝かせました。



毎晩これをやって、わたしは今朝、腰痛でビックリしました。

今まで生きて来て腰痛なんて経験ありません。



腰が痛くて前かがみが出来ないのです。

背筋を伸ばしているとたいへん心地よいです。



貧血おきそうだったけど、寝てるわけにもいかず

朝の準備がスタートです。



訪問診療の先生が毎日来てくださるので、

ベッドも綺麗にします。

放尿がしてありました。

でも大丈夫。

ぜんぶ、シートが受け止めています。

ふすまにはシャワーカーテンです。

放尿万全!



訪問診察は、整形外科の院長先生が今日で3日目の訪問です。



母までが、注射打っていただいています。



薬だって、富士山くらい山ほど出ました。



カルシウム、D、痛み止め、炎症おさえ、骨粗鬆、

胃の薬、塗り薬、貼り薬、

両親に出ました。



薬飲みすぎて、ジェンが怒ったのかな~

昨日までいい子でいう事を素直に聞いてくれたのに、今夜はお怒りモード。



~~~~~~~~~



負傷の具合は。



右手は箸を使えるけれど、曲げたり、叩いたりで

痛がる。

私が絶対取れないように包帯しても、取っちゃった。

それで、

負傷したときより、すごく膨れ上がってしまいました。

レントゲンを私は見ていないので、どのくらい骨に

異常がでたかは知りませんが、

前より、うんと、腫れています。

色は、肌色です。

手首は変な腫れかただし、手の甲はゴム手袋に空気を入れたみたいに膨らみました。



足は、相変わらず痛がります。

その日によって立てる日と、立てない日がありますが、今日はトイレに歩いていました。

でも、骨のご機嫌により、時間は持ちません。



夜は、部屋の片付け徘徊が始まったのですが

痛くて即座ってしまいました。



そのご、座りっきりで、苦労したのです。



やっぱり、施設に行ってくれ!というほど苦労しました。

いま、その苦労から開放されて1時間半たちましたら、落ち着きました。



あすは、新しいケアマネさんが、老健の申し込み書類を提出してくださいます。

怪我が治り次第入所になってしまうかもしれません。



この数日、いい子でいただけに、

家においておけばいい子なのかしら、などと

考えてしまって、まだ正常な父が存在しているだけに、惜しい人を亡くした・・ああ、まだ生きてた。



2度目の夕食を食べるジェンギンス。

食べ方が分からないけれど、時間をおくと食べたり、

箸と茶碗をもたせると、上手く食べてもらえる。

タイミングを待つこと2-3時間だったりする。



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骨折と診断がでた

2006-06-21 12:11:40 | 介護



続きです。



夜中に排尿したくても、立てず、しかし、歩き、

歩けず、とんだ夜を迎えた夫婦でした。



あさ、どうしたってこの状態はおかしい!!

と結論がだされ、整形外科へ行かねばならないと思いました。

でも、わたしは11時までに大事な原稿を届けないといけません。

母は、介助できません。



病院へ付き添ってくれるヘルパーを頼むか、

整形外科の訪問診療を頼もうと思いました。



先ずは自分で調べましたが

レントゲンが必要だし、訪問でそこまで出来るところはあるんだろうかと思いました。

時間は迫ってくるし、

今月から初めてお願いした介護ステーションのケアマネージャに電話しました。



ケアマネさんが新しく変わったばかりなのに、

父が重症になってきたために

お願いばかりが続いてしまっています。



☆ 病院付き添いのヘルパー。

  手続きに時間がかかるようで、即今日は

  お願いできませんでした。

  

☆ 介護タクシーがあることを教えてくれました。

  部屋から車椅子で父を運び出し、

  帰りも部屋まで送ってくれるそうです。



5分の距離の病院へタクシーというのもなんだという物の、これは良いと!思ったのです。 でも、帰りはまた呼ぶのだろうし。。。駐車禁止で待っていてもらうにも時間が計れず・・・

躊躇しました。



☆ 訪問介護は、いくつか病院があるみたいです

  が、レントゲンは取れないだろうということで



『10分待ってください』 といわれ、

待っていたら、病院を紹介してくれました。



それも、ごく近所で、開業当初母がたくさんの患者さんを紹介して喜んでくれた病院です。

電話をしたら、『 1時にボクが行くから 』って院長先生が言ってくれました。

そこが訪問診療をしていた病院だなんて、まったく知りませんでした。



そこまで段取りして私は仕事へ行き、

詳細は紙にかいて置いておきました。



1時に先生が歩いていらして診察し、

3時に、車椅子で迎えに来てくれてレントゲンを病院で撮ることになりました。



3時に迎えにきてくださった方は、さすが、介護施設の方とは違って無口でおとなしい方でした。

デモ!!

びっくりしましたよ!!

父を抱き上げて玄関の車椅子まで運んでくださったのです。



女の私たちには考えられません。



父は160センチ53キロです。

結構まだ、重いです。



そういえば、介護施設のスタッフの男性も

父をレントゲンから下ろすとき、怒るジェンギンスを

抱えて下ろしてくれました。



男性に感謝です。 万歳です。

しかし、男性職員だからといって、お仕事をたくさんしたら腰を痛めますから

感謝している場合じゃありません。

でも、ありがたかったです。



さて、母が一人付き添いました。

尿器とオムツとズボンも持たせました。

いつ、そそうするかわかりません。



3時間経っても帰ってこないので

これは、大きな病院に転送されて

手術か!っておもい、じゃ、夜の仕事は休んでしまおう! と思って、病院に電話したら

『 今、お帰りになりました 』と言われ、

ちょっと安心。



帰りも男性に部屋の中まで父を入れていただきました。

万歳です!



父は、右手をしっかりとギブスで固定されていました。

これじゃなきゃ!っておもいました。

仕事が終わって階下に下りていくと

固い固い父の腕の形に作られたギブスが、



転がっていたのです



わずか1時間で!

母の力量では阻止できなかったそうです。



私たち家族全員は、



呆れすぎた

もう、唖然とした

がっかり!!



呆れている私たちの前でジェンは

ふざけたり、わらったり、ぺちゃくちゃ喋っているんだけど、もう、その冗談にノッテあげる気力も失せた!



医者の診断は、母が付き添ったので

よくわからない。

レントゲン写真も、骨を見ないで

矢印があったことを報告してくれた。



ケアマネと夜電話で話し

先生からは骨折と診断が下りたということです。

手術するほどのことは無いけれど骨折だということらしい。



参ったな。



骨折の程度って言う物があるだろうから

明日、聞いてみる。



なんか、週に3回くらいリハビリに来てくれるみたいです。

寝たきりにならないように対策を取ってくださったみたいです。



寝たきりにはなりそうも無い。



かなり、元気のいい痴呆老人だ。



今日は喋る言葉もハキハキしていたな~

2週間ずっと家に居て

栄養とって、睡眠とって、喋って、笑って

回復だ。脳が回復だ。



はやく、オムツに排尿してください!!

腕を固定する固いギブスが、わずか1時間で崩壊した。

私たちは、もう呆れて、呆れて、呆れて、

あまりの馬鹿さ加減に、呆れつくした。

手に持っているのは、作ったばかりのギブスですよ

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ギブ ギブです

2006-06-19 12:08:33 | 介護
私は今月午前中の仕事が入っているので

朝10時には家を出ないといけない。



それなのに、24時間見守りのジェンが24時間家に居るために

物凄いことになっている。

今まで、時間がなかったのに、もっとハードになって

今後上手く生活出来るか自信がありません。



いま、やり残している事がいっぱいあるから

いろいろ失ってしまっているのです。

仕事とか、いろいろ、



昨日は近所の病院に薬をもらいに行く日です。

いつもは母が行きますが

ジェンに付き添っているのでいけません。



わたしが、超ダッシュで薬診察です。

痰が大量発生していることから、

その薬を処方してもらいました。

ジェンの今までの経過を知り尽くしている先生なので

資料はいっぱいだし、先生もちゃんと把握してくれています。



先生に会った事がなかったときは

不信感もありましたが

そんな事はありませんでした。

先生のすべきジェンへの処置は上手く進んでいました。



それより、たいへんです。



身体拘束を解かれたジェンは

夜間頻尿のため排尿したがりますが

歩けません。

尿器も受け付けず、

歩けないのにベッドから降りて歩く事になります。



それで、痛くて痛くて



もう母はギブです。



父もギブです。



それに、2週間もずっと回復しないのは変です。



だから、パソコンで調べっぱなしでしたが

訪問診療が上手く見つけれず

9時になるのを待って

今月からお世話になっているケアマネージャーに電話して助けを求めました。



次の日記に続く

手を痛がるジェンギンス

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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。