アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

内視鏡検査延期

2009-11-13 01:13:00 | 母の介護
母の入院はとうとう、20日目となります。

もう高熱も最初の3日で治ったので
入院の必要は全くないというのに
この病院は、半分老人病院なので
ゆっくり置いてくれるのです。
3ヶ月置いてくれるのです。

母はもう、退屈しちゃって家に帰りたいと言いますが
多大な買い物と、多大な間食と、多大な胃薬服用を管理され
健康を取り戻せるのではないでしょうか。

でも、母は痩せてきました。
間食していた分がやせるでしょう。
食生活が安定し、胃腸は調子が良くなるのではないでしょうか。

しかし、不思議なことがあります。

母の眼瞼下垂がすっかり治って
目がパッチリ開いているのです。
12月には手術の予定があるというのに
なぜ?
なぜ、、目が開いているの?

~~~~~~~~

さて、先日院長先生と話をして
金曜日に大腸のポリープ検査と切除をする予定となっていました。
昨日木曜に病院に行った時、検査食が出ていないことを
聞きに言ってみたら、内視鏡予約がはいっていないというのです。

おまけに、予約でいっぱいだそうです。
来週以降までできないと言われ・・

ありゃ、退院は一体いつの事やら・・・

それにしても、母が居なくなったら
わたしの家族が慣れてきちゃって、
いままで踏み込まなかった母の領域(部屋)を侵し始めました。

遠慮して、私たちの荷物は決して置いていなかったのに
いまじゃ、階下に洋服は掛けてあるし
洗濯物はちらばっているし、
わたしも、楽器まで持ち込んでテーブルの上に置いてあるし、

早く天気が良くなってくれないと
いろいろ片づきませんよ。

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今日の13日金曜も2時から3時まで面会してきました。

いつもはりんごをすったり、洋なしを切ったりして持参しましたが
今日は猛烈に時間がなかったので、

【なぜかというと、昨夜寝たくなかったので寝ないことにしたのです。
 でも、あさになったら、ちょっと寝たくなったので
 あさ9時から11時までソファに横になっていたのです。
 ちょっと寝ると、電話はかかってくるし
 ちょっと寝るとメールはくるし、
 中途半端でした。
 季節が寒いと、寝るのが面倒でこまります。】

寝なくても平気で
食べなくても平気で
感情のない私ですが、
そんな自分は好きです。

それで、今日はコンビニで
80円の小さなコーヒーゼリーを買って行きました。
母は、ぺろりと食べてくれました。

母がいつも大量に買ってくる物は
食べたいものなのだと解りました。
買ってきたら、食べればいいのに
買ってきたことを忘れているから
食べずに捨てることになるんだ・・・・

いま、家の冷蔵庫は
ガラガラです。
とうとう、ヨーグルトもゼリーも
漬物も佃煮も全部賞味期限が来て捨てられ
ナンにもありません。

冷蔵庫が明るいです。

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母のとなりのベッドのおばあさんは今日退院です。

大腸ポリープの手術をしてひと月。
手術後は吐き気や膨満感で苦しんだそうですが、
昨日6時間の胃ガン手術をしたご婦人は
今日歩いて自分のベッドに帰ってきました。

皆さま、健康を取り戻しますように。


入院フロアのロビー。
動きのある街のネオンや風景が心をなごませてくれます。



オペラシティのライトアップが今年も綺麗でした。
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入院18日

2009-11-12 09:21:00 | 母の介護
あっという間に月日は流れます。

母が居ない生活にも慣れてしまい、
わたしは午前3時まで、デッカイテレビで映画を
見ています。
昨夜は、日本の 老親 という映画でした。
嫁が自分の両親と夫の両親を介護するという
内容でした。

介護の実態を知らない人には書けない
映画です。
介護をしている人が見ると共感出来ますが
介護をしていない兄弟が見たって
解っちゃくれませんよ。

~~~~~~~~

昨日雨の中病院にカリカリ小梅を持参しました。

母はお腹が少し痛いと言って寝ていました。

記憶がないので
便秘か下痢かわからないです。
いつもいつも、こうやってお腹が痛くて
・・検査をしてもらうのに丁度良いです。

ティッシュが無くなっていたので
薬屋さんに買いに行きました。
ティッシュもパンツも減りが早いです。

まあ、なんだかんだ言っても
深夜のテレビを見て
お年寄りがかわいそうになってしまった。
母を大事にしないといけません。
居心地の良い家にしてあげないといけません。
母は、あと数年も生きられないでしょうから
緊急に大切にしないといけないのです。

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夜、姉から久しぶりにメールが来ました。
洋服が山ほどあるからチョコパンにいらないか?というのです。

姉の娘は、極細な身体なので
なかなか彼女の洋服を着れる人がいないのです。
小学生に着させても、着れなかったりします。

極細の素敵なお姉さんのお洋服を
山ほどもらってくれる方は居ませんか?

そして、そのメールをきっかけに
母の入院のことを知らせました。
9ヶ月間、姉とは音信不通でしたが
メールが来たのは、きっと姉が何かを予感したのでしょう。

今日は、母の向かいのベッドの方が
胃ガンの手術です。
やっと見つかった初期の胃ガンだそうですが、
この病院は、かなり小さい病院です。
せいぜい盲腸程度の手術しか出来そうもないんです。

だいじな手術をこんなちっぽけな病院でするなんて・・

そうは言いながら
もし母の大腸ポリープが内視鏡で取れないと言われたら
ここで開腹手術をしないといけないのです。

どうしたらいいんでしょうか
どうやって、大きな病院に転院させたらいいのでしょうか。

こんご、何かに付け入院させてもらいたい病院ですから
失礼な事もできません・・・

面会時間は2時からだけど
昼に母の所に行って来ます。
検査食になっていたら、テーブルにある佃煮やつけものや
ごま塩を片づけてこないと行けません。

ひ~ひ~な毎日です。
時間が足りません。
なぜ時間が足りないかというと
夕食後、の~~~~んびりしちゃっているのです。
の~~~~~~んびりしすぎて
睡眠時間が3時間半です。 
深夜映画のせいです。

今夜は 海を飛ぶ夢 という映画です


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退屈な母

2009-11-11 11:03:00 | 母の介護
朝から母宅の電話が鳴りっぱなしです。
まちがいFAXです。
もう止めて!!ってかんじです。

いつもは、コンセントを抜いてしまうのですが
病院の母がよく電話を掛けてくるので
電話を切っておくこともできず、
一回ごとに電話に出ています。

病人がいるから即解除するように
FAXを送り返しましたが
自動送信されて来ます。

佐川急便の顧客情報がいっぱい
送られてきます。
注文や緊急FAXも送られてきます。

何度、忠告しても
佐川急便から送られてきます。

ぎゃーー
今度は私の電話にま違い電話がかかってきました。

たたりかと思っちゃいます・・・

それもこれも、

家の電話番号は、東京0333××× 3が続くから
相手方は 3 を打ち間違えて送ってくる。

ふ~=~~

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母は熱もなくなり、膀胱の不快も取れたのか、
ふらつきもなくなり、元気になりました。

私が3階のエレベーターを降りようとしたら
財布を持った母とバッタリ会いました。

母ったら、パジャマにカーディガンをはおり、
革靴をはいているのです。
パジャマのズボンがパジャマソノモノなのに、

なんと、駅前へ買い物に行こうとしていたのです。

入院しても買い物魔です。

「 出歩いたら、拘束されちゃうよ
  ベッドにしばられるよ 」 と脅かしましたが
聞いちゃいません。

リハビリパンツに入れる小さいパットが欲しいらしい。

薬屋で買ったら一袋800円だけど、
申し込めば140円なんだから
そっちを使って欲しいのに
どうしても、大きいパットを使ってくれない。

大きいから高価に感じて使わないんだろうけど
お願いだから、
大きいパットをつかってよ・・・

なんか、リハビリパンツの減りが著しいし、
なんで、そんなに取り替えるのよ・・

母が今、喋る内容は
院長先生が母の生まれ故郷の場所の
偉い出だとか・・・
先生の名前は、地名になっているとか・・・

でも、先生は東京生まれだから
よく知らないって言われたにもかかわらず、
先生に会えばその話をしているんじゃないだろうか

「 私の田舎の本があったら
  持ってきて 」 と言われた。

私には図書館に行く時間もないんだけど
母は、院長先生と田舎のことばかり
考えているので、熱心です。

かりかり小梅 も持ってきて欲しいといわれたので
私は、2つの駅周辺のコンビニやスーパーを探しましたが
ありませんでした。
母はいつも何処で大量の小梅を買ってきていたのでしょうか。

そうだ、
母の点滴の手に大きな梅干しくらいの
薄い膜でできた水疱ができました。

点滴が漏れたとは思えない場所で
ゴクゴク薄い膜につつまれた巨大な水疱です。

クッションのよい絆創膏を貼ってありましたが
日曜に、母がチョコパンに絆創膏をはがして見せたら
破れて水があふれだしたそうで、

破れたらすぐにかんごふさんを呼ぶ事になっていたけれど、
チョコパンはそんなことを知らないから
看護婦さんが居なかったので
母にあとを任せて仕事に急いだのだ。

それを聞いた私は月曜に看護婦さんに言った。

「 処置してありますから、抗生剤は必要ありません」
と言われ、 別の看護婦さんは、
破れた時は抗生剤をすぐに処置するって聞いていたのに。。。

そして火曜日、母の手をみると
かわいた血だらけになって
土曜日の絆創膏が貼ったままだし・・

母に言うと、処置したと思うとか
看護婦さんに言ったはずだとか
記憶が無いし。。。

それで、わたしはなぜそこで
看護婦さんに言わなかったのでしょうか!

もう、走って忙しかったのです。
仕事はあるし
夕飯の買い物はしなきゃならないし
郵便局は集金に来るし
お金はおろさなきゃならないし

もう、大変よ。。。

母の部屋の片付けだって
1日少しづつやって、

==========

今日は大雨!!ザンザンぶり!!

だけど、母から電話があって
10月の入院費の請求が来たから
すぐにもってこいというのです。
ずるいと思われるから早く支払いをしないと行けないそうです。

助けてください

わたしは一人でたいへんなんです。

人のため
いぬのため
とりのため
じぶんのため

暇じゃない自分が誇りです。
生きている価値があるって感じです。


月曜日は天気も良かったので外へ出てみました。
となりのベッドのおばさんは、息子さんがドライブに
連れ出してくれたそうです。
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腎盂腎炎か

2009-11-07 10:06:00 | 母の介護
土曜日。

昼に一件予約があってわたしは仕事をしました。
たった1時間働いて、母も居ないのでのんびりです。

でも、母の部屋の片付けを毎日必死でやっています。
夏物の洋服1万着を大きな段ボールにいれて洋服ダンスの上に置きました。

冬物2万着は、私が使っていたアミの棚を二階から下ろして
お店みたいに並べました。

ものすごい量の洋服です。

~~~~~~~~~~~~

3時過ぎて母の病院へ 洋なしと漬物を持参して
6時までのんびりしてきました。

となりのベッドの79歳のおばあさんと話していると
その方が、大変しっかりしているので
母のボケがよくわかります。
そして、私たち家族が、徐々に母のボケと上手く付き合っていることを実感します。

記憶ができない母にメモを残すことや、過去の質問をしないことや、危ないことをさせないことや、母にとって無理なことを自然に感じ取っていたわけです。


お隣のお年寄りとは見かけは同じ年齢で母の方がしっかりしているように見えますが、実は、母の方が頼りないです。

でも、母は誰よりも自分の方がしっかりしているという意識なので、同室の方のためにあれこれお節介をしています。それが生き甲斐です。

~~~~~~~~~~~

院長先生が、ちょうど母の所にいらしたので話が出来ました。

『 高熱の原因は分からないのですが、
  入院した時の尿がものすごく濁っていたので
  膀胱炎の菌が奥まで進んで
  腎盂炎だったのではないかと思っています。
  抗生物質がよく効いて、すっかり熱もなくなり
  顔色もとても良くなりました。
  食事もよく食べているので、もう大丈夫です。』


肝心の大腸検査の話を先生は知らなかったようで
大腸検査をお願いしました。

そしたら、母が

『 あんたは人ごとだと思って、そうやって
  簡単に頼んで、
  まったく、ひとのことを・・』
と 先生の前でわたしにブツクサ言ってました。

デッカイポリープが出来てるんだから
入院して取るしかないでしょ。 と思います。
ポリープを取れば、お腹の具合の悪さも
取れるでしょう。

今週の金曜に検査します。

~~~~~~~~~~

夕方5時になり、
外が真っ暗になってきたけれど
街道のネオンが綺麗です。

母 『 カーテン閉めて頂戴 』
私 『 まだ外が見えるから開けておくよ 』
母 『 閉めてよ 』
隣のお年より 『 カーテンをしめたらイヤだわ。
        もう少し開けておいて、外を見ていましょうよ』
母 『 そうね 』

数分後

母 『 カーテン閉めて頂戴よ』

・・・脳みそが衰えるって恐いですよ~

お隣のおばさんが上手く外が見えるように
カーテンを3分の2閉めました

~~~~~~~~~

ななめのおばさんが、昨日まで正常だったのに
すっかり呆けて、
『おとうさ~ん』って呼んでいるし、私が話しかけても
『ここは何処ですか、わたしはどうして入院したんですか』
って言うから、母と一緒に驚きました。

入院してここまでボケが進むなんて
すごいことだね と母と話していたんですが、

となりのおばさんに聞いたら、
その呆けたお年よりは、今朝そこのベッドに
移ってきたばかりなんですって。

母ったら、移動があったことをすっかり忘れています。

『 あたしは、絶対呆けないわよ! 』と
呆けた人を、見下していた母も
とうとう、脳みそが衰えてきました。

その衰えを回復させる気力もありません。

わたしはいろ~~んな人をみて
思うんです。

謙虚で
控えめで
上品に 
優しく 
綺麗に  生きていきたいです。

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母 入院12日目

2009-11-06 11:49:00 | 母の介護
母が入院して、私は肩の荷がおりて気持ちがすっかり楽になり、
すると、自分の仕事も全然イヤじゃない。
御飯の支度もイヤじゃない。

気を遣う人がいなくて、午前は眠くなったりしてるし、

でも株取引をして、忙しく過ごしています。
母の病院も1日2回行きます。

なぜかというと、
みんなからいろいろ頼まれるのです。

認知症の施設入院とただのお年よりの入院は
大きく違うことが判明しました。

ただお年よりは、欲があるんです。

あれがしたい、これがしたい、あれがいやだ、
これガイヤだ・・って。
それに、あれもってきて、これが足りない、
あれしなきゃ、これしなきゃ  って

4人部屋のそんな要求を
わたしがみんな引き受けるわけで
親切きわまりない私です。


これは、わたしがグアムに出発した10月28日。
留守中の注意を延々と聞かされたようです。
でも、いまじゃ、私が旅行に行ったことは忘れてる。

 
11月4日 チョコパンが病院に行くと、母が1階廊下を歩いていたそうなので外へ連れ出してくれました。 10日ぶりの外の空気をよろこんでいたら、      


母が外に出ているのを3階から見ていたとなりのベッドのおばさんも、外に出てきました。 このおばさんは手術をしているので久しぶりに外に出たと言って、たいへん喜んだようです。

============
リハビリパンツ購入の話とか、わたしはこの日記に書いたでしょうか?
忘れてしまいました。
書いたか書いてないか忘れてしまいました。

社会福祉協会にリハビリパンツを申し込むと
薬屋さんで買うより8割引なので
22枚入りが320円です。
ビックリするほどの安さで、
だから、このことを病室のみんなに教えてあげて、
いままで紙のパンツを躊躇していたみなさんも
これを機会に堂々とリハビリパンツに前進です。

普通のパンツをよく濡らしてしまって
困っていたけれど、これなら便利ね と
言ってくれました。

わたしも、いつかリハビリパンツを
堂々と履こうと思います。

とにかく、
病室の他の皆さんは、娘や嫁がいないので
自分で頑張っています。
息子さんは、なかなか気が付いてくれなくて
なかなか来てくれなくて
不自由らしいです。

年をとるのは大変です。
わたしは、できるだけの協力をしてあげます。


ご褒美にチョコパンが買ってくれました。

それが、こんなに美味しい日本酒は飲んだことがありません。
実に美味しい。
もったいないから、1日145CCずつ5日間かけて飲みました。
おいしかったぁ~
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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。