アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

日曜のデイへ

2012-10-14 08:28:00 | 母の介護
日曜日の朝、ゆっくり寝ていました。
朝、自然に目覚めるまで寝れる日は貴重です。

しかし、午前8時10分に玄関のチャイムがなりました。

 もしや 

 やっぱり 


近所のデイサービス(旅行中40日預かった頂いた。最近母が嫌っている施設)がお迎えに来たのです。

母とスタッフさんが話しています。

『今日デイなの? 知らなかったわ・・あら・・』

まいったなぁ、寝起きで私は出ていけません・・

 助かったぁ 
チョコパンが顔を出してくれました。

9時にお迎えに来てくれるように頼んでくれました。


先日ケアマネージャーが来た時に、『こんどから第2・4日曜にデイサービスに行って顔をつなげておきましょう。』 とは言っていたけれど、まさか正式に決定したとは聞いていなかったので、びっくりした。
デイの人は、私が寝坊したと思っているだろうが、違います。
聞いていなかったのです。


しかしいろいろ解決しました。

★ 代々木公園へ一人で行こうと定期を出して準備していた母が心配でした

★ 私もチョコパンも外出してしまうので食事の心配がありました

★ 午前は今日のパーティのために準備で忙しかったのです

午前9時から夕食を頂いてまでのデイへ母は出かけてくれました。

ホッとしました。

昼食夕食の準備の仕事がなくなり外出してしまう心配もなくなり本当に安心しました。

サラダを作ってパーティに持参しましたタイ料理三昧でした
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母・ショートへ

2011-10-15 16:48:00 | 母の介護
10月15日 土曜日。

今日から4泊のショートステイで、母は朝8時にお迎えの車にご機嫌よく乗って行きました。

ショートの予定が書いてあるカレンダーを見たときは、激怒していましたが、たびたびスタッフに道で会って、優しい言葉をかけられると、もう母はご機嫌さんです。

家事が大嫌いな母だから、茶碗洗いだけはさせないようにメールを入れてあります。
【こんなに食べれないわ、減らしてちょうだい】と言われても食事を減らさないように、と言うことも伝言ノートに書きました。

最近、この【減らして】攻撃でわたしはイライラします。

用意してあった丁度良い分量の夕食を、別のお皿にとって減らすようになったのです。
それも、4分の3を皿にとってしまって、自分が食べる量はほんの少しになっています。

小さい皿を食べ終わったときに、残りの食事が乗ったお皿と交換すると、平気で全部食べています。

私が付き添っている時はそれで済みますが、一人で食べているときはどうなんでしょ。


毎日の、【そんなに食べれないから減らしてちょうだい】という言葉をわたしは聞きたくないです。 
強引にわたしの茶碗にのせようとするから、【わたしは要らないから】と言ったって
【どして!!】・・というやり取り。

じゃあ、もうそのままにしておくと、食後からすぐに間食が始まってしまいます。
テーブルの上の、せんべいやみかんやお菓子をもりもり食べるのです。

・・・そんな母も今日から4泊いないのです。

いま、ゴゴ5時ですが、わたしは、今日あと10時間も自由時間なのです。

夜も自由に外にでれるし(本屋とかコンビニとか)、夕飯の時間に追われなくていいのです。

7月8月のショートの時は自分も出かけていたので、たいへん多忙で安らぎはありませんでした。でも、今日はホッとする時間がもてました。

だけど、超多忙です。

午前中はお仕事。
昼食(パスタに夢中)後は、母の部屋の片付けです。



シーツを温かいボアに取り替えて、ベッドメイキング。
寒がりの母は、毛布を4枚使っていました。
昔の人なので、重くないと寒いのです。



夏物をしまって、冬物を並べます。
母はタンスにしまわないで出しっぱなしなので、ときどき整理しますが
たぶん、ズボンの山もカーディガンの山もわかってなくて、ごちゃごちゃにします。



洋服ダンスもあるのですが、すぐ手に取れるように、このようにハンガーにかけています。
とにかく、洋服は使い捨てにしてもいいくらいたくさんあります。

洗濯物も洗って、掃除機をかけて、トイレ掃除もして、トイレットペーパーが相変わらずなくなりが早く、リハビリパンツのなくなりも早く、年をとるとあれもこれも大変です。

母の食事の仕方が、テーブルから随分はなれてたべるので、たくさんこぼします。
あれあれと思いますが、わたしも負けずにこぼしてますから人のことはいえません。
それに、母の洋服の散らかりは気になりますが、わたしも負けていません。
洋服が山ほどあります。
きょう思い切って古いのを捨てました。

さて、あいにくの雨なので大量に洗濯したものをコインランドリーで乾燥します。
夕方5時半だと言うのに、外は真っ暗。
早く暗くなるのはつまんないですね。

夏にオランダに行ったときは夜8時半すぎても明るかったのです。
夜9時や10時まで明るいのって、生活がのびのびします。

オランダにいる娘のチョコパンが、かみ合わせのために削った健康な歯が痛くて染みるというので、昨夜友達の歯医者にたのんでそれ用の治療セットを借りました。
自分で治療して、また返します。
友達がいて助かった!! わたしが治療したかったなぁ。
夜中に郵便局から速達でおくりましたが、
300グラムで1500円の送料です。

郵便局の計りで、299.6グラムというギリギリで送りました。
あれいれたり、これやめたり、ちぎったり、切ったり・・・
新宿郵便局のはかりの回りは、チャーハンの素やパスタの素でたいそうに散らかりました。

夕飯はなににしようかな~~
1人だとご飯は4日間炊かないとおもいます。

チョコパン    → おらんだ 
母        → ショートステイ
メリー      → 深大寺動物霊園
ハムスマイケル  → 小岩にホームステイ
ピータアンダーソン→ 近所にホームステイ
金魚とメダカと稚魚→ 同居中

みんな、ホームステイだな。
うらやましい・・・

ああ、コインランドリーに行かなきゃ、
クリーニングも今日受け取りだ、


パリ。モンマルトルで食べたパスタ

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あれあれ・・

2011-10-05 13:28:00 | 母の介護

月曜日に母はショートステイについて激怒しました。

新しく通い始めた小さい一軒家の施設は、
「冷たいところに寝かせられて人間扱いじゃない、地獄に送られるようなもんだ
 やっぱり、渋谷がいい。 ホテル並みに設備が整ってる」 
と言いました。

今日の水曜日、私が階下に降りたら母が散歩から帰ってきました。

【すぐそこの、泊まるところの人に今日も会ったわ。昨日もあったけど。
 今月も中旬にまってるね~って言われた。よく覚えているんだね。
 声を掛けてくれて、感じがいいよ 】

わたし【 今日ケアマネに電話して、そこの小さいところは冬の寒い間だけでも行かないようにしてもらうね】

母 【 寒くなんか無いわよ~、暖房が付いてるんだし、そこでいいわよ】

わたし【・・・・・・・
    布団が薄っぺらいからさむいっていうし、冬の間でもほかに泊れば?】

母 【 そこでいいのよ 】

わたし【・・・・・・】

月曜日の怒りは、カレンダーの予定を見たときに昔の怒りがこみ上げてきた爆発だったんでしょう。 昔のショートに対する文句を言いたい放題爆発させてたので。

・・・・・まったくどうしたもんか。

私が施設を見極めて判断するべきだろう。、

しかし母の言うことはまちがっていないんだ。、

渋谷の大きな施設は設備が文句無く立派だけど、話をする人がいなくて孤独すぎる。

近所の一軒家は、狭すぎて寝る部屋がフローリングだ。
母が悪口を言う言葉を借りれば、ザコネだそうです。
たのしいけど、狭いな。

その中間の施設を利用するべきだ・・・

父がお世話になった老健は設備もスタッフも医療も大変よかった。
遠すぎて、母には向かない。
渋谷区近辺には老健がないんだ。

私が判断しないといけない。


昨夜のご飯は、サツマイモご飯とカボチャ・なめこの味噌汁。
それに、まいど豚肉の炒め物。
めずらしく一生懸命作りました。

毎日豚肉なのは、一パック買ってくると4日分はあるのです。
だから、こんやも豚肉です。
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わたしを困らせる母

2011-10-03 00:59:00 | 母の介護
一日は24時間あるから、24時間分の書きたいことがある。

午前  母は前日に用意しておいたロールパンをピーナツバターをつけて食べていてくれる。
ポットの電気コンセントも入れて、お茶を飲んでいてくれる。
ポットにお水は前日私が入れておくし、お茶の葉も前夜急須にいれておくのです。

お昼ご飯のためにお茶碗にご飯をよそって、キッチンに置いてあったんだけど、それを暖めてテーブルに載せてあった。
でも、箸もおかずも無いから朝食でないことに気がついたとおもう・・・


ゴゴ12時半

大学病院眼科へ診察。

結局もう対処の仕様が無いということ。
だから、近所の医者に通いたいと話したら、
それでいいけど、定期的には大学病院に通ってほしいというので、なんともめんどくさい。

次回は2月です。

左目の角膜から飛び出た石を取ってもらいました。
痛みが楽になったかと?母に聞いてもわからないそうです。

今日診察で先生の前に座ったら、目がギョロ!!っと開いていました。
ありえない! ほとんど目を家では開かないのに、ギョロ!!だよ!!

ゴゴ3時

バスに乗って帰宅。
バスで往復できるようになったのは、すごい進歩です。
2年位前は必ずタクシーでした。
それくらい弱かった。
同居して栄養状態がよくなったことは確かです。
でも、もう同居して6年になろうとしています。

帰宅後、【 午前から行って帰りが今になって、随分時間がかかった】と
勘違いを何度も言っていた。


午後6時
わたしの仕事中に母は私が用意した一皿の夕飯を自分で温めて食べます。
以前は、いくつかのお皿にあるものが暖めれれず、わたしもストレスでしたが、もうご飯もよそわせないし、とにかく、ぜんぶ一皿にまとめたのです。

ごくたまに、電子レンジに入れたその一皿を忘れてしまうみたいですが、
順調です。

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それで、私は今夜とても嫌な気持ちになりました。

また始まったのです。。。。
ショートステイの激怒が・・・

小さなショートステイにお願いするようになり、母の希望通り、昼間も楽しめてみんなと一緒で、夜も一緒に寝て・・・
ぜんぜん、文句を言わなくなっていたのもつかの間・・

10月のカレンダーになり、ショートの予定を見たとたん、始まった!

【 地獄に送られるようなもんだ 】
【 あの、近所のとこか?! あんなとこ、泊まる設備なんてありゃしない!
  床に薄っぺらい布団を敷いて、冷たいったらありゃしない、 
  雨戸だってないんだから窓側だったら、寒いだろ!
  ひどいところだ!】
【 茶碗だって洗わせて、そんな施設があるもんか 】

・・・母の文句の嵐が始まりました。

わたし 【 だけど、渋谷の施設は個室で淋しくていやだって言うから、お母さんの希望に叶うところをみんなで見つけたんだよ 】

そんなことを言ったって、素直になるはず無いけど、
とにかくまた始まったわけよ。
きのう、おとなしいと思ったら、今日は激怒だ。

毎日、施設に対する意見もコロコロ変わるんだ。

でも、その小さい施設は、ほんと、小さすぎて狭すぎる。

良いところもたくさんあるんだ。

: 買い物などドライブにどんどん連れ出してくれる
: 病院も付き添ってくれる
: 延長サービスもしてくれる
: スタッフもとても親切で年寄りを大事にしてくれている
; 10名のみんなで楽しく過ごさせてくれている
; 行事もたくさんあってレクが豊か

そして母がいつも言って困るのは

【 誰が、ショートを決めるのよ。
  誰がわたしをショートに行かせるって決めてんのよ。
  ケアマネージャーは私がショートに行くたびに、一日いくらって金が入るんだよ。
  わたしは、紙を見ちゃったんだから、ケアマネージャに金が行くようになってるんだ】

それは、誤解だよ・・って言ったってもう思い込んでいて修正はキカナイ。

わたしは、もう母の一連の文句は聞きたくない。
聞き飽きた。

だけど、そんなに地獄でもないと思うよ。
1人で宿泊できないほうがおかしいよ。



オランダで買ってきたワッフル。
食べるたびに【甘い!!】って言われます。
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日曜日

2011-10-02 01:44:00 | 母の介護
日曜日です。

狭い家に母と2人で住んでいながら
けっこうすれ違いの生活で
朝起きて、階下に下りていくと母は散歩中。

散歩したり、ベッドで寝たり、テレビみたり・・・
母は幸せな暮らしをしています。
3食昼寝つき、介護つき、将来の不安なし。

でも、幸せじゃないそうです。
ぜんぜん、前向きじゃない考えだから
悲惨なことばかり考えて生きています。

人のことまで悲惨にするから暗くなってしまいます。

わたしも全然この家で笑っていません。
母もぜんぜん笑っていません。
笑顔もありません。


母は耳が遠くないのでそのストレスはありません
母は自分で歩けるので車椅子のストレスはありません
母は自分で着替えもトイレもいけるのでそのストレスはありません

デイサービスからかかってくるお迎え時間電話については
ぽっかり全部忘れます。 電話がかかってきたこと全部を忘れます。

瞼が下がって目を閉じたままの状態です。
まぶたがピクピクして痙攣しています。
目玉が痛いのかまぶたが下がってくるのか本人がわからないんだから医者にもわかりません。

きょう、また眼の事を母に聞いてみたら
「 まぶたが、しぶいの 」といつもの 渋い がでました。

あす、また大学病院の検診日ですが、本人の症状が訴えがわからなくて困ります。

目が開けられなくてつぶったままで、
目をあけると、すぐに痛そうに閉じてしまって
目をつぶると顔も目も痙攣してて、
瞼の中は真っ赤で炎症があって
目がいつも痛くて目薬ばかり差しすぎで

眼科の偉い先生が神経内科へ行くべきだというのだけど
老年科の先生が神経の病気じゃないといってあっさり断った。
大学病院の待合室を見ても母のような目をつぶっている人はだれもいない。

角膜に傷が付いたときは涙がでるだろうし・・

以前手術した瞼の垂れ下がりは、すっかり元に戻った。
吊り上げていた糸が切れたようだ。 

手術がヘタクソではある。

~~~~~~~~~~~^
母が昼寝をして夕方起きてきた時
フルーツヨーグルトを作ってあげた。

でもぜんぜん食べないの。
食べないの?ッて聞いても無視。
どこか悪いの?ッて聞いても無視。
何か話しかけても、正面を向いたまま。

たしか、なんのトラブルも無いはずだったから
怒っていることは無いんだけど
なにか誤解されているんだろうかと心配だった。

何を思っていたんだろう・・・

ボケてるのかしら?



今夜の夕飯は、昨日と変わらない様に見えますが
昨日のミートソースにカレー粉と蜂蜜をいれただけで完成してしまったカレーであります。

昨日のミートソースは薄味でしたが今日のカレーは濃い味で、母にはカレー粉が多すぎた。
でも、昨日引き続き、混ぜて食べるのが苦手なので
カレーはあまりかけずに白っぽいご飯を食べていたようだ。

母と2人だけだと、夕食も簡単に済ませることができます。
家族がいろいろいて、いろいろなものをたくさん作っていたから
いままで食事つくりがストレスだったんですね。

チョコパンが帰国するあとひと月を楽に暮らさせてもらいます。

でも、しなければならないことが山積みで、
生きていくってたいへんですよ。

今日は、母が寝ている間に3時間ほどビジネスの打ち合わせと買い物で外出したけど、ずーっと階下のコタツで過ごした。
いい映画もたくさんやってるんだけど、母は外国語を拒否するようになったのでみることができない。

チャンネルを目がまわるほど頻繁に変えていたって
演奏活動が始まったって、
テレビに文句を言い出したって、
たくさんこぼして食べたって、
ゴミ箱にビンを捨てたって、
何回も同じことを言ったって、
変なことを言ったって
・・・わたしは何も言わないよ。

そうそう、昨日ケアマネに母が言いました

【 私が死んだら、この人は楽になると思うわよ ほんとよ 】って。

ケアマネは 【 なに言ってんのよ 】とすぐに言ってました。

わたしは黙っていました。

わたしの考え・・・ 母が死んだら、もちろんわたしの生活は楽になる。
          だからと言って、わたしのお母さんが早く死んだほうが良いなんて思うわけが無い。 文句は愚痴として言ったり書いたりしてるけど、いつまでも生きていて欲しいと思っています。 私は小さい頃から、母を頼りに生きてきました。
学生のころ、親が死んだらどうしたらいいかわからないと思っていました。
でも、わたしもおかげさまで成長したので親の死がまもなくやってくるという覚悟をしています。
もしかしたら、自分の死も近づいているかもしれない気もしています。

私が死んだら、しなければならないことが山ほどあります。
その相続がうまくいくでしょうか。
ああ、早く引き継ぎノートを書かないと・・




ルーブル美術館にて。
あれ?随分でかい写真だったな・・いいか、 もうどうでもいいや
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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。