アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

お年寄りのお世話

2010-04-16 18:00:00 | 介護

突然じいちゃんに呼ばれて墓参り。

寒い日が続きます。

目の手術をした母は、すっかり病人でパジャマを着たままで部屋にいます。
お陰で、買い物に出て行きません。
目玉の皮を縫って在るので、不快感が強いと思いますが、イタイイタイと言って大変です。

化膿しては困るので私も一生懸命優しくしてあげて、目薬と軟膏をつけてあげています。

上まぶたのふちが赤くはれているのが気になります。
おでき状態になっています。

年を取ると、痛みやカレーの辛さに耐え切れないようです。
子供と一緒です。
人間は、離乳食を経て、乳状の液体になって人生を終わるようです。
普通食が食べれる私たちは幸せです。

今日の寒い金曜日は久々、老人介護で忙しかった。でも、嬉しい気持ちのひだった。

午前中に父ジェンギンスの墓参りに行った。
電車に乗っていて、突然行ったのだ。
だから、何も持っていかなくて、駅でジェンギンスの大好きだったもみじ饅頭をひとつ買って、墓に供えた。
「 おじいちゃん今日は。」写真を撮って、花をきれいにして、「おじいちゃんさようなら 」 と言って、すぐにさよならした。

そして、今日は姉の義母に会いに行ったのです。
義母は、有料老人ホームに入って1年がたちます。
何回か脳梗塞で倒れて半身が不自由です。
でも、まだ若くて上品な人です。

今日話していても、なんて言葉使いの上品な人なんだろうと思いました。
2週間前に、転倒して腰を圧迫骨折したというけれど、元気そうだった。
でも、もう1人じゃトイレにいけないらしい。痛くて立てないらしい。

今日は、ロビーでお茶の時間だったので一緒に過ごしていたら、わたしにまでコーヒーをスタッフの方が持ってきてくれました。
ちゃんと、陶器のきれいなコーヒーカップです。 入所者さんにも、プラスチックの食器は使っていません。ゼリーだって、ちゃんと生クリームがきれいに絞られていて、なんとも上品。

スタッフの人がみんな、「 こんにちは 」「こんにちは」って挨拶をしてくれて、なんて感じがいいんでしょうか。
どの介護士さんも、落ち着いていて笑顔がある。忙しくしてる人はいないの。ゆったりしているの。 入所者さんもゆったり自由に過ごしてる。

特養は、介護4とか5の集団だけれど、有料ホームはお元気なお年よりもたくさんいてぜんぜん介護の必要もないくらいだ。
だから、話し声もきこえるし、自分で各階を自由に歩けるんだ。
いい環境だ。母もこんな施設だったらショートステイを気分よくしてくれることだろう。

でも、ご夫婦で入所している方もいたけど、自由の無いコンクリートの中の生活は息が苦しいと思う。コンクリート・・・つまり墓石の中だな。
将来は夫婦で老人ホーム・・・っていう話もよく聞くけど、これはまったく
おもしろくない生活です。 一生旅館に滞在している感じです。

義母に桜餅を持っていったので、二人で食べました。
義母は、きょうナニを言っているのかわからないことがたくさんありました。 なんか、私のことを別の人と勘違いしているようにも思えました。
 まいにち、まいにち、誰とも話をしないんだから当たり前です。お気の毒です。 このお母さんを幸せな気持ちにさせてあげるためにはどうしたらいいのかと考えました。 おうちに連れて行ってあげたいな・・・
わたしには、暖かくなったら散歩に外へ連れて行ってあげることしかできません。 義母はこの2年間外に出ていません。

なんだかんだして、家に帰ったのが4時10分。お仕事は4時半からで、その20分で、メリーが汚した玄関をそうじして、母の食事の支度、暖房つけて。。。ヒーヒーでした。
寝ている母はそっちのけで、義母のところに行ってました。

わたしの母は、明日もデイにいきません。
すっかり、病人になりきっているからです。

でも、ふすまの向こうで、うるさいのなんのって・・・

「 ちょっと、チョコパンを早く寝かせなさい! 」
人の寝る時間まで干渉しちゃいけないさ。

母は昔からひとの生活に口を出してきたんだ・・・・



チョコパンがタイに行って、アイシャドーギラギラをたくさん買ってきてくれました。100年ぶんはあるな・・
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介護

2010-04-15 11:29:00 | 介護
今朝の読売新聞の相談記事は介護のことだった。
私が投稿したのかと思うほど同じ境遇だった。

私は、たった一人で両親を介護していることに不満は無いけれど、介護しているために仕事の量を減らし、仕事に行けず、そして入院費用もこの家にかかっている費用もなんか、全て私が支払っています。
介護のために仕事ができなくて、介護の支払いは増え、どうやって生活していこうかと不安に思うことがあります。

両親には十分な年金がありますから、母が支払いをしている間はそれで十分にやってきました。
でも、父が亡くなり母の介護が始まると、母にお金の請求はできないので私が払います。

母は、「 かかったお金は言ってよ、私が払うから言ってよ 」 と、大変気を遣ってくれますが、お金をください・・なんて絶対いえません。

それでもって、わたしは、だんだん貧乏になってきました。
株でお金が増えているから不安は無いけれど、収入になる仕事をしていません。

私が働けないで介護に明け暮れている間、わたしの姉妹は十分に働いて年金もいただけて、幸せな老後があるんです。いいな・・・

過去に私の青春を奪った男たちがいたけど
私の残り少ない青春を介護が奪っていくんだ。。
介護は仕事もお金も奪っていくんだ。

介護が落ち着いたら私は働こうと今日思いました・・・
行列ができる店に並んだり、裁判の行列に並んだり、
この印鑑を買ったら宝くじが当たりました!っていうお仕事です。
長時間地道に働く癖が無いので、10分6000円のお仕事をします。


姉の義弟からメールがありました。
施設に入所している義母が転倒したらしく腰を圧迫骨折したそうです。
面会にいったら、大変元気が無かったそうで、お母さん思いの義弟は大変心配していました。それで、私に面会して元気にしてやってくれないか?というので、わたしは明日義母の面会に行ってきます。

うちの母も手術後の目が痛くて介護が必要なんだけど、
いいよいいよ、わたしはみんなの面倒を見てあげるよ。

義母は2人の息子がいるけど、誰も同居してくれなくて、自分が節約して残したお金で高級な施設に入所しています。

80歳でまだまだ若いのに、部屋に閉じこもっています。
老後の夢があっただろうな・・
孫にかこまれて暖かい日々を迎えたかっただろうな・・・

1000万以上の支払いをして入所した施設だって、ずっと目が届くわけじゃない。センサーで監視してるだけだ。
文句言いながらも家族が介護するのが一番いいんだろうな。

そう考えて、

行きたくないショートステイに行かせたために、
父は転倒して骨折した。
認知の骨折は骨折を記憶できないので悲惨な状態だった。
かわいそうだった。

施設は監獄だって母が訴えるけど、
施設は墓場だろう。
家族は施設に入れるとき、墓場に生きたまま送り込んだと思うべきだ。
だから、施設に入れたら、骨折しようが栄養失調になろうが死ぬのが早くなろうが、面倒を見なかった家族は文句を言っちゃならないのだ。

後悔もしちゃならないのだ。

父が苦しんだのは、
父を施設に入れた私が全部悪いんだ。

母の最期を私はどう迎えようかと思う。

父が病気で苦しんだ姿と
かゆみで苦しんだ姿と
トイレに行きたい苦しみと
施設に行きたくない苦しみと
骨折の苦しみと
認知を意識した頃の苦しみと

たくさんの父の苦しみを思い出してしまった。
今日は悲しい。





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母 目の手術

2010-04-13 16:20:00 | 母の介護
母の目の手術はもう何回目だかわからないくらいです。

御茶ノ水博士に特別料金を支払って特別室に入院して両目の眼嶮下垂手術をしたのが始まりです。

そこからどんどん悪化して

2回目も御茶ノ水博士に外来で整形手術をしてもらいました。
(わたしもやって欲しい・・眉毛の下の皮を切ってあげるの)

3回目は、もう御茶ノ水博士と縁を切ることを約束して、近所の大学病院で眼嶮下垂手術をしました。

今度は、目玉が悪化してきて、痛みや不快を訴えて目を開けられません

4回目は、左目の目玉の表面にある皮のたるみを取る手術をしました

5回目は、まぶたの筋肉を持ち上げる手術をしました

6回目は、今度でしょうか、右目の目玉の表面にある皮のたるみをとって、
     結膜に発生した石をできる限りとって、まぶたもあげる手術を
     しました。

手術の予定時間を大幅に超えて、先生はお昼を食べる時間もなく診察と手術に追われています。
日帰りの手術ですが、点滴をしながら、血圧を測りながらで、途中、血圧が200を越えて、術後の血圧も180くらいです。

術後は痛みを訴えました。


手術を4階手術室前で待っていると
いつも同じ光景に出くわします。

それは、死体が運ばれていくのです。

黒い服の葬儀屋さんが白い布で覆われた死体を霊安室に運びます。
その後ろを、入院の荷物を持った家族が追いかけます。

父の時味わった光景です。

今までの光景では泣いていた家族はいなかった。
始めて出くわした時は、おばあさん1人が付き添っていた。

私の父の時は、私とチョコパンとマクドウウェルの3人で付き添った。
霊安室でのお焼香とか、わたしはそんなものがあるなんてちっとも知らなくて、
病院の皆さんが、お焼香して下さって経験したことのない親族のお辞儀をすることとなった。 父を病院から見送った時、見送って下さった病院の皆様に、挨拶までするという経験を急にしたのだ。
大人になった気分だった。

さて、母は
本来入院してするべき手術を外来で済ませ、血液サラサラのため出血もおおく、
先生が何かあったときのためにと先生の携帯の電話番号を私にメモしてくれた。

 せんせい、今夜電話してもいいですか 

そして、母のトイレが終わるのを立って待っていたとき
珍しい光景に出くわした。

20台の男性が両手をへその前でぐるぐると布で巻いて歩いていた。
手を怪我したのかなぁと、わたしはじ==っと見て、彼が通り過ぎたとき見つけた!
腰紐だ。腰に縄を巻いて刑事がしっかり逃げないようにガードしていた。
つまり、両手は手錠がかけられていたのだ。
容疑者だ。犯人だな。怪我でもしたんだろうか・・、ちがうな、病院でつかまったんだな。

暇にしているといろいろな光景に出会うものだ。
世間に出るのは大事なことだ。

で、母は昔の人だから、
パジャマを着て寝込んでいます。
精神的に病人です。

暮れに退院した時も寝込んでいた。

いまの時代は、退院したらその日から活動するもんです。

~~~
さっき、知り合いのソウカガッカイが来た。

なにかの反対運動にサインしてくれといった。
母がいる時に一度きたらしいが、母は
「 どんなものにもサインはしてはいけないからできない」と断ったそうです。

母は偉い
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寒くなりました

2010-04-12 09:24:00 | 母の介護
4月になり、家族のチョコパンは海外旅行会社にお勤めして1年がたちました。

新入社員が1日よりやってきて、とことんやっつけられているようです。
でも、チョコパンはいじめません。
そういう性格でよかった。
でも、いじめないといじめられるんだよ。

営業の仕事は、上司からの指示や命令でつらそうです。
それに、お客様相手だから、それもつらそうです。
世の中の、人間はどうしてどの人も嫌な人なのかと、嘆くこのごろです。

それもこれも、ぬくぬくの優しさの塊の中で育ってきたチョコパンだから、絶えられないのです。愛子様と一緒です。

チョコパンは、もう精神的にダメになってきています。
あの、笑顔満面のチョコパンが笑わない・・・

で、きのう介護疲れで笑いの無くなった私に言いました。

「 おばあちゃんの介護は、ずっと良い方だよ。
  世の中には、どうしょうもないことを言う人がいっぱいだよ。
  おばあちゃんは、いい人だよ。
  ほんと、まともだよ。 そう思ったほうがいいよ。」

おばちゃんもそれを聞いて大喜びです。
まあ、よろこびながら、またウンチクが始まっちゃって、
どうして、解説が始まっちゃうんだろうね・・・

なんでも、解説、解説、
飲み物にむせれば、年寄りの嚥下を解説
ああすれば、解説
こうすれば、解説

先日、大学病院で知らないお年寄りが話しかけてきたことを
わたしは、書いたかな?
書いたか忘れた!
何回も書くようになったら、現代的な認知症状だ。
現代的な認知症状第一号だ。
鉄人は28号だ。

もう一回書いちゃうけど、

息子が54歳で長男も、次男も死んでしまって悲しいというおばあさんに対し、
「54歳ならまだいいほうですよ、私の弟は36でなくなりました」と素直におばあさんの悲しみを受け止めない母。

においがわからない病気だというおばあさんに、「そういう人はたくさんいますよ」とおばあさんの悲しみを受け止めない母。

どうして、アンナ言い方をするのか?と母に聞いたら
「 世の中にはもっと、上がいることを教えてあげたんだ」 って、とっても偉そう。

私は、人の上に立って、上から目線で生きることは止めようと思った。

そんな、母だけど、怒ったり怒鳴ったり嫌味を言ったり傷つけたりしないから助かる。

ほんと、世の中にはどこか変な人がいっぱいいます。

怒る人は変。
人の話を聞かない人も変。
約束守らない人も変。
意地悪をする人も変。

わたしは、どうやら人間嫌いだから一人で生きていきます。
1人で生きないと、迷惑がかかります。

========

先月、ラスベガスに行ったときは母を1週間ショートに預けました。
平和な時が流れました。

7月にハワイに行く時は、12日間ショートに預けることが決まりました。
母の耳には入れていないはずなのに、
マクドウウェルとの会話を聞いていたんでしょうか、そしてそれを覚えているんでしょうか?

さくや、
「 あんたが、旅行に行く時、ショートを予約してあるそうだけど、それはキャンセルしてちょうだい。誰もいなくなってこの家はどうするのよ。
生き物もたくさんいるのに。誰かいなかったら物騒でしょうがないわよ。
私がいなくて、どうなると思ってるの。わかった?キャンセルしてよ!」

「 はい 」

キャンセルはしません。
私がいなくなったら、母は主婦としてガンバりますが、
記憶がなくなっている部分があるので、それは心配です。

朝起きてお湯を沸かすだろうし、
買い物魔の母が、家族のためにドンだけのおにぎりを買ってくるか。
家族の好みを覚えられないので、ドンだけ甘いパンやかんぴょう巻きを買ってくるか。
メリーに注射をしてくれるならドンだけ助かることかわからないけど、できっこない。
注射をしすぎて死んでしまう。

主婦として立ち上がるチャンスの時ではあるけれど
無理がある・・・
誰かが見守れるならいいけど、
だれも助けてちゃくれない。

今日、12日月曜は、午後2時から母の目の手術です。
きょうは、角膜弛緩と結膜結石 の手術です。
つぶれちゃってる目は復活するでしょうか。

私は思います。
私がいなかったら、母は生きていけない。

メリーは私が注射をしなかったら生きていけませんが
もう、3年も盲目ながら生きています。
とうていすぐに死んでしまう立場にありながら
メリーは元気に生きています。

だから、母も私のおかげで生きてもらおうと
思っているのです。

父も、限界まで生きていたことは
皆様ご承知だとおもいますが
・・・
限界がきているときには眠らせてあげたほうが
本人のためだったと思う。
最後まで、意識を持たせてあげようと努力した私だった。
死ぬ直前まで話をできたことが嬉しいと思っていたけど、
この考えは、もう止めたほうがいい。
薬で眠っている間に、静かに息を引き取らせてあげたほうが
よかった。

母には苦しみを味わうことなく自然に死なせてあげたい。
植物状態でずーと生きていて欲しいと思う。
生きていてくれるだけでいい。


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母にすごい事がおこってる

2010-04-08 09:58:00 | 母の介護
母がよく喋っているなとは思っていた。

こんなに喋りたいんじゃ、一人にしておくのはかわいそうだと思っていた。

今朝も、テレビなどで1つの話題が出ると、過去の知っている出来事を思い起こしてペラペラペラペラと元気なお喋りが続く。

昔の紙芝居の映像が出たとき、
「 隣の西田さんのおくさんは、紙芝居のおじさんに、子供が寝てるから拍子木の音をたてるな、しずかにしてくれと どなったんだ。ひどいひとだったわ」

かわいい赤ちゃんがドラマに出ていると
「 池谷さんの孫が、こんにちは赤ちゃん て言う番組にでたとき泣いちゃって収録ができなかったのよ」

天気予報をみれば
「 奄美大島に行ったとき、行きは飛行機だったけど帰りは船で、降りる寸前に気持ち悪くなってね 」

・・・
元気よく、喋る母です。

マクドウウェルとわたしは、もうあきれちゃって、
元気で何よりだね・・・・と言ったところで

わたしは気付いた

今週の月曜から母に飲ませたものがある。

私が認知症に効果があると信じてやまない

イチョウ葉エキス ギンコ です。

それも、ちょっとやそっとのエキス分量ではなくて
恐ろしく高濃度のいまだかつて体験したこともないほどの
エキスです。

いつも取り寄せるニュージーランドで新発売になったらしく、
この、ブログを読んでくれているkappaさんが取り寄せてくれました。

この一年ついうっかり、母にギンコを飲ませていなかったし、
そろそろ認知もヤバイので月曜から飲ませた。

そしたら、顕著に母の脳は活性化された。

認知が直ったとか、よくなったとかではなく、
明らかに、恐ろしく、脳みその働きに変化が起こった。

まるで、フェるガードを飲んで
歩けない人が歩き出したみたいなもんだ。
フェるガードについては、あまりの金儲け主義に
信用ならないから、絶対買っちゃ×
認知の家族がフェるガードをどんどん購入するという
嫌な現象が起きてしまって、恐ろしいことだ・・・・・

わたしは、ギンコ命だし、自分が飲んで実感していることだから
認知症は治らないけど
症状の改善にはなるかもしれない。

血液がよく流れてくれるんだから
それでいいのだ。

で、ここでまた、気がついた。
ほんと、私がギンコを飲まなきゃダメだね

母は月曜に目の手術だから
血液が流れる薬を飲んじゃいけないのです。

急いで、ギンコをしまいました。

目の出血が終わったら
また、高濃度すぎるギンコを飲ませて
母に元気になってもらいましょう。


元気な母は

いなりずしを毎日買ってきてくれます
インスタントラーメンをたくさん買ってきてきてくれます
一日にパンを2回買ってきてくれます。
きゅうりを買ってきてくれます。

昼間横になって寝ることもなくなりました。

========

母が元気になったけど
マクドウウェルが背中の痛みでとうとう会社を休みました。
いたみがどうも長く続きすぎるし、どこかが悪い可能性があります。

母は年だから、たとえ命が終わってもあきらめれるけど、
マクドウウェルが亡くなったら、それは困るな。

きむらたくや監督が、くも膜下でなくなって、
私も、くも膜下になる可能性のある脳動脈瘤がしっかりできているので、
ちょっと恐ろしい。
わたしは、いつ死んでもまったく構わないけど
この不安定な家庭があるので
死んだら迷惑かかるな。

死ぬ準備をしようと思いながら
少しずつしかすすまない
ノートに、いろんなパスワードや暗証番号をかいてます。


家族も友達もみんな健康でありますように。





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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。