アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

9月17日

2010-09-17 10:55:00 | 母の介護
父ジェンギンスを介護していたときは、優しさの塊だった。
しかし、母の介護もどきが始まり、もうストレスだったりする。

父はボケても明るく冗談を言い、面白い行動をし、自分のボケに悩み反省もしていた。 わたしは全面的に父の介護をしようと決心していた。

そして、なお苦しい生活の中から私たち姉妹を学校に出してくれて、孫が成長するまで一切の家事育児をしてくれた母の介護となり、全面的に面倒をみる心構えであるのだが、それがなかなか難しい。

もともと人と一緒に暮らせないわがままものの私だから、うるさい母と暮らすのは大変だ。
しかし、そんなことを言っていちゃならないと、この日記を書きながらいつも反省。

昨日わたしは、朝10時に午前のアルバイトに行って書類をとどけ、でも母の病院付き添いがあるから、数日分の仕事をいただかずに帰宅。
これだから働けないわけだ。
母の介護で仕事もできず、本業の仕事も減らし・・・へとへとだ・・

でも、病院に行くタクシーで母が10000円くれた。
いつも行きのタクシーで1万円くれる。

『 付き添ってくれるのもたいへんだから』と言ってくれた。
いつも、タクシーと診察代金だと思って受け取っていたけど、母としたら付き添っている手当てのつもりでくれていたんだな。

良い母だ。
この意思は代々受け継がれることだろう。
アルバイトを休んで付き添っている不平は言っちゃならないのだ。

それで、付き添ったりなんだりで、大急ぎで夕食の支度をしていつものようにテーブルにだしておいたのに、夜みたら、何も食べていない。

どうやら、昼食に出しておいた焼きおにぎりを1つ食べたらしい。

用意された一式の夕食はメリー行きとなった。
母にはカネに糸目をつけず、高い魚とかを用意しているので、食べてくれないのは悲しい限りだ。

どうも、母任せの食事がうまくいかなくなってきた。

午後6時に夕食を母に出すという簡単な仕事を、姉にお願いしたらどうなるかと良く考える。
わたしが、8時12時18時に365日7年間続けているこの仕事を、姉に任せたらどれだけやってくれるだろうかと考える。
午後6時のたった数分のこの仕事を、数分先に住んでいる姉に頼んだら、どれくらいやってくれるだろう。
どれくらい文句が出るだろう。どれくらい続くだろう。
そして、私の苦労がやっとわかってくれるだろうけど、
けっきょく、私の苦労は一生わかるもんか。

それで、アルバイトは昨日休んだせいで今日も休むことになったので、
きょう、これからどこに行くかというと

付けまつ毛 まつ毛のエクステ

つけてきます。 初体験。
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朝9時

2010-09-14 09:22:00 | 介護
今日は火曜日の朝。

ぷ~太郎のチョコパンは、医療関係の事務受付のバイトで8時にご出勤。
ド暇でド暇な仕事で頭が狂うくらいド暇なしごとだそうです。
何をして8時間過ごすかが問題だそうです。

母はデイサービス。9時にご出勤。

ストレスで頭がいっぱいの朝も、みんないなくなってホッとした。

母の買い物も絶頂です。ピークはまだです

梅干がまた買ってきてあるし。
それも、冷凍庫にしまってあった。
昼にアンパンを買ってきたかと思ったら、午後には蒸しパン。
昨日はクリームパン。
冷蔵庫にはいなりずしに巻き寿司。
夜には、アンパンが一口食べてゴミ箱に捨ててある。

きゅうりにトマトにプラムにキュウイ。
これは、サンドイッチに使わせてもらったが、
今朝の朝食は、クロワッサンにハムときゅうりとトマトをはさんで、
小さくカットして出してあげた。
でも、手でちぎって食べるからトマトの水が服にこぼれる・・・

かじって食べるように言ったら、かじったけど、入れ歯だとかじれないらしい。父も母も、柔らかいものですら噛み切れないのだ。

でも、田舎のおばあさんや、近所のおばあさんは何でも噛めるって言ってるのだから、どうしてうちの両親はいればの調子が悪いのでしょうか。

洗面所の引き出しをあけると、入れ歯がごろごろしてる。
どれが新しいのかわからない。
あたらいいのを、しょっちゅうつくっているけど、あたらしいと痛いから結局古いのをしてるんだと思う。
ぜんぶ捨てないと、誰かが引き出しを開けたときびっくりするのだ。

母は、ギンコを飲んでいるおかげでテンションが高いです。

ヒットラーです。 支配者です。 強力です。

おばちゃんには優しいチョコパンですら、イライラするくらいヒットラーです。

@ チャンネル独占。
@ 行動支配
@ 命令
@ 経験談
@ 一番えらい

認知としては、何回も同じ質問だ。
チョコパンに
『 あら、きょうはどこかにいくの? どこまで行くの?』ってご出勤前の度重なる質問はうるさいのだ。

でも、1人で起きて、一人で支度をして、自分のごみは自分で捨てて、下着の洗濯は自分でして、自分で取り込んで、自分でしまって、自分で思い通りに生きているから助かる。

わたしは、3食のご飯の支度をしてあげて、トイレの掃除をたまにしてあげて(母はしない)、洋服の洗濯をたまにしてあげて(母はしない)、部屋の掃除をたまにしてあげて(母は掃除をしないひと)、
たいへん手がかからないはずです。

文句を言ってはならないのだ。
高齢なのにひとりでガンバっているのだ。

しかし、母は年金もらって、家があって、家族がいて、ご飯を作ってくれる人がいて、なんでもやってくれる娘がいて、なんて幸せなんだろう。
この幸せを母はワカってないだろうな。
当たり前だと思っているんだろうな。
しかし、幸せなひとだ。 じつに、幸せなはずだ。
これから先、死ぬまで問題ないのだ。
母は幸せだ。

臓器提供意思表示カードにわたしは署名しました。
脳死でも心臓停止でも、即座に全ての臓器を提供するのだ。
わたしは、すぐに死んで、臓器をみなさまに提供するのです。
最後は人のお役にたって死ぬのです。

そして、無意味とかんがている葬儀は一切無しで、火葬のみ。
法事もなし。 
残った人に頼みたいのは、墓の掃除。
墓石だけは綺麗なままにしていたい。

立派な葬式だけあげといて、墓石が汚いのは家系の恥だ。
りっぱな葬儀はしないけど、墓石だけはきれいで、先祖を大事にする気持ちだけは忘れない・・というのが理想。

ワニを食べた日に撮った写真。

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残暑厳しいです

2010-09-06 15:17:00 | 母の介護
ことしは、カンカン照りでものすごい暑さの東京です。

でも、わたしはこのカンカン照りが好きです。
冬になって寒くなったら、もう何もする気になれず外に出たくなくなります。
いまは、いいな~、ぎらぎらの夏がまだ続いていて、うれしいです。

朝起きて、ドアを開けて廊下にでると、ムッとする。
母があちこちの戸を夜中にあけたのだ。
毎朝これだもの・・もうストレス・・
暑いからってあちこちの窓があいてる・・。

結局言っても言ってもだめなの。
窓をあけたら、外の35度の空気が家に入ってきてしまうのよ。
4台のクーラーをつけているせいで、家の中のほうが涼しいんだから。
そのうち2台は夜中もつけっぱなしだから、窓をあけたらせっかくの清らかな空気がすぐにごる。

戸を閉めて、戸を閉めて、戸を閉めて・・
一日中とを閉めて歩いている私。

私が買い物から帰ってくると、いつも母はいない。
ああ、行っちゃったよ・・
母が何を買ってくるのかが、また恐怖なんだ。

夕飯のときは、いつも同じことを聞かされる。
『 こんなに食べれないわよ、減らしてちょうだい。
ほら、はやく、減らして。
一日中じっとしてるんだから、食欲なんかないのよ。
多すぎるわよ、取ってちょうだい 』

最初は、言われるままに減らしていたけど、もう減らなさない。
食べれるんだ。

この夏は、母の調子はいいみたいだ。
医者の薬をぜ~~~んぶ、断ち切ったからでしょうか。
わたしが、勝手に飲ませていないんだ。

しかし、

デパス をやめてから母のふらつきはすっかりなくなった。
父のときにももっと早く気がつくべきだった。
ハルシオンだのなんだのたくさんの向精神薬を飲まされて興奮した父はなんてかわいそうだったのだろう。

今頃、向精神薬について問題が取り上げられてるけど、遅いよ。
わたしがこのブログでどんなに叫んでも、だれも信じちゃくれなくて、ウツのくすりとかまだみんな飲んでいるようだが、ボケるかもしれませんよ。
デパスをのんで、歩けなくなっているお年よりも多いことでしょう。

父の壮絶介護をしているときに、やっぱり自宅で義母さんの介護をしていたババママさんのお父様が8月25日になくなったと聞き悲しいおもいです。
とりわけ、認知もなく病気もでていないお元気なお父さんのころからの話を聞いていたので、命のはかなさを嘆いています。
80歳を過ぎたらこころの準備が必要です。

母の遺影の写真を用意しないと。
葬儀屋は父と同じ。
親戚も近所も呼ばない。

義理は作らない。


渋谷区から敬老の祝い金10000円が来ました
母は、これでみんなで食事に行こうといいます。

食事に行って、おいしいものをにぎやかに食るのは
いい使い道だと思います。

みんなでいい時間を持つことが少なくなってきたので
大事なひと時をつくりましょう。

母は、ギンコを飲んでいるので
もう、口が達者でこまるくらいです。
この家族にわたしは必要が無いくらい
会話の全てを母が受け持っています。

あれだめ、これだめ、ああだ、こうだ
ああだこうだ、あれしろ、これしろ、
ああだこうだ、あたりまえだ、ばかやろ。
と、強く喋ります。

喋るといえば、最近仕事上でわたしは注意をしました。

中高生に学年で1番を取らせてあげるようにある教科の試験勉強をみてあげているのですが、
覚えさせてあげたことを、授業中に何度も手を上げて得意になって答えてしまったというのです。
知ったかぶりして、ぺらぺら喋ったら、それはもうだめです。

ぺらぺら喋ったらだめです。
女は、すぐ喋っちゃうのです。
わたしも、すぐ喋っちゃうから、黙らないといけません。




ハワイのルアウショーで。チョコパンとわたし。7/22
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母 眼科診察

2010-09-02 13:38:00 | 母の介護
母の眼科診察。

もう、眼科に通い始めて数年だ。
最初はまぶたのたるみをとる整形手術程度だった。
日本でも指折りの偉い先生に、特別にお金を支払って診察してもらい両目のまぶたの皮を切って筋肉を吊り上げ、まぶたのたるみを取った。(年寄りだから保険治療)

期待は裏切られ、特別室に入院したにもかかわらず、まぶたは全く上がらなかった。

そして、2回目はその権威ある先生が外来で母の眉毛の皮を切り取り、まぶた上げの手術をした。手術直後はパッチリ開いて、大成功かと思われた。

期待は裏切られ、ぜんぜんまぶたが上がらない。
それどころか、目玉が痛くなってきたのだ。

さかさまつげのせいだとか、石ができているとか・・・・

御茶ノ水までタクシーで通いきれず、近くの大学病院で治療をしてもらうことに決めた。
大学病院の先生は、御茶ノ水の権威のあとの手術などはできないと断ってきたが、
もう御茶ノ水博士とは縁を切るからどうか、治療してくれと、頼み込んで治療に入った。

新宿の大学病院で、片目の(もう今となっては右だか左だかわすれた)まぶた切除の手術をした。 片目だけギロギロに開いた。 なんともへたくそな手術だ。
乱雑。

しかし、母の目玉が痛くて痛くて・・
せっかくまぶたを上げたのに、目玉が痛くて目を閉じたいらしい。

まつげを取ったり、石をとったり、

4回目の手術は、片目の結膜弛緩を治す手術。

これで、目玉の傷みも取れるかと思ったが、ぜんぜん!

何をやってもだめ、 5回目の手術もだめ。

そして、今年の夏になり、ボツリヌスをしようということになった。
ボツリヌス予約の日に、病院に行ったら、そこは、神経眼科専門の外来だった。

どうやら、先生が代わったらしい。

新しい先生は、それはそれは母の目のことを考えてヨーク診てくれるのだ。

とにかく、目の表面がカラカラに乾いている。もう油が出ていない状態。
残された油の管を復活させるために、軟膏をつけて蒸しタオルで暖め、油の道を復活させようと、8月いっぱいそんな自宅治療をした。
目を傷つけないために、デイサービスにも点眼をたのみ、わたしもがんばった。

このひと月で、目の赤みは取れた日もあった。
まあ、かわらないかな・・・

今日、新宿の大学病院神経眼科受診。

なにをしてもよくならない母の目で、先生は真剣に悩んでた。
ボツリヌスをして痙攣をとめて瞬きをしないようにしてしまったら、痛みのために目をつぶりたいのにつぶれなくなってしまう。そんなリスクがあるから、ボツリヌスはしないほうがいいんじゃないか・・と考えてくれている。

あげくに、偉い先生に診てもらおうと言い出し、だいぶ待たされて、
偉い先生を呼んできてくれた。

そしたらさ、その偉い先生は
若い先生とまったく同じことを繰り返して言っただけで去っていった。
おいおい! 偉い先生! 母の目がなぜ、痛いのか、なぜヒクヒク痙攣しているのか診ないんですか? ボツリヌスのリスクについては、もう若い先生が説明しましたよ。
若い先生では判断できない、治療方法がわからない場合、偉い先生は助けてくださいよ。

ってわけで、若い先生もがっかりしただろうね。
なんだこいつ!って絶対思ったと思う。
日本の医療を悔やんだと思う。
大学病院は、若い先生の修行の場であるんだから、偉い先生は偉くなきゃいけないでしょ。

残念だ。
この、専門外来において、この体制は残念だ。

それで、わたしと、若い先生の判断で、ボツリヌス菌注射はしないことになった。
わたしに、してほしいよ~~ ボツリヌス。

強い軟膏を一本出してもらって、2週間片目だけにつけることになった。
片目だけつけて、比較判断するのだ。
せんせいは、よく考えてくれてる。

あと、いままでの手術が重なったせいで、母の目はしっかり閉じていないらしい。
寝ているときはきっと目が開いてイルだろうといわれた、
そりゃ、かわくわ・・・

午後3時半、診察が終わり。
もう、わたしは4時からの仕事で、
病院にお金もはらわず、タクシーで帰宅。
母は、自分が残って支払いをすると言ったけど、むしして、タクシーで帰宅。

玄関を掃除して、夕食を出して、久しぶりに超たいへん!!

ぷーたろうのチョコパンに、自転車で支払いにいってもらって、薬ももらってきてもらった。
プ~太郎がいて、助かった。

でもさ、もともとは、プ~太郎が診察の付き添いをしてくれるって言ってたのに、
でかける午後1時になっても、起きてきやしないんだから・・

わたしは、介護で必死になっているとき、
介護をひとまかせにして、のほほんとしている、あのひとやこのひとやあのひと に腹をたてているんです。
介護をしようとしないひとって、いるんです。
そんなひとは、親が施設に入所することを悲しまない。苦しまない。面会しない。


このブログをいつも読んでくれるkappaさんのお母さんが5月に亡くなりました。
このブログをいつも読んでくれるイタチさんのお父さんが本日亡くなりました。


心からご冥福をお祈りします。
心の底から悲しいです。



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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。