先週日曜日にWOWOWで「シュガーマン」が放送されました。
昨年11月にギンレイホールで「ビル・カニンガム&ニューヨーク」と一緒に観ましたが、
何度観ても心を揺さぶられる良く出来たドキュメンタリーなのでないかと思います。
1970年に著名な音楽プロデューサーに見出されてメジャーデビューしたロドリゲス。
2枚のアルバムをリリースしたものの全く売れず、そのままアメリカの音楽シーンから
姿を消します。一部で高い評価を得てもアルバムは全然売れず、商業的に失敗として
淘汰されていってしまうことは、まあよく聞く話です。
が、ロドリゲスのアルバムは70年代後半に地球の反対側の南アフリカで大ヒット。
反アパルトヘイト運動のシンボルソングとして爆発的なヒットを飛ばし、社会現象を
巻き起こしたそうです。南アフリカでロドリゲスの名前はエルヴィス・プレスリーや
ザ・ローリング・ストーンズよりも有名で、ライブ中に自殺したなんていう死亡説も
流れていたりしていました。
ファンだった人たちがロドリゲスについて調べて始めます。
“この人知りませんか?”とインターネットに広告を出し、彼の消息を突き止めていく
その熱意に心を打たれるし、ロドリゲス本人の清貧な生き方にも驚かされました。
南アフリカでコンサートを開くのですが、連日超満員の大人気、再ブレーク。
でもロドリゲスはそこで得たお金は子供たちや友人に分けて、自分はひっそりと淡々と
生活を送る。仙人みたいなロドリゲスの人間性というのでしょうか、お金とか物に執着しない
生き方に、映画を観終わった後に自分の生活を振り返って考え込んでしまいました。
昨年12月5日にマンデラ氏が亡くなられました。
アパルトヘイト廃止からまだ20年あまりしか経ってないんですよね。
公式サイト
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マンデラ氏死去、95歳=アパルトヘイト撤廃に尽力―ノーベル平和賞・南ア(時事通信)
南アフリカで白人が黒人を差別したアパルトヘイト(人種隔離)政策と闘い、27年もの獄中生活を経て、人種間の融和に尽くしたノーベル平和賞受賞者ネルソン・マンデラ元大統領が5日夜、ヨハネスブルクの自宅で死去した。95歳だった。
成人後は、武装闘争に従事し逮捕され、刑務所内でも反アパルトヘイト闘争を指導する戦いの年月。釈放後の晩年は一転して政治家として国家を率い、民族和解を推進した。起伏と波乱に満ちた一生だった。
ズマ大統領はテレビを通じてマンデラ氏の死去を発表し、「わが国は偉大な父を失った」と述べた。家族に見守られながら穏やかに息を引き取ったという。
1918年、南ア東部のトランスカイで有力民族テンブ人の名門に生まれた。60年、黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)非合法化を受け、ANC軍事部門「民族のやり」を創設し武装闘争を開始。64年、終身刑を宣告された。ケープタウン沖の監獄島ロベン島刑務所で服役中も、ANC合法化などを訴え続けた。
90年に当時のデクラーク大統領の黒人融和政策で釈放。黒人支援と南ア民主化を訴え各国を歴訪、この年秋に訪日も果たした。91年にアパルトヘイト終結が宣言されると、ANC議長に就任。黒人と白人の共存を図る交渉をデクラーク大統領と進め、その功績で93年、同大統領と共にノーベル平和賞を受賞した。
94年、初の全人種参加の制憲議会選挙でANCが勝利。大統領に選ばれ、99年まで務めた。
「新生南ア」建国の父=不屈の闘士、強いカリスマ―ネルソン・マンデラ氏(時事通信)
「ある人種が別の人種を差別することが二度とあってはならない」。南アフリカが少数派白人による約300年の支配から抜け出し、黒人主導政権が誕生した1994年5月、大統領となったネルソン・マンデラ氏は就任演説で国民と世界から集まった政治家を前に誓った。新生南アの「建国の父」として人種差別との決別を世界の記憶に刻み込んだ。
名門の血を引きながら地位に安住せず、差別に苦しむ弱者の救済に弁護士として取り組み、アパルトヘイト(人種隔離)政策への批判を強めていったマンデラ氏。その行動は晩年の好々爺(こうこうや)然とした風貌からは想像できないほど戦闘的だった。
フォートヘア大などで学んだマンデラ氏は、故オリバー・タンボ氏ら同志と共に44年、黒人解放組織「アフリカ民族会議(ANC)」で青年同盟創設に加わり、それまでの穏健な反差別運動を実力行使も辞さない強力な闘争へと質的に変化させた。
マンデラ氏の強い指導力は闘争の中で培われた。しかし、さらにカリスマ性を高めたのが、27年にわたる刑務所暮らしでも信念、主張を変えず一貫して黒人解放を要求し続けたことだった。
90年2月、マンデラ氏が自由の身となった際には、多数の黒人がケープタウン郊外の刑務所前に詰め掛けて祝福。新生南アの指導者としての地位は不動のものだった。
釈放後も「不屈の闘士」としての神髄は遺憾なく発揮され、世界各地を行脚してアパルトヘイト撤廃のため白人政権への圧力として対南ア経済制裁強化の必要性を訴えた。93年のノーベル平和賞受賞は、一生を反アパルトヘイト闘争にささげたマンデラ氏にふさわしい勲章だ。94年、大統領に選ばれると、ANCのかつての敵だった白人政党の国民党を最初の約2年間政権に迎え入れ、民族融和に心を砕いた。