歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

これこそはと信じれるものが、この世にあるだろうか・・・信じるモノがあったとしても、信じないそぶり。

2013-01-25 | 日記
吉田拓郎の「イメージの詩」を
久しぶりに聴いた。

ボブ・ディランの「廃墟の鳩」のパクリだけれど、
なんだか、そうなんだ!
これでいいのだ!まるで赤塚不二夫のように思ってしまう。

18歳ぐらいのときに聴いた感じと共通の不思議感がいまだにある。
ということは、この歳になってもまだ、解決できずにいるわけだ。

たとえば、
「長い長い坂を登って、後ろを見てごらん
誰もいないだろう。
長い長い坂降りて、後ろを見てごらん、
みんなが上で手を振るさ・・・」

サラリーマン時代に、ナケナシの勇気を奮って実行した時に感じた無常観。
誰も人には期待していないし、みんなは頼っているフリをしているだけ。
ただ、たった一人の達成感があったことだけは確かなこと・・・。
と、言って、みんなを責めてはいけない。

共有できる心はほんの一瞬にしか体感できないということなんだろう。
それが、いつまでも永遠に続くなんてありえない。
連続して、ことを成すパワーはいったいどこから湧き出てくるのか・・・。
今一度、そんな力が欲しい。

しかし、そんなことに拘っているのもバカらしい訳で、
もっと自然に、もっとゆったりと待てばいいのかもしれないんだ。

歩いて行く道が決められているわけではないし、
特に、決める必要もない。

あるがままのモノを、あるがままに受け入れて、
穏やかな、気持ちのままに、いられる時間を大切すればいいのだろう。

怒りが訪れれば、穏やかさを取り戻す力に対抗などせずに
その力を信じて、成行きに任せればいいだけなのだ。

そして、この詩を聴こう。