歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

たぶんこれでいいのだろう・・・永遠などないのだ。

2016-10-01 | 映画

日照時間が足らない。

そんなことをTVのニュースキャスターがわめいて

僕の気分を悪くさせていた。

雨降りだって、十分楽しい。

一日ベッドの中にいてうだうだと寝返りを打つ。

文庫本を二つ折りにして、シーツを股の間に挟み込んで

ベッドの中でどの場所が寝心地がいいのか探り当てる。

そして、吉行淳之介の短編を読みふけって、瞼が重くなれば寝る。

まるでベッドの中のトドのようだ。

 

そんな中で昨日読み終えた矢作俊彦の最新作

「黒色影片」のことを考える。

 

 

リンゴゥ・キッドの休日以来の二村英嗣シリーズ。

神奈川県警の刑事。一風変わった偏屈刑事。

ひねくれたへそ曲が唯一の美点。

無国籍アクション映画が日活を助けていた。そんな頃への郷愁。あるいは無駄な抵抗。

いまの世間に対する挽歌なのかもしれない。

 

 

「いまの若いものは・・・・」

などと、当たり前の年寄り愚痴などこぼすつもりはさらさらない。

しかし、このふざけた世相に流されるつもりもないわけで・・・・

だから、ひたすら斜に構えて痛烈な一言を浴びせかけるのだ。

胸を張ってシニカルな表情で「そんな頼みごとは願い下げだ。お断りをする。」

それでいいのだ。気が進まぬことに首を突っ込むとろくなことにはならない。

結局は、エンディングマークがでて幸せになれる奴がいることになったとしてもだ。

 

香港の港でパイプこそ咥えないけれど、日本に向かって感傷的になったりはしない。

しかし、この物語が終わるころには二村はけだるく憂鬱な気持ちを胸にため込むことになっている。

いつものパターンなのだ。予定調和なのだ。

 

われわれの世代は「貧乏くじ」を引く女神に魅入られたままなんだ。

自分一人で幸せになることに「躊躇い」を感じるんだろう。

真っ向から体制をとことん追い詰められない。

いまの現状社会にほんの少し加担してしまっていることへの懺悔なのだろう。

せめて言えるのは「さあ、一緒に背負って行こう!」ぐらいなものなのだ。

 

そう、「含羞」のないところには草も生えない。