ヤマアカガエルの産卵に春を知る日

山里の日々の生活と自然、そして稼業の木工の話

新作~ロッキングチェア2台

2024年11月02日 | 木工
最近ブログは休みがちですが、仕事はしております。


ロッキングチェアの引き合いが多いので、2台まとめて作りました。






背もたれは頭まで支える高さがあります。

材はケヤキ、ペーパーコード。


ケヤキは最近人気がありませんが、強度のあるきれいな木です。

もっとお求め頂きたい樹種です。








こちらもケヤキ材、拭き漆塗り仕上げ。

座面も木です。


重くはなりましたが、持ち上げて使う椅子ではないのでこれでいいと思います。

ケヤキと漆の組み合わせは最高です。

新作2点

2024年05月08日 | 木工
催事用に家具を作りました。








ブラックウォールナットのロッキングチェアです。
木の座面。

実は肘掛けは国産の鬼胡桃ですが、コブのような部位でウォールナットにも負けないような色と木目です。











仏壇です。材はマカバ。扉の鏡板はウォールナット。

仏壇の無い家で育ったので、正直使い勝手がよくわかりません。

でもよくご注文を頂くのでお客様に教わって作ってます。


中の壇の扉は「ケンドン扉」です。

引き出せる台があり仏具やお供え物が置けます…



猫足風で軽快な感じにしてあります。
収納を重視する場合は床まで箱の物をお作りします。

花台の製作

2024年04月24日 | 木工
玄関ポーチに置くための花鉢を飾る台をつくりました。









高さが140cm程で、てっぺん中央に1つ、螺旋状に腕を伸ばしながら4段、鉢を置くための丸い板が付いています。

ちょっと樹木の様な姿です。

材はブラックウォールナット。





上から見たところ。


丸い板は下に行くにしたがって少しづつ大きくしてあります。
見た目の安定感のためです。



十字の足は指物的な作りです。





ぶっちがい部分はこうで、





こう組んで、





これが柱の下の部分で、





ここに刺さって組み上がります。



木組みで出来たの物は丈夫です。



細かい話をしますと、柱から水平に延びている腕の組み方にも工夫があります。

鉢の重さを支えるためには腕を柱にしっかりと取り付ける必要がありますが、この腕は丸い板を付けるために上に向かって曲げてます。

しっかりと組み立てるためにはホゾをきつくして強く叩き込みますが、曲がったところを叩いても力が逃げてしまい、強く叩けません。


そのためにしたことは

①曲げて切る前の腕が真っ直ぐのままで柱に強く叩き込む

②その腕を機械で曲げ切る 

③切断面を手加工で綺麗に仕上げる

④それを4本の腕で加工 〈柱にくっついてるのでやりにくい…〉


そんな感じです。



定番の椅子をハイチェアに

2024年03月07日 | 木工
長年製作してきた定番商品の椅子を基にハイチェアを作りました。









普通は座面高は42cmくらいです。今回は100cmのカウンターに合わせるために座面高を70cmにし、足のせもつけました。

座面は若干小さくし、脚も少し外に広げて安定性を高めています。

足のせをつける工作は難しいかったですが、うまくいきました。

材はマカバです。





村内でこの春から始めるカフェのための椅子です。暖かくなったら座りに来て下さい。

大桑の命の終わり、または命の始まり

2023年11月02日 | 木工
しばらくブログを休んでいました。

かわりなく生活・仕事はしています。



工房の庭の隅に立っていた大きな桑の樹が三年程前に倒れました。


好機を得て、その桑を製材することができました。





株です。腐って倒れたことがわかります。

根元にあった池は今や完全に枯れていて蛙も産卵に来なくなり、ブログは改名の危機にあります。





製材所に入った幹です。





製材風景。

手伝いますので、のんびり写真は撮れません。








桟を入れて積み上げ屋根をかけて、後は数年置きます。

主で幹は長くとれましたが、枝は曲がりがあるので短く切って製材しました。


桑としては傷が少なく、素直な木味でした。






私はこの地で30年この桑を見て過ごしてきました。私の来た頃の30年前の年輪を辿ったところにピンを打ってみました。30年前も太い桑だと思った覚えがありますが、意外と細かった。

樹齢はざっと60年です。

光を求めて枝を大きく張り出した頃に根元の幹も張り出しを太らせた様な痕跡がうかがえます。


樹としての命は終わりましたが、なんとか製材出来たので、木工製品としての命はこれから始まります。

樹を切って殺して生活している木工家としては罪悪感がつきまといます。しかし命を全うした樹を活かして人の役にたてるということには誇りがあります。