ヤマアカガエルの産卵に春を知る日

山里の日々の生活と自然、そして稼業の木工の話

蛙春~トンカツ屋さんの椅子の制作

2014年02月28日 | 木工
蛙が池に来ました。
けろけろと鳴いてメスを呼んでいます。





今日は暖かかったので。
しかし、カエル池の周りにはまだ50㎝くらい雪が残っています。
湧水なので水面に雪は積もらず融けています。
蛙はどこからどうやって池にたどり着いたのでしょうか。

近づけないので産卵は確認していません。





今週はやっとだいたい通常業務に戻りました。
自転車通勤もできます。乾いた路面のありがたさよ。




仕事の合間に雪かきもします。



雪の壁の向こうの材木倉庫に行けるように回廊を掘りました。

大真面目なんですが、ちょっと秘密基地を作っているような子供心にならないといえばうそになります。






ここまで進めて問題が発覚。


薪の小屋が平行四辺形をつぶすように倒れて材料庫の入り口を塞いでいることが判明しました。
よく見ればわかったのに。
ここからは入れない。
他の経路でアタックすることにします。






庭は融けた雪で水浸しです。



もう雪の写真も飽きた。




1月に大宮の居酒屋さん、2月に駒込のお蕎麦屋さん、3月に日比谷のトンカツ屋さんと、この春はずっと飲食店の仕事をしています。




ほぼ仕口の加工が終わりました。
カウンターの椅子と普通の高さの椅子があります。





右側の物は加工に必要な基準面が残っています。
ほぞ穴などを加工してから、その直線部分をアールに切って仕上げて、左の物のように滑らかな椅子の姿にしていきます。
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2月14日大雪~駒込納品

2014年02月23日 | 木工
構想・準備期間2年、2013年の12月から本格制作が始まった駒込のお蕎麦屋さんの納品が終わりました。

しかし、2月14日夜の大雪の影響は多大でした。

本来の予定では2月15日、17日、19日と納品・施工にお伺いし、最終納期の20日には1日余裕をもって終わるはずでした。





ここから、時系列に沿って、14日からの一週間の出来事をお話しします。



14日 金曜日

朝から雪が降り始めるという天気予報でした。夜半には雨に変わるかもしれないということでした。
17日の2回目の納品はトラックを借りて大きな物や重量物を運ぶ予定でした。
その積み込みは16日の予定だったのですが、雪が降った後では積み込みに使うフォークリフトが使えなくなるのでは、との心配から急遽その積み込みをすることになりました。

トラックは近所の大工さんにご厚意で貸してもらえることになっていました。
そのトラックは4WD仕様です。
大工さん曰く、「昔、はまっちゃって苦労したことがあって四駆にした」とおっしゃっていました。

そのトラックを、急でしたが予定よりも早くお借りし、小雪の降り始める中、積み込みは午前中に完了。
積んだのは人の手では積めない重さの大テーブルの足になる丸太が4本です。
残りの大きなテーブルの板はあとで積むことにし、
荷台にシートを掛けて、今回の仕事の相棒の匠平工房さんの敷地にトラックは置きました。


午後には翌日の納品の物を自分のワゴン車に積み込みました。
その後、工房で仕事をしていましたが、雪が深くなっては村から出て行けなくなっては困ると思い、
前橋の実家に泊まって翌朝東京に向かうことにし、夜7時ごろ村を出て前橋に向かいました。
雪はどんどん降っていましたが、その時点での積雪は10cmくらいでした。
前橋には10時ごろ着きましたが、まだ車で走ることはできました。



15日 土曜日

朝6時ごろ目を覚まして窓から外を見ると、向かいの家の植木に信じられないほどの雪が積もっているのがわかりました。
外に出てみると、およそ80cmの雪が積もっていました。
街はしんと静まって、もちろん走っている車もありません。
実家のガレージが倒壊していましたが、私のワゴン車は背が高くて下に入れていなかったので難を逃れました。







予想もしなかった積雪に茫然。
腰ほども積もった雪で車を出すことはおろか、歩いて出ていくことも困難。
通りも国道も重機などが来て除雪作業をする気配が一切ありません。
実家は国道17号線から通りを500mほど入り、さらに路地に入った古くからの住宅地にあります。
仮に通りまで雪かきをすれば車を出すことができるのであれば希望を持って作業を始める気にもなりますが、
大通りがそんな状態です。
あまりのことに絶望感に襲われました。

とりあえず取引先に連絡を入れて事情を説明し、
座していても仕方がないのでまだ雪の降り続く中、合羽を着て雪かきを始めました。




これでもしばらく雪かきをした写真です。



最初は一人で黙々と雪を路肩に積み上げ、しばらくして息子と交替。
そのうち車を掘って仕事に行きたい近所のおじさんも合流。

午後には雪は雨に変わり、しばらくしてあがりました。
雨がやむと近所の人たちもだんだん出てきて雪かきを始めます。
私としては自分の家のことよりも脱出ルートを確保したいので、通りに向かって雪かきを進めました。
日の沈むころには何とか通りまでは車の通れるくらいの雪かきは終わりました。
しかし通りは全くの手つかずのまま。
国道にも見に行きましたが、こちらも全くの手つかず。
ひどい轍のできた路面を走る車もありましたが、多くの車が立ち往生していました。



これでは出かけることができません。
もし納品に行けても家に帰ることができません。

上野村では120cmほども積もったらしく、家族はほとんど家から出られないような有様になっていたようです。
このあたりのことは妻のブログをご覧ください。




16日 日曜日

夜、寝ていても屋根から雪の落ちる地響きが聞こえました。

朝起きてまず道路の状況を見に行く。
通り、国道は相変わらずひどい路面状況。





これは岩神通り。




こちらは国道17号。


裏道の方が住民が雪かきをするのでよっぽど歩きやすい。
高校を出てから住んでいない実家ですが、雪かきをするうちに私も近所の人たちとお知り合いになりました。

この頃、持参していた雪かきスコップが壊れてしまいました。
一時間ほど歩いてホームセンターを見に行きましたがやはり売り切れ。
スコップのようなもの、長靴も全てなし。

スーパーは卵、牛乳、肉、パンなどの棚は空っぽ。
野菜は不思議にありました。

街を歩くと、5つにひとつくらいの割合でカーポートの屋根が落ちていました。
おいたわしや。

国道は県外ナンバーのトラックを中心に大混雑になっていました。
車内で寝ているドライバーさんもいます。みなさんとてもお疲れの様でした。
高速道路も通行止めが続いています。
車線が一本しか使えず、あちこち座礁した車が道をふさいでいます。
どこかでトラックが横転したとか、高崎から前橋まで6時間かかったとか、人々が噂をしています。

知らない人同志なのに、自然と声を掛け合ってすれ違います。
動けなくなった車を通りがかった人たちが押してあげています。





スタックしていた車をお助けしたら、こんなものを頂きました。
金沢まで帰ると言っていましたが、あの人はちゃんと着いたでしょうか。



フェイスブックで「群馬県上野村記録的大雪対策ページ」が立ち上がったことを知りました。
これは、私の様に村外にいて帰ることができず、村の状況を知りたい者には大変に心強い情報源になりました。

土日のせいなのか、オリンピックのせいなのか、
テレビを見てもそれほどこの雪害についての報道はなく、
世に見捨てられているような気持ちになりました。


交通事情があまりにもひどく、また納品ができても村に帰れない以上、出かけることは懸命でないと判断し、
この日も前橋に留まることにしました。


17日 月曜日

朝起きるとやはりまず道を見に行く。
だんだん雪は融けてきました。
しかし渋滞は相変わらずひどいまま。
高速道路も通行止めのまま。

スーパーの棚には牛乳や肉が帰ってきました。

近所の金物屋に寄って訊いてみたところ、雪かきをスコップの入荷は全く予定が立たないとのこと。
スコップを手に入れないと村に帰って工房の雪かきができないので大いに弱ります。
人の家の玄関先に置いてあったりすると盗って逃げたくなる衝動に駆られました。

夕方には路面の雪もだいぶ融けて、車はそこそこ流れるようになってきました。
村に帰る道も何とか一車線は除雪が済んだという情報です。

この頃になって報道でもだいぶ大雪の被害が取り上げられるようになりました。



そろそろ動かねば。


実家には要介護の両親が住んでいますがこの3日間、デイサービスの迎えもヘルパーさんも来ることができなかったので、図らずも足止めを食った私が世話をすることができて、そのことは運が良かったです。




18日 火曜日

渋滞を避けるため、朝4時に前橋を出発。
まだ高速道路は通行止めのままで、一般道国道17号線で駒込を目指す。

道はあっけないほど空いていて、朝9時過ぎには駒込に到着。
1時間ほどで納品は済みました。
こちらでお願いして、平スコップをお借りすることができました。

その後15日に訪問を予定していた和光市の木のお店にも寄り、お昼ごろには本庄にまで帰り着きました。
道々、ホームセンターや量販店に寄ってみましたが、スコップの類は一切売り切れてありませんでした。

ここで上野村役場に電話をして尋ねたところ、緊急車両に限定されるものの、なんとか道は通れるということでした。


さあ、帰ろう。

しかしどのような道路状況なのかわからないので、非常に緊張しながら山に向かって車を進めました。
雪崩の跡や木が倒れて電柱に引っかかっていたり電柱が折れていたりします。
本来は交互2車線ある道路が雪の壁ができてほとんど1車線になっていましたが、路面は舗装が出ていて車で走るのにはあまり問題はありませんでした。
およそ3日でここまで除雪ができていることに感動を覚えながら上野村の手前まで来ると、県が派遣したロータリー除雪車に遭遇しました。

途中、匠平工房の宮島さんから連絡があり、何と有難いことに重機で雪かきを手伝って頂いたとのこと!

上野村の入り口付近には大規模な雪崩の跡があり、車1台がやっとすり抜けられる高さ3mほどの雪の回廊ができていました。


匠平工房さんに着いたのは5時ごろ。
工房の敷地は車が入れるほどに除雪されていて、私が着いたときにはトラックにテーブルの板も積み込みをし始めて頂いていました。
手伝って頂いていたのは匠平工房さんの隣の木まま工房の大野さんとチップ工房の小林さん。
とりあえず私も合流して、もう暗くなった中、積み込みを済ませました。
聞けば、小林さんがフォークリフトにチェーンを巻いて除雪に来てくれたのだそうです。
匠平工房の宮島さんも大雪の後、何日も雪かきに追われていたとのこと。
帰れなかったとはいえ、留守にしていた間とんでもなく迷惑をかけてしまったと思いました。

1回目の納品は済ませたものの、私には大きな重圧がありました。
村に帰ってから工房に車を入れて品物を運び出すためにどれほど雪かきをしなければならないかを考えると暗澹とした気持ちになっていました。
これは何日も雪かきをしても、もう納期には間に合わないんではないかと、半ばあきらめかけていました。
(品物は2週間も前にできていたのに!)


それが思いがけないご厚意により、光明が見えた気がしました。
なんとかなるかもと!


翌日は除雪作業のため朝6時から村内の道路は全面通行止めになるとのことで、翌朝は5時に出発することを決めました。



そして帰宅して家族に久しぶりに再会。

子供が工房を見に行ってくれていて、その話によると工房の建物は無事。
私が建てた薪の小屋は倒壊しているとのこと。
道がひどいので夜は行かない方が良いと諭され、その日は見に行くのはあきらめました。



19日 水曜日

朝5時に出発。
お借りしたトラックは4WDで本当に助かりました。
道はところどころ深雪があり、またアイスバーンもあります。

10時前に駒込に到着。
重い丸太もみなさんに手伝って頂いて降ろす。
11時に荷降ろしは終了。
この日は搬入のみで、すぐに帰路に着く。

施主さんもいらして、たいそう心配して頂きました。



20日 木曜日

この朝、明るい中、大雪後の上野村を初めて見ました。
改めて今回の雪のすさまじさを知りました。





工房。

この雪を人力で掃いて品物を出そうと思っていた自分の愚かさを思い知りました。





崩れた薪の小屋。





入り口にたどり着いて振り返る。


この入り口の屋根が倒壊していたらもうなすすべがなかったかもしれません。



この日の朝も小林さんにお願いして、今度は私の工房の除雪をしてもらいました。
2時間ほどの作業で車が入れられるようにして頂きました。
小林さんは自分のお宅の道を後回しにして私の工房の除雪をしてくれたのだそうです。
重機の力はすごい。そして小林さん本当にフォークリフトの運転が上手いです。
もうただただ感謝、感謝です!


その後手作業で戸口や車を回すためのスペースを作りました。




除雪して車が入れるようになった工房です。



その後、3回目最後の荷を積み込み。



21日 木曜日

朝5時出発。10時に駒込に到着。

この日は搬入の他にテーブル類の施工をして納品は終了になります。

作業は夜7時過ぎに終わりました。
正直、ふたりとも相当ヘロヘロです。もっとも連日の雪かきのせいで、出てくる時からヨロヨロでした。






1階の大テーブル。





2階の囲炉裏テーブル。





小テーブル。




納品は終わりました。あとは無事に帰るだけです。






東京の街がやけに眩しく見えます。
ちょっと雪が残っていますね。


お店は総本家小松庵本店、六義園の前にあります。



村はまだ雪が深く残っています。学校は1週間休みになってしまいました。
これから少しづつ雪を片づけながら仕事をしていきます。






一時はもう駄目かと思いました。
けれど、いくつかの幸運と、多くの方の助力を得てこの仕事を終わらせることができました。
ご心配をおかけしましたが、お客様にもご迷惑をおかけすることがなくてよかったです。

改めて力を貸していただいた方々にお礼を申し上げます。

本当にありがとうございました。




雪が降ったところにいた方とお話しする機会があると、どなたも一様にいかに大変な目にあったかの話になります。
見渡しても建物やハウスや車などの被害も尋常でないことがわかります。
除雪作業にあたった人たちの不休の作業にも頭が下がります。
私の今回のような体験など珍しくもなくあちこちで起きたことだろうと思います。



今回の大雪で被害にあわれた方々に改めてお見舞い申し上げます。

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テーブルトップの加工

2014年02月07日 | 木工
工房に来た人に、「鳩が死んでますね。」と言われました。




庭に出てみると、なるほど鳩が落ちています。
外傷があるので猛禽類にでも襲われたのでしょうか。




両足に足環を付けた伝書鳩です。


足環の電話番号にかけてみました。

茨城の方でした。
死んでいた、と言うと、穴でも掘って埋めてくれないか、とのことでした。
群馬からかけているというと、そんな方まで行きましたか、だって。




寒い日が続きます。



薪ストーブから離れて仕事をするときに少しでも暖をとれるように、灰入れ用の一斗缶にまだ熱い炭を入れてみました。
即席の火鉢です。結構快適。






一連のお蕎麦屋さんの最後の家具のを作りました。囲炉裏風のテーブルです。





天板は150㎝角です。
木目を見ながら板を並べてみました。


150㎝もの幅の板を作ったことは今までありません。
心配なのは、そんなに幅が広いと、出来てから真ん中に手が届かないのではないか、ということでした。
ふつう板を剥いでから鉋をかけて仕上げるのですが、それができないことになります。
考えて、板を剥ぐ前に板に鉋をかけて表面を仕上げ、その板を傷付けないように注意して剥ぐことにしました。





鉋がけは超仕上げという機械で。
刃を取り換えて削ってみると、素晴らしくうまくいきました。





これを剥ぎ合わせます。
長さが2mのクランプが役に立ちました。





寸法を揃え、面を取ったりした後、ウレタンを塗って完成。
天板の向こう側に足が写っています。

あとは現場に運んで組み立てます。





次の仕事の合間に一枚板を削って仕上げる仕事をしました。





長さ約2.2m、幅1mという素晴らしい板です。
これを「鉋の仕上げで」ということで持ち込まれてきました。





まず狂いを見定めて、どこを削っていくのかを決めます。
写真の様に両端に定規を置くことによりねじれがわかります。





削り始めます。
刃物が当たったところが白く見えるので、ねじれていた様子がわかってもらえると思います。





鉋で仕上げると、木目がきれいに浮き出てきます。
木は繊維の束で出来ていて、その繊維がぐるぐるとなっているとこをすばっと切ってやることで杢が現れます。
複雑な繊維がプリズムの様に光を乱反射させます。

この木はやけに粘って、しかもすぐに鉋の刃がこぼれてしまい、削りにくい木でした。
刃がこぼれるのは木の中にわずかに金属が紛れているせいだと思います。
そんな木を「金筋がある」などと言います。たまにあることです。






オイルを塗って仕上がりです。


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