30年前のこと、
使われなくなっていた工場跡を借りて私が木工房を始めたこの土地の山裾に、大きな桑の樹がありました。
幹の直径は1m以上で、幹の途中から多く枝分かれし枝葉を広げ、遠くからも樹形が望めるような大きな桑でした。これほど大きな桑はめったに無く、工房に来る人を驚かせていました。
4月に芽吹くとまず花を咲かせましたが、老木のせいかその実は美味しくはなかったです。
長く広い枝葉は周囲の陽光を独占していたので、その下にはマムシグサやイラクサなど以外はあまり草も生えず、夏には涼しい木陰となったので、真夏には椅子を置いてお弁当を食べたりしました。
そんな大桑でしたが、2021年の8月に幹の元から折れ、そして9月に更に折れて、膝をつくように大枝を地面に付けながら半ば倒壊しました。
幹がかしいできていたのは知っていたので、秋には大枝を落として負担を軽くしてあげようかと思案していた矢先でした。
写真のファイルから過去の桑の木を写真を探してみました。
2015年5月です。
幹が今よりもなんとなく細く見えるのは気のせいでしょうか?
2018年12月です。
幹より左手に向かって長く伸びている大きい枝があるのがわかります。
この時点でもこの枝が伸び過ぎてしまい、土場に積んである材木に掛かっていたのを伐った跡があります。
そして2015年の時よりも枝が下がってきているのもわかります。
反対側は山なので、日の光を求めて枝を伸ばしたのでしょうか?
この枝が重すぎて、結局幹に負荷がかかって折れてしまったのだと思います。
2021年7月。
おそらく桑の樹が倒れる前に撮った最後の写真です。
奥にある池のおたまじゃくしとトンボを妻が観察しています。
くだんの大枝はもう頭を下げてくぐらないと通れないほどに下がってしまっています。
この写真は二度目に倒れた時のもの。
たくさんの葉を繁らせた枝が地面に覆い被さっています。
奥に薪の小屋と材料倉庫があるのですが、完全にふさがれて到達不能です。
左側に枯れ枝が見えますが、これは最初の倒壊時に鹿が食べた跡です。
このあとまた鹿が来て口が届く範囲の葉をみな食べていきました。
生々しい折れた傷口がのぞけます。
腐敗もあったようです。荷重だけでこんなに折れたりする訳はありません。
すぐさまカミキリムシが集まってきました。
卵を産むためでしょうか?
カミキリムシは木工屋の敵ですが、森の生態系の物質循環における大事な役割を担っていることがわかります。
最低限の作業ができる程度に枝と葉を片付け、土地の持ち主にお断りしてから冬を待って本格的な処分作業をしました。
討ち取られたドラゴンの様で、痛々しい限り。
葉は落ちていたので枝の片付けからです。
膨大な量の小枝中枝を切りながら片付け、私でも切れるくらいの枝までは切りました。
頬杖をつくようにして大枝の重さを支えている枝はそのままにします。
桑の新しい切り口は綺麗な黄色です。
この枝の年輪を数えたら、私がこの場所で働いていた長さとほぼ同じ30年でした。
積み上げた小枝中枝。
さてさて、
長年毎日のように眺めてきた思い入れのある樹ですので、何か作って残そうと思うのが自然に湧く気持ちです。
私に信仰はありませんが敢えて言うなら「供養」とでもいうのでしょうか。
太い幹は製材して板にし、家具や小物などに。
細いものは轆轤で器に。
でも、太い幹は専門家の樵に頼まないと切れないかな。
私は木工屋ですので、樹を殺したその遺骸で物を作って金を稼いでいるという負い目をいつも感じています。
自然を破壊する先棒を担いでいるのではないかという罪悪感です。
木工屋の自虐的呼称で「木食い虫」という言葉があるくらいです。
しかし、人は樹を、木を、太古から愛し利用し、木材を利用せずにはやって来れなかった生き物です。
例えば昔は車や飛行機などから、水道管、大型船、橋、
今では他の素材にとって代わられた桶樽、風呂、スキー板、プロペラ、水車等々、みな木で作られていました。
そして今でも家具、楽器、住宅、等々、木でなくてはならないものもたくさんあります。
薪や炭とてガスや電気に替わるまでは不可欠な熱源でした。
まさに木は文明の礎です。
木材を扱っていると「もうあと10年早く伐って使っていればよかったのに」と思わせるような材に出会います。それは立っていながら腐ったり虫に食われたりした木です。
今回の桑の木でもわかるように、樹には寿命があります。
寿命が来て倒れれば虫や菌の食べ物になって、森と樹木は再生を繰り返します。
そのサイクルに少し入らせてもらって、寿命がくる前の木材をお借りしているだけだよ、というのが私の罪悪感に対する言い訳です。
しかし、今まであった樹が無くなってみると、その場所の雰囲気はガラッと変わりますね。
ポッカリと空間が抜けてしまって寂しいものです。
私はオカルト的なものには懐疑的ですが、それでも人が樹に感じるオーラや敬意みたいなものは感じずにはいられません。
そして、この桑の木が無くなった後、その根元にあるこのブログの表題になっている「ヤマアカガエルが産卵に来る池」の環境はどのように変わるのか?
特に干渉はせずに成り行きを見守るつもりです。
使われなくなっていた工場跡を借りて私が木工房を始めたこの土地の山裾に、大きな桑の樹がありました。
幹の直径は1m以上で、幹の途中から多く枝分かれし枝葉を広げ、遠くからも樹形が望めるような大きな桑でした。これほど大きな桑はめったに無く、工房に来る人を驚かせていました。
4月に芽吹くとまず花を咲かせましたが、老木のせいかその実は美味しくはなかったです。
長く広い枝葉は周囲の陽光を独占していたので、その下にはマムシグサやイラクサなど以外はあまり草も生えず、夏には涼しい木陰となったので、真夏には椅子を置いてお弁当を食べたりしました。
そんな大桑でしたが、2021年の8月に幹の元から折れ、そして9月に更に折れて、膝をつくように大枝を地面に付けながら半ば倒壊しました。
幹がかしいできていたのは知っていたので、秋には大枝を落として負担を軽くしてあげようかと思案していた矢先でした。
写真のファイルから過去の桑の木を写真を探してみました。
2015年5月です。
幹が今よりもなんとなく細く見えるのは気のせいでしょうか?
2018年12月です。
幹より左手に向かって長く伸びている大きい枝があるのがわかります。
この時点でもこの枝が伸び過ぎてしまい、土場に積んである材木に掛かっていたのを伐った跡があります。
そして2015年の時よりも枝が下がってきているのもわかります。
反対側は山なので、日の光を求めて枝を伸ばしたのでしょうか?
この枝が重すぎて、結局幹に負荷がかかって折れてしまったのだと思います。
2021年7月。
おそらく桑の樹が倒れる前に撮った最後の写真です。
奥にある池のおたまじゃくしとトンボを妻が観察しています。
くだんの大枝はもう頭を下げてくぐらないと通れないほどに下がってしまっています。
この写真は二度目に倒れた時のもの。
たくさんの葉を繁らせた枝が地面に覆い被さっています。
奥に薪の小屋と材料倉庫があるのですが、完全にふさがれて到達不能です。
左側に枯れ枝が見えますが、これは最初の倒壊時に鹿が食べた跡です。
このあとまた鹿が来て口が届く範囲の葉をみな食べていきました。
生々しい折れた傷口がのぞけます。
腐敗もあったようです。荷重だけでこんなに折れたりする訳はありません。
すぐさまカミキリムシが集まってきました。
卵を産むためでしょうか?
カミキリムシは木工屋の敵ですが、森の生態系の物質循環における大事な役割を担っていることがわかります。
最低限の作業ができる程度に枝と葉を片付け、土地の持ち主にお断りしてから冬を待って本格的な処分作業をしました。
討ち取られたドラゴンの様で、痛々しい限り。
葉は落ちていたので枝の片付けからです。
膨大な量の小枝中枝を切りながら片付け、私でも切れるくらいの枝までは切りました。
頬杖をつくようにして大枝の重さを支えている枝はそのままにします。
桑の新しい切り口は綺麗な黄色です。
この枝の年輪を数えたら、私がこの場所で働いていた長さとほぼ同じ30年でした。
積み上げた小枝中枝。
さてさて、
長年毎日のように眺めてきた思い入れのある樹ですので、何か作って残そうと思うのが自然に湧く気持ちです。
私に信仰はありませんが敢えて言うなら「供養」とでもいうのでしょうか。
太い幹は製材して板にし、家具や小物などに。
細いものは轆轤で器に。
でも、太い幹は専門家の樵に頼まないと切れないかな。
私は木工屋ですので、樹を殺したその遺骸で物を作って金を稼いでいるという負い目をいつも感じています。
自然を破壊する先棒を担いでいるのではないかという罪悪感です。
木工屋の自虐的呼称で「木食い虫」という言葉があるくらいです。
しかし、人は樹を、木を、太古から愛し利用し、木材を利用せずにはやって来れなかった生き物です。
例えば昔は車や飛行機などから、水道管、大型船、橋、
今では他の素材にとって代わられた桶樽、風呂、スキー板、プロペラ、水車等々、みな木で作られていました。
そして今でも家具、楽器、住宅、等々、木でなくてはならないものもたくさんあります。
薪や炭とてガスや電気に替わるまでは不可欠な熱源でした。
まさに木は文明の礎です。
木材を扱っていると「もうあと10年早く伐って使っていればよかったのに」と思わせるような材に出会います。それは立っていながら腐ったり虫に食われたりした木です。
今回の桑の木でもわかるように、樹には寿命があります。
寿命が来て倒れれば虫や菌の食べ物になって、森と樹木は再生を繰り返します。
そのサイクルに少し入らせてもらって、寿命がくる前の木材をお借りしているだけだよ、というのが私の罪悪感に対する言い訳です。
しかし、今まであった樹が無くなってみると、その場所の雰囲気はガラッと変わりますね。
ポッカリと空間が抜けてしまって寂しいものです。
私はオカルト的なものには懐疑的ですが、それでも人が樹に感じるオーラや敬意みたいなものは感じずにはいられません。
そして、この桑の木が無くなった後、その根元にあるこのブログの表題になっている「ヤマアカガエルが産卵に来る池」の環境はどのように変わるのか?
特に干渉はせずに成り行きを見守るつもりです。