【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

桜紀行 PARTⅡ 「清水(しょうず)の桜」 2016.4.04

2016-04-07 | 折々の花~桜編~
昭和39年10月12日、弥吉は死んだ。
死ぬ前に「お前らにいうとく。わしが死んだら、海津の清水の墓に埋めてくれ。寺に頼んでくれ。あすこの桜は立派な八重やった。-略- 」と桜の木の下で眠ることを頼んで死んだ。享年48歳。癌だった。
「-略- わたしは、まあ、好きやから、今日まで桜、桜というて生きてきましたけど、北さんが、なぜこんなに桜がすきやったか……そのわけを聞かずじまいに終わりました」と謎を投げかける竹部であった。
 そして参列者みんなで見上げる桜は?
「墓地の大桜が、朱の山を背に黒々と浮きあがる気がした。」⇔水上勉『櫻守』より

水上勉『櫻守』は 桜博士笹部新太郎さんがモデルです。

小説では竹部庸太郎と京の植木職人、北弥吉の桜(ヤマザクラ)にかける情熱が描かれています。
弥吉が最期に「・・・か、かいずや」
園(弥吉の妻)は
「海津の清水というところに、お墓場があるそうです。そこに、大けな彼岸桜があって、ええ桜やというてはりました。わしが死んだら、お寺はんにたのんで、そこへ埋めてくれ・・・息ひきとる時にも、かいず、とただそれだけいうて・・・」
竹部は
「わたしも何ども観にいってます。おっしゃるように共同墓地ですわな。あのあたりは逢坂と書いてオッサカとよみます。逢坂の桜の木の下に・・・北さんは埋まりたいいいましたんか」
「へえ」
「園さん・・・弥吉さんの日記をよんでみますと、多い年は、四ども五どもあすこへ行ってますな。これは大変なこってす。~略~ずいぶん、つるやひこばえの多い年もありました。それを弥吉さんが、毎年毎年、守りにいっとられた。これはええ話どすわ。お寺の和尚さんも知ってはりますやろ。たのんでみましょ。ことわられたら、北さん、苦笑しますやろ」
竹部はそういってから、
「今の世のどこに、北さんのように、無償で・・・よその墓地の桜を守りに行っとられた人がいますか」竹部はうるんだ眼をしばたたいた。

モデルとなった笹部新太郎さんは御母衣ダムの底に沈もうとした 『荘川桜』 の移植を指導されました。

「清水の桜」わんちゃん的には実に21年ぶりの再会でした。













旧マキノ町 (高島市)

珍しいカタカナの町、旧高島郡マキノ町のマンホール
町の鳥・ウグイスと琵琶湖でのウインドサーフィン、
町の木・モミジ と周囲に雪の結晶が描かれ、町の四季を表しています。


道草さんからいただきました。

「桜」    八木重吉

こんな桜や草花を毎年見て
いつまでも生きていたいものだ