「何年振りやろか?姉さんとルミナリエ来たんわ・・・何年か前に来たときはJR神戸で降りてモザイクの辺りをウロウロ、大きな白いクリスマスツリーがあったよね?」
「うん、そうやった、そうやった」
「ルミナリエ会場が上から見れるって?神戸市役所の?ぜひそこに行きたいわぁ」
「うん、行こ行こ」
ルミナリエ会場へは元町から歩きます、途中に神戸南京町中華街を通って⇒ここがミソなんです。
中華街で飲茶(点心)を物色しながら、行列の後ろに並んで・・・
たいがいのお店では簡単なテーブルセットが置いてあり腰かけて熱々をいただきます。
このお店では豚まんをこちらでは桃まんをもうちょっとの先のお店でラーメンを・・・みたいな具合に。胡麻だんごもニラまんじゅうも揚げ餅も美味しかったです。ほとんど一本の串に二個づつ、妹と二人なんでいろんなお味が一個づつ食べれました、食が足りると幸せ気分も倍増。
ルミナリエ会場までの迂回路も全然苦にはなりませんでした、二人であれやこれやとおしゃべり三昧、あっという間にルミナリエの下に来てました。
『フロントーネ』~時の覚醒~三井住友銀行前
記憶の中に存在する、多岐なる光を呼び覚ます、聖なる門
『ガレリア』~追憶の旅~仲町通り
闇からの解放、記憶の奥深くへと、精神を導くたびの始まり。
『ソロピース』~喜びの彩り~東遊園地・小道
光が織りなす安らぎの庭園は、記憶の旅の優しいオアシス
『スパッリエーラ』~光の円舞~東遊園地広場
ときの光に照らされた賑わい、記憶に満ちた未来への夢が交錯する
『カッサアルモニカ』~光のカッサアルモニカ~東遊園地広場
過去と未来の輝きとともに、生命の響きをつたえる光の記念堂
ルミナリエ会場を上から見る(神戸市役所1号館24階展望ロビー)
↑ソロピース
↑スパッリエーラ&カッサアルモニカ
2013KOBE LUMINARIE
展望ロビーをグル~~リ
六甲連山のなかの市章山、錨(イカリ)山、堂徳山で輝く3つのサイン。
それぞれの山肌に光で刻まれた「神戸市章」「錨(イカリ)」「北前船」のイルミネーション、ナルホド神戸ならでは・・・
錨山について
1903年(明治36年)明治天皇行幸の観艦式のときに数百人の小学生が錨山の斜面で錨の人文字を作り、天皇陛下を迎えたことに由来すると言われています、また記念に松を錨の形に植樹した
1966年(昭和41年)錨(イカリ)山1,235平方メートルにウバメガシ3,600本を植樹。
1981年(昭和56年)神戸ポートアイランド博覧会を記念して錨山の永久電飾を行なう、その際、市章山・錨山両電飾設備のための電源として、風力発電および太陽光発電を導入。
2002年(平成14年))風力発電・太陽光発電設備が老朽化。新しい設備では、発電分を“売電”しながら、電飾を点灯させる電力は一般電力として供給されるシステムに変更。
市章について
1907年(明治40年)に神戸港築港起工式を記念し、市章をかたどって松を植えたそうです。
1933年(昭和8年)に市章形を初点灯。以後毎年「みなとの祭」(神戸まつりの前身)の開催時のみ点灯されていた。第二次世界大戦前後の数年は中止されていたもののやがて復活。
1967年( 昭和42年) 神戸港開港百周年を記念して永久電飾。
北前船について
1989年(平成元年)「市制100周年」を記念して開催されたフェスピック神戸大会を機に点灯しました。「KOBE」「北前船(正面)」「北前船(側面)」の表示が20分おきに変わります江戸時代に、瀬戸内から北海道に至る北前船での交易で、巨万の富を築いた北風家や高田屋嘉兵衛等が兵庫の津の振興に尽くし、今日の神戸港発展の礎を築いたことに由来して「北前船」がデザインされています。
地球温暖化防止のために施設の更新を図り、北前船は2001年、市章は2003年、錨は2010年に総LED化で省エネを図る。
『神戸ルミナリエ』は、阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めるとともに、都市の復興・再生への夢と希望を託し、大震災の起こった1995年の12月に初めて開催しました。
以来、神戸ルミナリエは震災の記憶を語り継ぎ、都市と市民の「希望」を象徴する行事として、毎年開催しています。
今年、2013年で19回目を迎える『神戸ルミナリエ』。
神戸の冬を彩る荘厳な光の芸術作品をぜひご覧ください。(『神戸リミナリエ』パンフレットより
『神戸ルミナリエ』が16日閉幕した。
主催者の組織委員会によると、開幕した5日からの来場者数は約354万1000人。前年より14万人増加した。
来場者数の増加は財政難で期間を14日間から12日間に短縮した2007年以来初めて。(朝日新聞17日夕刊)
横5㎝5mm 縦9㎝
「神戸ルミナリエ」は、震災の記憶を後世に語り継ぎ、
神戸の夢と希望を象徴する行事として
毎年開催しています
ルミナリエ会場のあっとこっちに募金箱があります、100円入れるとこんなカードがもらえました。
「うん、そうやった、そうやった」
「ルミナリエ会場が上から見れるって?神戸市役所の?ぜひそこに行きたいわぁ」
「うん、行こ行こ」
ルミナリエ会場へは元町から歩きます、途中に神戸南京町中華街を通って⇒ここがミソなんです。
中華街で飲茶(点心)を物色しながら、行列の後ろに並んで・・・
たいがいのお店では簡単なテーブルセットが置いてあり腰かけて熱々をいただきます。
このお店では豚まんをこちらでは桃まんをもうちょっとの先のお店でラーメンを・・・みたいな具合に。胡麻だんごもニラまんじゅうも揚げ餅も美味しかったです。ほとんど一本の串に二個づつ、妹と二人なんでいろんなお味が一個づつ食べれました、食が足りると幸せ気分も倍増。
ルミナリエ会場までの迂回路も全然苦にはなりませんでした、二人であれやこれやとおしゃべり三昧、あっという間にルミナリエの下に来てました。
『フロントーネ』~時の覚醒~三井住友銀行前
記憶の中に存在する、多岐なる光を呼び覚ます、聖なる門
『ガレリア』~追憶の旅~仲町通り
闇からの解放、記憶の奥深くへと、精神を導くたびの始まり。
『ソロピース』~喜びの彩り~東遊園地・小道
光が織りなす安らぎの庭園は、記憶の旅の優しいオアシス
『スパッリエーラ』~光の円舞~東遊園地広場
ときの光に照らされた賑わい、記憶に満ちた未来への夢が交錯する
『カッサアルモニカ』~光のカッサアルモニカ~東遊園地広場
過去と未来の輝きとともに、生命の響きをつたえる光の記念堂
ルミナリエ会場を上から見る(神戸市役所1号館24階展望ロビー)
↑ソロピース
↑スパッリエーラ&カッサアルモニカ
2013KOBE LUMINARIE
展望ロビーをグル~~リ
六甲連山のなかの市章山、錨(イカリ)山、堂徳山で輝く3つのサイン。
それぞれの山肌に光で刻まれた「神戸市章」「錨(イカリ)」「北前船」のイルミネーション、ナルホド神戸ならでは・・・
錨山について
1903年(明治36年)明治天皇行幸の観艦式のときに数百人の小学生が錨山の斜面で錨の人文字を作り、天皇陛下を迎えたことに由来すると言われています、また記念に松を錨の形に植樹した
1966年(昭和41年)錨(イカリ)山1,235平方メートルにウバメガシ3,600本を植樹。
1981年(昭和56年)神戸ポートアイランド博覧会を記念して錨山の永久電飾を行なう、その際、市章山・錨山両電飾設備のための電源として、風力発電および太陽光発電を導入。
2002年(平成14年))風力発電・太陽光発電設備が老朽化。新しい設備では、発電分を“売電”しながら、電飾を点灯させる電力は一般電力として供給されるシステムに変更。
市章について
1907年(明治40年)に神戸港築港起工式を記念し、市章をかたどって松を植えたそうです。
1933年(昭和8年)に市章形を初点灯。以後毎年「みなとの祭」(神戸まつりの前身)の開催時のみ点灯されていた。第二次世界大戦前後の数年は中止されていたもののやがて復活。
1967年( 昭和42年) 神戸港開港百周年を記念して永久電飾。
北前船について
1989年(平成元年)「市制100周年」を記念して開催されたフェスピック神戸大会を機に点灯しました。「KOBE」「北前船(正面)」「北前船(側面)」の表示が20分おきに変わります江戸時代に、瀬戸内から北海道に至る北前船での交易で、巨万の富を築いた北風家や高田屋嘉兵衛等が兵庫の津の振興に尽くし、今日の神戸港発展の礎を築いたことに由来して「北前船」がデザインされています。
地球温暖化防止のために施設の更新を図り、北前船は2001年、市章は2003年、錨は2010年に総LED化で省エネを図る。
『神戸ルミナリエ』は、阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めるとともに、都市の復興・再生への夢と希望を託し、大震災の起こった1995年の12月に初めて開催しました。
以来、神戸ルミナリエは震災の記憶を語り継ぎ、都市と市民の「希望」を象徴する行事として、毎年開催しています。
今年、2013年で19回目を迎える『神戸ルミナリエ』。
神戸の冬を彩る荘厳な光の芸術作品をぜひご覧ください。(『神戸リミナリエ』パンフレットより
『神戸ルミナリエ』が16日閉幕した。
主催者の組織委員会によると、開幕した5日からの来場者数は約354万1000人。前年より14万人増加した。
来場者数の増加は財政難で期間を14日間から12日間に短縮した2007年以来初めて。(朝日新聞17日夕刊)
横5㎝5mm 縦9㎝
「神戸ルミナリエ」は、震災の記憶を後世に語り継ぎ、
神戸の夢と希望を象徴する行事として
毎年開催しています
ルミナリエ会場のあっとこっちに募金箱があります、100円入れるとこんなカードがもらえました。
市役所展望ロビーから見た夜景はファンタスティック!!
ルミナリエの光と一緒に私の年末もパァ~~ッと飾ることができホンマにありがとさん。
ちょっと早いけど来年も良いお年を・・・
ユックリと笑顔いっぱい年をとっていきましょう
ルミナリエ、上から見た事がなかったですが、ああなっていたとは初めて知りました。
南京町、私も行ったことがあるのですが、西遊記の人形ですか、居ましたっけ。
いつ見ても勉強になります。
新しい知識が大好きなフクロウドリスでした。
いつもありがとうございます
遠い昔に遡ってのお喋りも楽しかった。
ルミナリエの光の下を歩くときっていつも特別の思いが湧いて来るよね・・・
暮からお正月にかけてなんとなく気忙しい毎日。
身体に十分気をつけて乗り切ろうね。
上から見るのもオススメです、機会があればぜひぜひ・・・
2013KOBE LUMINARIE(スライドショウ)のBGMについてなんですが
ルミナリエ会場を歩いていると聴こえてくる音楽なんですよ、場所によって違う曲です、このBGMは2012年のCDからです。
南京町の広場の飾り付けは自身のblog「神戸ルミナリエ」を繰ってみたら、毎年違ったモノになってるようです、中華に由来のあるモノのようです。
フクロウドリスさん、blog見ていただきコメントもいただきアリガトウございます。
おお中華街もなつかしい。あずまやに西遊記の人形が出ていますね。あのあたりは、食べ歩き天国で、みなさん楽しいそう。
神戸市役所の高い建物、見晴らしがいいでしょう。いつも、人が少ないので、私も、港の絵を描く時、使いました。ああなつかしい。
神戸のいいところ。古いしきたりなんか、あまりなかったような気がします。大阪以上に個人個人バラバラという感じ。よくいえばコスモポリタ二ズム(いい人は国籍にかかわらずいい人、人類みな兄弟というやつです)、悪くいえば郷土色なし、国籍不明人間という感じ。私が、今ベトナム永住していることも、つらつら思いますのに、神戸で育ったこととおおいに関係があると思います。
神戸の街ってなんだかハイカラってイメージで・・・
父方の叔父、叔母が神戸に住んでたんで子どもの頃神戸とは馴染み深く今でも懐かしいです。
阪神淡路の震災ではみんな不自由な生活がありました。
ルミナリエは他人事とは思えませんのです。
こういった催し物が混んでるのは好きです、ルミナリエを催す意味を知ってるから・・・
お祭りなんかも賑やかに多いのは好きなんですよ。
久しぶりに都会に出たときなんか、雑踏に思わず「さすが、都会やなぁ」って。
けど、満員の電車で座れなかったときはシンドイですねぇ・・・