≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
せいか365プロジェクト いきいき健康ウォーク
日程:JR山城青谷駅⇒龍福寺⇒中天満神社⇒青谷梅林⇒JR長池駅(解散)
以前、近鉄の『酒蔵みてある記』で青谷梅林からゴールの城陽酒造までのコースに参加したことがあった。こちら
今年の『酒蔵みてある記』は「あらっ!いきいき健康ウォークとおんなじ日やんか、城陽酒造のお庭にも梅が満開とちゃうかなぁ。」
との思いを込めながらUさんと参加しました。
1.龍福寺京都府城陽市 - 八百万の神
龍福寺は浄土宗のお寺で、山号は天沢山。1607年に曇誉(どんよ)が創建したのが始まりで、現在地に移転したのが1674年と伝えられる。1690年に火災で焼失、奈良の東大寺から『阿弥陀如来坐像』を譲り受けて本尊とし、1837年に隋誉(ずいよ)が再建した。大正に入り、1923年に再び火災で焼失したが、翌年に再建され現在に至っている。
2.中天満神社
旧中村の産土(うぶすな)神で、祭神は平安後期の著名な学者「学問の神様」として知られている菅原道真である。
神社周辺には数基の古墳が存在するが、このことからもわかるように、中村は歴史の古い集落で、平安時代に編さんされた「和名抄」には、綴喜郡十郷の一つとしてその名が記されている。
神社の創記・沿革は明らかではない。社殿に残されている棟札のうち最も古いものは、慶長十一年(一六〇六)であるが、神社の成立は、これより早かったとも考えられる。
江戸時代には、境内で「雨乞い」も行われ、また、慶応三年(1867年)には「おかげ踊り」が盛大に催されており、拝殿正面にかけられた絵馬には、その様子が生き生きと描かれている。
3.青谷梅林
青谷梅林は起源が明確ではありません。青谷梅林は鎌倉時代に南朝の初代天皇、後醍醐天皇の皇子。宗良(むねよし)親王が和歌「風かよふ 綴喜の里の 梅が香ふ 空にへだつる 中垣ぞなし」と詠んでいることから鎌倉時代末期には既に梅林があったとも言われています。その後江戸時代には淀藩の奨励を受けて大いに植樹され、更に1900年 (明治33年)、「青谷梅林保勝会」が設立されて梅林の保護と宣伝に努めるようになり、景勝地として定着。 また1972年 (昭和47年)には梅が城陽市の木に制定されています。
江戸時代には淀藩の奨励を受けて大いに植樹され、更に1900年 (明治33年)、「青谷梅林保勝会」が設立されて梅林の保護と宣伝に努めるようになり、景勝地として定着。 また1972年 (昭和47年)には梅が城陽市の木に制定されています。
(いきいき健康ウォーク・スタッフさん作成のパンフレットを参考にしました)
ハチが一生懸命……。
さて、青谷梅林でお弁当タイムとなり、梅林の真っただ中でのおにぎりはいつものよりおいしかった。
いきいきウォークのスタッフさんに「近鉄の『酒蔵みてある記』がちょうど今日、城陽酒造なんでそっちの方へ廻りたいので、この後ぬけますけど、よろしくお願いします」「はい、分かりました、いいですよ」
城陽酒造はJR奈良線の西側、歩いてはる人たち、なんとなく『酒蔵みてある記』参加者の皆さんかなあっとか思いながら、Uさんと「こっちこっち」とか言いながら。
4.城陽酒造に到着
利き酒「純米吟醸無濾過生原酒」
原料米:京都府産五百万石100%
精米歩合:50%
アルコール分:16度
をいただきました。まろやかで美味しかったです。
城陽酒造の庭園はよく手入れされた梅の木々のお花が満開でした。
『城陽酒造の梅酒は、このご当地・青谷梅林の特産である「城州白」という大粒で果肉の厚い香り高い品種の、さらにその中でも粒の大きな特に香り高い、青梅ではなくほどよく熟した梅の実のみにこだわって使用しております』
梅酒を作るために漬けてあった梅を売ってました、買って帰りました、そして酒粕も。予期していたとは言いましても帰りのデイバッグは重たかった。
早速、作りました
梅酒の梅の甘露煮 梅酒の梅のジャム=ヨーグルトにトッピング
梅酒の梅の甘露煮:レシピ
梅酒に漬け込んだ梅・・・500g
水・・・・・・500ml
砂糖・・・・・250~300g
1.蓋をして、沸騰まで中火。沸騰したら弱火で30分煮る
2.蓋をしたまま冷ます。熱いうちに蓋をとると、シワシワになります。
3.蓋をしたまま煮ることで、シワシワの梅もある程度ふっくらしてくれます。
4.アルコールはほとんど飛びますが、若干残っている感じです。
ジャムは甘露煮の種を取り出してそのまま潰すと美味しいジャムになりました。パンに塗るというよりも、ヨーグルトのトッピングの方が👍グッド。
城陽市のマンホール
町章を囲むように、市の木「ウメ」と市の花「ハナショウブ」を交互に並べた汚水用マンホール蓋。
行きしなに、下狛駅のホームで見つけた
昇る人が居るんですねぇ
後日、調べましたら。
下狛駅のホームの街灯(水銀灯と思われる)の電柱に「昇柱禁止」という札が貼られているのは、電柱に登って作業することを禁止しているという意味です。電柱には高圧電流が流れているため、安全のためにも昇柱は避けるべきです。また、電柱には他の事業者のケーブルなども共架されている場合があり、それらに影響を与える可能性もあります。
と、調べた結果です。
せいか365プロジェクト いきいき健康ウォーク
日程:JR山城青谷駅⇒龍福寺⇒中天満神社⇒青谷梅林⇒JR長池駅(解散)
以前、近鉄の『酒蔵みてある記』で青谷梅林からゴールの城陽酒造までのコースに参加したことがあった。こちら
今年の『酒蔵みてある記』は「あらっ!いきいき健康ウォークとおんなじ日やんか、城陽酒造のお庭にも梅が満開とちゃうかなぁ。」
との思いを込めながらUさんと参加しました。
1.龍福寺京都府城陽市 - 八百万の神
龍福寺は浄土宗のお寺で、山号は天沢山。1607年に曇誉(どんよ)が創建したのが始まりで、現在地に移転したのが1674年と伝えられる。1690年に火災で焼失、奈良の東大寺から『阿弥陀如来坐像』を譲り受けて本尊とし、1837年に隋誉(ずいよ)が再建した。大正に入り、1923年に再び火災で焼失したが、翌年に再建され現在に至っている。
2.中天満神社
旧中村の産土(うぶすな)神で、祭神は平安後期の著名な学者「学問の神様」として知られている菅原道真である。
神社周辺には数基の古墳が存在するが、このことからもわかるように、中村は歴史の古い集落で、平安時代に編さんされた「和名抄」には、綴喜郡十郷の一つとしてその名が記されている。
神社の創記・沿革は明らかではない。社殿に残されている棟札のうち最も古いものは、慶長十一年(一六〇六)であるが、神社の成立は、これより早かったとも考えられる。
江戸時代には、境内で「雨乞い」も行われ、また、慶応三年(1867年)には「おかげ踊り」が盛大に催されており、拝殿正面にかけられた絵馬には、その様子が生き生きと描かれている。
3.青谷梅林
青谷梅林は起源が明確ではありません。青谷梅林は鎌倉時代に南朝の初代天皇、後醍醐天皇の皇子。宗良(むねよし)親王が和歌「風かよふ 綴喜の里の 梅が香ふ 空にへだつる 中垣ぞなし」と詠んでいることから鎌倉時代末期には既に梅林があったとも言われています。その後江戸時代には淀藩の奨励を受けて大いに植樹され、更に1900年 (明治33年)、「青谷梅林保勝会」が設立されて梅林の保護と宣伝に努めるようになり、景勝地として定着。 また1972年 (昭和47年)には梅が城陽市の木に制定されています。
江戸時代には淀藩の奨励を受けて大いに植樹され、更に1900年 (明治33年)、「青谷梅林保勝会」が設立されて梅林の保護と宣伝に努めるようになり、景勝地として定着。 また1972年 (昭和47年)には梅が城陽市の木に制定されています。
(いきいき健康ウォーク・スタッフさん作成のパンフレットを参考にしました)
ハチが一生懸命……。
さて、青谷梅林でお弁当タイムとなり、梅林の真っただ中でのおにぎりはいつものよりおいしかった。
いきいきウォークのスタッフさんに「近鉄の『酒蔵みてある記』がちょうど今日、城陽酒造なんでそっちの方へ廻りたいので、この後ぬけますけど、よろしくお願いします」「はい、分かりました、いいですよ」
城陽酒造はJR奈良線の西側、歩いてはる人たち、なんとなく『酒蔵みてある記』参加者の皆さんかなあっとか思いながら、Uさんと「こっちこっち」とか言いながら。
4.城陽酒造に到着
利き酒「純米吟醸無濾過生原酒」
原料米:京都府産五百万石100%
精米歩合:50%
アルコール分:16度
をいただきました。まろやかで美味しかったです。
城陽酒造の庭園はよく手入れされた梅の木々のお花が満開でした。
『城陽酒造の梅酒は、このご当地・青谷梅林の特産である「城州白」という大粒で果肉の厚い香り高い品種の、さらにその中でも粒の大きな特に香り高い、青梅ではなくほどよく熟した梅の実のみにこだわって使用しております』
梅酒を作るために漬けてあった梅を売ってました、買って帰りました、そして酒粕も。予期していたとは言いましても帰りのデイバッグは重たかった。
早速、作りました
梅酒の梅の甘露煮 梅酒の梅のジャム=ヨーグルトにトッピング
梅酒の梅の甘露煮:レシピ
梅酒に漬け込んだ梅・・・500g
水・・・・・・500ml
砂糖・・・・・250~300g
1.蓋をして、沸騰まで中火。沸騰したら弱火で30分煮る
2.蓋をしたまま冷ます。熱いうちに蓋をとると、シワシワになります。
3.蓋をしたまま煮ることで、シワシワの梅もある程度ふっくらしてくれます。
4.アルコールはほとんど飛びますが、若干残っている感じです。
ジャムは甘露煮の種を取り出してそのまま潰すと美味しいジャムになりました。パンに塗るというよりも、ヨーグルトのトッピングの方が👍グッド。
城陽市のマンホール
町章を囲むように、市の木「ウメ」と市の花「ハナショウブ」を交互に並べた汚水用マンホール蓋。
行きしなに、下狛駅のホームで見つけた
昇る人が居るんですねぇ
後日、調べましたら。
下狛駅のホームの街灯(水銀灯と思われる)の電柱に「昇柱禁止」という札が貼られているのは、電柱に登って作業することを禁止しているという意味です。電柱には高圧電流が流れているため、安全のためにも昇柱は避けるべきです。また、電柱には他の事業者のケーブルなども共架されている場合があり、それらに影響を与える可能性もあります。
と、調べた結果です。
http://joyo-shuzo.co.jp/
梅酒の梅の甘露煮、レシピを追記しました。
城陽市内の八百万(やおよらず)の神(多くの神様)の中で、龍福寺(りゆうふくじ)と中天満神社をお参りし、「城州白」(じょうしゅうはく:梅の品種名)の青谷梅林で一休み。後は城陽酒造で純米吟醸の利酒と梅ジャムなどのお買い物の紹介よくわかりました。
私は、青谷梅林には過去に数回訪れましたが、社寺は行っていません、近くに「黒土古墳群」があります。
和歌山県の南光梅は知人から紹介があり梅干しを購入したことがありますが、この梅の産地の町「みなべ町」の役場には「梅 課」(うめ か)といゆ担当組織があり、南光梅の産業・観光などの振興とPRを行っているから驚きです。
山背古道には井手町や木津川市エリアのコースがありますので、山背古道推進協議会が発刊する「山背古道ウオーキングマップ」や探検ガイドブック、スマオ「アプリ」などもあるそうですので、皆さん散策しましょう!!
また私の御託ですが下狛駅の「昇柱禁止」(しょうちゅ きんし)の水銀灯看板札が気になりました。私は「焼酎解禁」(しょうちゅう かいきん)の立て札を梅林に立て、城州白の梅「焼酎」を販売しては、いかがですか!!・・・手頃な値段でよろしく・・・