≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
日程:2024年4月25日(木)
コース:近鉄新祝園駅⇒橿原神宮前(乗り換え)⇒二上山駅(南大阪線)下車⇒道の駅ふたかみパーク當麻・公園(昼食)⇒石光寺⇒傘堂⇒當麻寺⇒當麻寺若しくは近鉄當麻寺駅にて解散(15:00頃予定)
1【中将姫ゆかりの牡丹の寺・石光寺】
二上山の麓にある石光寺(せっこうじ)。
天智天皇の勅願寺とされます。
正門をくぐって直ぐ、美しく盛られた白砂が目を引きます。
「想観の沙(そうかんのすな)」といい、砂を「沙」と書くのは、お釈迦様が沐浴されたガンジス河の沙に例えているからです。
手前が此岸で、向こうが彼岸を表します。方形の執着から円形の覚(さと)りへと至る道。迷いから解き放たれ、悟りの境地へ向かいます。
人生は思い通りにならないという一切皆苦。
そこがスタート地点であり、苦しみの原因である執着を手放すことが仏教の教えにもなっています。何事も杓子定規に考えるのではなく、まぁるく全体を見渡してみたいものです。四角四面ではなく円満に対処する・・・人生行路のコツなんだろうと思います。
「想観の沙」から並びに『染めの井戸、糸掛け桜』
これは、中将姫が當麻寺の御本尊の當麻曼荼羅を織る際に、蓮の茎を集めて糸を採り、この寺の井戸に浸したところ五色に染まったという伝説の場所だからです。その井戸を染の井といい、蓮糸を掛けて干した桜の木が、糸掛け桜です。姫は五色に染まった蓮糸を當麻寺に持ち帰り、わずか一晩で當麻曼荼羅を織り上げました。
庭園内のフジが見事でした。
ヒメシャリンバイ(姫シャリンバイ)バラ科 / シャリンバイ属 原産地:日本
👆アオスジアゲハが……。
石光寺から當麻寺への途中に
2.傘堂
傘堂は、1674年(延宝2年)に、水飢饉に苦しむ農民のために大池(おいけ)を築造した郡山藩主本多政勝の菩提を弔うため、郡奉行の吉弘統家(よしひろのりいえ)がその供養塔として建立したものです。
3.西南院(當麻寺 塔頭)
池への映り込み、ステキですね👏
シャクナゲ (石楠花、石南花) ツツジ科ツツジ属
西南院は、當麻真人国見が麻呂子親王によって草創された萬法蔵院を、
白鳳十二年 百済の僧正恵灌を導師に迎え、當麻寺として還造した時、坤(ひつじさる)=方位としては西南(裏鬼門)の守り寺院として創建されたのが始まりである。
4.當麻寺は、古代大和の“西方”に位置し、白鳳・天平様式の大伽藍を有する古刹。金堂の弥勒仏や四天王、梵鐘などの白鳳美術を今に伝えるほか、古代の三重塔が東西一対で残る全国唯一の寺としても知られています。
以前は無かったはずやけど...。
よく見ると、傘の形をしたおみくじ。いろんなお願い事があった。
當麻寺についてもっと詳しくはこちら
冬牡丹を訪ねたことがありました。こちら
當麻寺で解散でした。
「近鉄当麻寺駅のそばに中将餅のお茶どころがあったと思う、帰り道やし寄ってみようよ」
「はいはい、賛成賛成」
金子みすずファンクラブ(勝手に命名)のお店の奥さんと立ち話を。
奈良県葛城市の當麻寺参道にあるお土産店。「奈良 みすゞの和(民芸店 和)」の奥の方に金子みすゞのポートレートが視線の先に飛び込んできました。ホッコリする奥さんの人柄、金子みすゞさんのお話が楽しかったです。
駅に向かって歩き『中将餅』のお店へ。「駐車場に車停まってへんね、お店はあっちなんかな?うわっ閉まってる」「ざんね~ん」
『中将餅』をいただいてました。こちら
近鉄当麻寺→橿原神宮前→新祝園→狛田 橿原神宮前駅で京都行急行に乗れたのはラッキーでした。
歩数計は18,753カウントしてました。
「脚にこたえるかもね、え~~っと冷水か温水かどっち?」
「言うてみたら炎症を起こしてるんやから、両ひざ下から両足まで冷水をかけると、ひどい筋肉痛にならないと思うよ」
翌日から翌々日に痛みが来るんちゃうか、と心配やったけど、ぜ~~んぜん、やった。
いっぱいの艶やかな牡丹
日程:2024年4月25日(木)
コース:近鉄新祝園駅⇒橿原神宮前(乗り換え)⇒二上山駅(南大阪線)下車⇒道の駅ふたかみパーク當麻・公園(昼食)⇒石光寺⇒傘堂⇒當麻寺⇒當麻寺若しくは近鉄當麻寺駅にて解散(15:00頃予定)
1【中将姫ゆかりの牡丹の寺・石光寺】
二上山の麓にある石光寺(せっこうじ)。
天智天皇の勅願寺とされます。
正門をくぐって直ぐ、美しく盛られた白砂が目を引きます。
「想観の沙(そうかんのすな)」といい、砂を「沙」と書くのは、お釈迦様が沐浴されたガンジス河の沙に例えているからです。
手前が此岸で、向こうが彼岸を表します。方形の執着から円形の覚(さと)りへと至る道。迷いから解き放たれ、悟りの境地へ向かいます。
人生は思い通りにならないという一切皆苦。
そこがスタート地点であり、苦しみの原因である執着を手放すことが仏教の教えにもなっています。何事も杓子定規に考えるのではなく、まぁるく全体を見渡してみたいものです。四角四面ではなく円満に対処する・・・人生行路のコツなんだろうと思います。
「想観の沙」から並びに『染めの井戸、糸掛け桜』
これは、中将姫が當麻寺の御本尊の當麻曼荼羅を織る際に、蓮の茎を集めて糸を採り、この寺の井戸に浸したところ五色に染まったという伝説の場所だからです。その井戸を染の井といい、蓮糸を掛けて干した桜の木が、糸掛け桜です。姫は五色に染まった蓮糸を當麻寺に持ち帰り、わずか一晩で當麻曼荼羅を織り上げました。
庭園内のフジが見事でした。
ヒメシャリンバイ(姫シャリンバイ)バラ科 / シャリンバイ属 原産地:日本
👆アオスジアゲハが……。
石光寺から當麻寺への途中に
2.傘堂
傘堂は、1674年(延宝2年)に、水飢饉に苦しむ農民のために大池(おいけ)を築造した郡山藩主本多政勝の菩提を弔うため、郡奉行の吉弘統家(よしひろのりいえ)がその供養塔として建立したものです。
3.西南院(當麻寺 塔頭)
池への映り込み、ステキですね👏
シャクナゲ (石楠花、石南花) ツツジ科ツツジ属
西南院は、當麻真人国見が麻呂子親王によって草創された萬法蔵院を、
白鳳十二年 百済の僧正恵灌を導師に迎え、當麻寺として還造した時、坤(ひつじさる)=方位としては西南(裏鬼門)の守り寺院として創建されたのが始まりである。
4.當麻寺は、古代大和の“西方”に位置し、白鳳・天平様式の大伽藍を有する古刹。金堂の弥勒仏や四天王、梵鐘などの白鳳美術を今に伝えるほか、古代の三重塔が東西一対で残る全国唯一の寺としても知られています。
以前は無かったはずやけど...。
よく見ると、傘の形をしたおみくじ。いろんなお願い事があった。
當麻寺についてもっと詳しくはこちら
冬牡丹を訪ねたことがありました。こちら
當麻寺で解散でした。
「近鉄当麻寺駅のそばに中将餅のお茶どころがあったと思う、帰り道やし寄ってみようよ」
「はいはい、賛成賛成」
金子みすずファンクラブ(勝手に命名)のお店の奥さんと立ち話を。
奈良県葛城市の當麻寺参道にあるお土産店。「奈良 みすゞの和(民芸店 和)」の奥の方に金子みすゞのポートレートが視線の先に飛び込んできました。ホッコリする奥さんの人柄、金子みすゞさんのお話が楽しかったです。
駅に向かって歩き『中将餅』のお店へ。「駐車場に車停まってへんね、お店はあっちなんかな?うわっ閉まってる」「ざんね~ん」
『中将餅』をいただいてました。こちら
近鉄当麻寺→橿原神宮前→新祝園→狛田 橿原神宮前駅で京都行急行に乗れたのはラッキーでした。
歩数計は18,753カウントしてました。
「脚にこたえるかもね、え~~っと冷水か温水かどっち?」
「言うてみたら炎症を起こしてるんやから、両ひざ下から両足まで冷水をかけると、ひどい筋肉痛にならないと思うよ」
翌日から翌々日に痛みが来るんちゃうか、と心配やったけど、ぜ~~んぜん、やった。
いっぱいの艶やかな牡丹
西暦747年~775年28歳で生仏のまま浄土に逝かれた記録がある。父親は藤原鎌足の孫にあたる右大臣の藤原豊成さんで、高林寺にお墓があるとのこと。
このお姫様は継母にいじめられ、16歳の時に当麻寺に出家したとある。石光寺の當麻曼荼羅を蓮糸で編んだという伝説が有名です。
現代風にいうならば、駆け込み寺(ひなん場所)として当麻寺や石光寺に出家生活をして数々の伝説を残したとある。
わんちゃんは十数年前から足繁く当麻寺界隈を散歩して、ボタン、シャクヤクなどのお花などを紹介しています。
想観の沙(そうかんのすな)は「執着の世界」(方形)、と「覚りの世界」(円形)を表わしているとされていますが、私は「前方後円墳」の形に似ているので、これを真似しているのではないかと思いました。
中将餅を食べたところで「金子みすず」のファンクラブのお話がありましたが、調べますと山口県長門市に「金子みすず記念館」があり、彼女の童謡詩人の作品などが展示されているとのこと。この詩人は(1903年~1930年)27歳で夭逝され、夫からの離婚問題などがあり、時代は違うが中将姫の境遇と似ている感じがしました。
中将姫の命日3月14日を偲んで当麻寺では毎年4月14日に「練供養集会」(ねりくよう しゅうえ)が古式ゆかりの正装で行事が盛大に実施されると聞きます。一度、見学して、お花やお餅などを楽しみたいと思いました。・・・なにかの「避難場所」ではありませんが!!
その中で推しのお花を観賞に……がわんちゃんの、楽しみなことの一つです。